となりの宇宙人

「となりの宇宙人」(半村良 徳間書店 1975)

副題はSF短編集①。
カバー絵は宇野蟷螂。

最近、本屋で、河出文庫からこの本が再版されていたのをみたときはびっくりした。
河出文庫は、ここのところだす本が挙動不審で面白い。

それはともかく、この本をみかけたとき、手元に徳間書店版をもっていたのを思い出した。
読まなくては!

作者の半村良さんについては、さすがにその名は知っているけれど、これまで読んだことがない。
この本は、なんとなく初期作品をあつめたような気がするけれど、どうだろう。
作者が、自身の鉱脈をもとめて歩きまわっている感じがする。
収録作は以下。

「ボール」
「ビー」
「超古代の眼」
「罪なき男」
「太平記異聞」
「妙穴寺」
「泪稲荷界隈」
「めぬけのからしじょうゆあえ」
「幻影の階層」
「悪魔の救済」
「となりの宇宙人」

面白かったものは以下。

「ボール」
3人称。
主人公の斉田は、妻とふたりの子をもつ、生活に疲れた会社員。
世間では交通事故が多発していて、免許もないし車を買う金もない斉田は腹を立てている。
そんなおり、世界中の天文台で地球にとびこんでくる物体を確認。
それはボールみたいなものらしい。
まず、アメリカの被害が報じられ、つぎに日本にも上陸。

ボールは直径2~3メートル。
時速50~200キロで転がり、走っている車をみつけるとぶつかってくる。
車は粉々にふきとび、瞬間、その映像が虚空に浮かぶ。
斉田は職場の屋上から、その惨劇の映像を目撃して、日ごろの溜飲をさげる。
ボールは、ボール同士が追突することにより増殖。
ボールにより交通は遮断され、日本は大混乱に。
……

日本は大混乱に、というのは、半分はうそ。
小説は、大混乱の過程をくわしく書いたりしていないからだ。
これが小松左京だったらそう書くのだろうけれど、半村さんは登場人物をほったらかしにしたりしない。
大状況の説明を挿入しながらも、斉田の日常からはなれない。
そして、これは全編通じていえることだけれど、半村さんは所帯じみた生活感をだすのがじつにうまい。

ボールの設定も秀逸。
こういう未知の物体は作者の裁量が大きくて、そのぶん説得力に欠けやすい。
けれど、情報のだしかたのうまさがそれを救っている。
また、交通状況への風刺がリアリティを補強している面もあるかも。

余談だけれど、この短編集では、交通事故の話題がしばしばでてくる。
執筆当時の世相を反映しているのだろうか。

「泪稲荷界隈」
〈私〉によるエッセイ風の作品。
西青山、以前は泪町とよばれた町についての描写が、まるで手にカメラをもって歩いているように続いていく。
この、ゴシップをまじえなが語られる町の描写がじつに楽しい。

リヨンというフランス風のパン屋は、本店は六本木で、自家製のシャーベットがおいしい。
そのとなりが有名な叶宝飾店。
黒っぽいビルは、窒素工業経営連合会。
鈴木酒屋は〈私〉の遠縁がやっている。
角にあるのは山本肉店で、そのとなりはニューヨーク帰りの版画家のママがやっているスナック。
裏手にあるのは泪公園。
以前、八百屋だった場所には、某フォークシンガーの奥さんがブティックをひらき、泪荘アパートにはイラストレーターのKさんが住む。

なにも知らないひとが読んだらうっかり信じこんでしまいそうな描写が続いたあと、最後に奇想天外などんでんがえし。
ほれぼれする。

「となりの宇宙人」
表題作。
宇宙人がでてくる長屋人情話とでもいおうか。

まずはアパートの住人の紹介。
事故を起こし、左腕にギプスをはめて休職中の運転手、田所運一郎。
そのとなりで、彼女3人をかわりばんこにさばいている、区の保健所につとめる男前の貞さん。
反対側はバーテンダーの唯夫と、ホステスの昌子の夫婦。
階下にいるのは七十近い源さん。

そこへ、大きな落下音。
住人がぞろぞろみにいくと、路地に円盤。
なかには緑色の宇宙人が。
自分も事故を起こした田所は、宇宙人に同情して自分の部屋に休ませる。
警察沙汰にするとうるさいので、円盤は近所の八百屋の好意に甘えて、そこの裏手に。

宇宙人は日本語がしゃべれる。
仲間が7人いたというので、仲間がみつかるまで田所のところに厄介に。
田所は左腕にギプスをはめて不自由。
貞さんの彼女のひとり、美容師の見習いをしている淳子が日々手伝いにきてくれる。
田所はこれがまんざらでもない。

そのうち、週刊誌やテレビ局がおしかけてきたり、円盤は政府におさえられたりするけれど、そのへんはクローズアップされない。
本筋は、たとえば宙さん(宇宙人のこと)がなにを食べるかだったりする。
「とりあえず豆腐があたりさわりないんじゃないか」という貞さんの意見が、なにやら可笑しい。
あくまで住人同士のやりとりが話のメイン。
最後は宙さんも仲間と再会して、めでたしとなる。

この本のなかで、半村さんはさまざまな文体をつかっている。
講談調というか、落語調で書かれたタイムとラベル譚、「妙穴寺」
ほとんど会話ですすむ、地球最後の日に「めぬけのからしじょうゆあえ」をつくる板前と見習いの、「めぬけのからしじょうゆあえ」
また、「超古代の眼」「太平記異聞」の2作は伝奇もの。
手をかえ品をかえして、腕をふるっているよう。

ただ、全体の印象は、虚無的なところが強い。
それがもっとも強くでているのは「悪魔の救済」
この作品の主人公である多田は、現在の繁栄をほとんど不条理のように感じている。
いずれ、反動がくると思いつめていて、じっさいそれはやってくる。
その描写にさかれる量と密度からいって、これは作者の半村さんの実感なのかもしれないと思った。

さて、話はとぶ。
作家になる前、半村良さんがさまざまな職業を遍歴したのは有名な話だ。
種村季弘さんの「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房 2005)を読んでいたら、デビュー前、酒場でバーテンをしていた半村さんのことがちょっとでてきた。

晩年の種村さんは、山田風太郎のひそみにならったものか、語りおろしを残した。
それがこの本に、「聞き書き篇」として入っていて、無類に面白い。
半村さんがでてくるのは、「聞き書き篇」のなかの、「焼け跡酒豪伝」という章。
種村さんが戦後の酒場で出会った文人たちが活写されている。
半村さんについてはこう。

「区役所通りには新藤凉子さんという女性詩人がやっていた「トト」というお店があってね。講談社系の水上勉とか中村真一郎という人たちが来ていた。そこにバーテンと称して奥のほうで本ばかり読んでいる男がいてね。それがデビュー前の半村良だな。ママが店を空けるときは彼に任せて、後で営業日誌を書かせるんだけど、一から十までデタラメばかりだったという話だね(笑)」

さらに、種村さんはうまく話をまとめてみせる。
(いや、これは聞き手の手際かも。聞き手は田村治芳、皆川秀)

「半村も戦災孤児だろう。野坂もそうだ。学者にも多いね。親父に商売があるとか、サラリーマンならそのための便宜があるとか、普通の家庭なら一応家業の蓄積があるんだな。だけど地盤がないとユダヤ人と同じで、金貸しになるか、活字という空々漠々たるもので食うしかないんだね」

「それに当時の連中は自ら選んだんじゃないってとこもある。それしか食う道がなかったんだよ。ウソばかりついて世渡りするような(笑)。でもね、それが戦後の日本を支えてきたんじゃないかな」


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )