連なる黒アリの箱

社団法人家の光協会が、毎年読書にまつわるエッセイを募集している。
優秀作品は冊子にしていて、図書館に配っているようだから、パンフレットがあるあたりなどに、ひと知れず置かれているかもしれない。
寄せられた作品は力作ばかり。
読むと、読書という体験はどれほどひとに多くのものをあたえられるのか考えさせられる。

今回は第7回。
大賞にあたる「家の光読書エッセイ賞」にえらばれたのは、マハット・ラリットさんの「連なるアリの箱」。
ネパール出身の女性だ。

子どものころ、町にいく父に本をお土産に頼んだ。
お菓子とかを頼めばいいのにと姉に笑われたが、そして5歳の子どもが本をほしがるのはたしかにめずらしいことだったが、でも本がよかった。
村長さんの家で、同い年くらいの娘さんが読んでいた、青い表紙の四角いもの。
絵が描いてあり、黒いアリが並んでいるようなもの。
2日遅れて父は帰ってきた。
でも父は、本をもってくるのを忘れていた。
……

しかし、1年後、マハット・ラリットさんは学校にいけるようになる。
「この子は本が読みたいらしい」と、周囲の反対を押し切って、お父さんが学校にいれてくれたからだ。
学校ではじめて手にしたのは国語の教科書。

「あの連なる黒いアリの正体は文字だったと分かった時は、それまでになかった不思議な喜びを感じたのだった」

こうしてマハット・ラリットさんは学び続けて、長じて来日した。
冊子の最後に、受賞者のマハット・ラリットさんの声がよせられている。
それによれば、このエッセイはご自身で、日本語で書いたものだそう。

「私の日本語が、本に寄せる思いが誰かに伝わったのだ!」

と、マハット・ラリットさんは喜びを記している。

冊子に載せられているエッセイは、お年寄りが書かれたものが面白い。
内容に密度がある。
若い者とは苦労の質量がちがうのだとつくづく感じる。

佳作に入っている、森田文さんの「寿限無(じゅげむ)の思い出」も面白かった。
いや、面白かったというより、感銘をうけたといったほうが正確。

子どものころ、家にあった落語の本が好きだった。
とくに、「じゅげむ」は子ども心にも面白い話で、あの長い名前をおぼえては、寝るまえ天井を見上げながら大声でいった。
あるとき、体育が雨で休みとなり、指名されて「じゅげむ」を話した。
うまく話せてほめられるかと思ったら、兵隊さんたちがお国のためにたたかっているときに不真面目な話をしてはいけないと、先生にたしなめられた。
それから、寝るまえの「じゅげむ」は口のなかでもごもごいうだけにした。

夏休みのある日、空襲を受けた。
母と姉と、庭に掘った防空壕にころがりこんだ。
怖くて怖くて、大声で「じゅげむ」をいった。
じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょ すいぎょうまつ くうねむところ すむところ…
すると姉に指摘された。
「すいぎょうまつのあと、うんらいまつ、ふうらいまつが抜けてる」
ちゃんといったよ、いってないよといいあっていたら、母がぷっと吹きだした。
防空壕のなか、空襲を受けながら、三人で笑って大声で「じゅげむ」をいった。

それから六十余年。
「声に出してよみたい日本語」に「じゅげむ」が入っているのを見たときは、胸がふるえた。
その晩、天井をみながら「じゅげむ」をいってみたら、なんとちゃんといえるのだった。

「物忘ればかりしているこのごろなのに、なんと、ひとこともまちがえずに、いえたのである。忘れていなかったのである」
……

よく思うのだけれど、ことばというのは、突き詰めるとからだのことをいうんじゃないだろうか。
「じゅげむ」を声にだしたとき、ほとんどからだの一部をとりもどしたような感じだったのではないか。

うっかりほとんど紹介してしまった。
以上の読書エッセイは、みんな家の光協会のサイトでみられる。
と、思ったら、第7回はリンク切れしてるみたいだ。

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