雨の日はソファで散歩

「雨の日はソファで散歩」(種村季弘 筑摩書房 2005)

「となりの宇宙人」についてメモをとったとき、この本についてふれたのだけれど、もう少し取り上げたい。

種村さんの仕事のうちでは、個人的に短文書評が好きだった。
その要約のうまさ、紹介の無駄のなさ、読み手を本へと導く博識を駆使した誘惑ぶりなどには、いつも感嘆をおぼえた。
…と、ここまで書いて、楽しんで読んだ本の書名を忘れていることに、いま気づいた。
あの図書館の、あの棚にあった、あの本だというのはわかるのに。
まるで、試験のとき、教科書の解答のところだけが空白で、思い出すことができないよう。

話がそれた。
本書は、種村さん最後の自選エッセイ集。
最晩年の文章があつめられているためか、死の影が濃い。
なかでも「風々さんの無口」という一文が胸にしみる。
これだけメモしておきたい。

本文は見開き2ページの短文。
でも、短文書評の名手は、ポルトレの名手でもあり、いささかの過不足も感じない。

風々さんというのは俳号。
本名は竹口義之、通称グッちゃん。
種村さんの最初の単行本、「怪物のユートピア」の挿画装丁をしたひとで、「風々さんの無口」は、この竹内さんの晩年についてのエッセーだ。

慢性肝炎を発症してから5年あまり、肝臓ガンも併発したひとり暮らしの風々さんは、俳句仲間による鳩首協議の結果、千葉の某ホスピスに入れられることに。

このホスピスはいいところだったらしい。
「食事も薬もいやなら摂らなくていい。門限はなく、二十四時間院内徘徊もご勝手にどうぞ」
という方針。

「最後はいい先生に恵まれたのだ」と、種村さんはうらやましそうに書いている。
しかも、風々さんが昇天したのち、残したお金で入院費、火葬代そのほか一切、ぴったり帳尻があったのだという。

ところで、種村さんは、風々さんが俳句を作っているとは知らなかったようだ。
風々さんは亡くなる3年前、「風袋」という句集をだした。
ワープロ入力した句に自作のカットを添えた、製本まで一切手作り、限定20部の超稀覯本。

「無口だったグッちゃんは、風々の俳名ではじめて本音らしきものを語った」
と、種村さんは、最後に風々さんの一句を紹介している。
それは、こういう句。

「一生を四の五の言わずところてん」

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