脱出航路

「脱出航路」(ジャック・ヒギンズ/著 佐和誠/訳 早川書房 1982)

原題は、“Storm Warning”
原書の刊行は、1976年。

原題の意味は、「暴風警報」。
こちらのほうが、本書の内容によくあっている。
でも、それは読んだからいえるので、本のタイトルとしては、「暴風警報」では意味不明か。

本書の刊行は、「鷲が舞い降りた」の翌年。
よく、ヒギンズの代表作として、「鷲が舞い降りた」とともに並び称される。
たしかに、その評価はうなずける。
後半の盛り上がりぶりは尋常ではない。

では、ストーリー。
3人称多視点。
舞台は、第2次大戦中の1944年。
本書は、だいたい3つの筋からなる。
そのひとつは、ブラジルから大西洋を渡りドイツへ向かう、老帆船ドイッチェラントの物語だ。

ドイツのUボートにより、自国の商船が犠牲になったことから、1942年8月、ブラジルはドイツに宣戦布告をした。
そのため、沿岸に漂着したドイツ海軍将兵をどう扱うかという問題が、ブラジル側に生じた。
費用のかかる捕虜収容所などは論外。
そこで、ブラジル政府は、ドイツ領事補が提出する同胞についての月例報告に目を通すことで満足することにした。

ベルガ―船長も、このブラジル式の待遇を受けたひとり。
もともと、合衆国燃料補給船ジョージ・グラントに偽装した潜水艦補給船エッセンの艦長だったが、3度目の補給任務のさい、イギリスの潜水艦に魚雷をぶちこまれる。
泳いでいるところを、ポルトガルの貨物船に拾われ、リオでブラジル官憲に引き渡された。

《この国には一種の仮釈放ともいえるシステムがあって、敵性国人だろうと職を見つけられればその恩恵に浴することができる》

というわけで、沿岸交易をいとなむドイツ系商会の所有する帆船ドイッチェラントの船長となり、リオとベレンを往復する日々を送ることに。

このドイッチェラント号を拝借し、故国ドイツをめざす。
そのさい、ドイッチェラント号はスウェーデン国籍のグドリド・アンデルセン号に偽装。
本物は、イェーテボリに停泊しているはず。
スウェーデン国旗や、偽の航海日誌、偽の救命道具も用意。
スウェーデンのパスポートも用意した。

これら偽装の事務を担当したのが、ブラジル駐在ドイツ領事補オットー・プラガー。
プラガーとその妻は、ベルガ―船長がほしがっていた無線機をもって、ドイッチェラント号に乗船。
すでに65歳のプラガーにこの航海は無理だと、ベルガ―船長はさとすが、プラガーは聞き入れない。

さらに、プラガーは5人の尼僧を連れてくる。
彼女たちは、僻地で伝道につとめていたが、ブラジル内務省の政策変更のため伝道所をたたむことになった。
また、イタリア戦線に派遣されたブラジル部隊の被害状況が報じられたら、どんな目に遭うかわからない。
結局、ベルガ―船長は、プラガーと修道女のシスター・アンゲラに押し切られる。
乗船を認めることに。

かくして、乗組員22名、プラス尼僧5名とプラガー夫妻の計29名が乗船。
船の積み荷は底荷(バラスト)だけなので、なんとか乗れる。
乗組員22名のうち10名も、同胞のあいだでくじを引いて決めた者たち。
みんな帰国したいのだ。

1944年8月26日午前2時。
8000キロはなれた故国に向け、ドイッチェラント号はベレンを出港する――。

このまま、ドイッチェラント号の航海について語られるのかと思ったら、そうではない。
次は、ハリー・ジェーゴという人物に焦点が当たる。

ジェーゴは25歳のアメリカ海軍大尉。
エール大を中途退学して海軍に入隊。
第2艦隊に編入され、ソロモン沖海戦に投じられる。
その後、アメリカ特務機関員を拾うようにというOSS(戦略事務局。CIAの前身)の要望で、急遽イングランドへ。
ノルマンディー上陸作戦にも参加。
ライム湾に待機するアメリカ軍上陸用舟艇が、Eボートに襲われたさい、応戦し、負傷。
退院後、生き残りの部下9名とともに、イギリス海軍の好意で貸与された砲艇で、ヘブリーズ諸島の各施設をまわる、郵便集配業務に従事することに。

ジェーゴが訪れたファーダ島は、撃沈されたUボートの乗組員が流れ着くようなところ。
また、この島には、負傷して隠遁生活を送っているケアリー・リープ海軍少将がいる。
現役復帰を願っているリープ閣下は、休暇をとってロンドンにいくというジェーゴに、2通の手紙を託す。
1通は、ロンドンで医者をしている姪のジャネット・マンロー宛て。
もう1通は、アイゼンハワー将軍宛て。

空襲下のロンドンで、ジャネットは大忙し。
またしても、「サンタマリア特命隊」同様、赤ん坊をとりあげるシーンがある。
そんななか、アイゼンハワー将軍がジャネットに会いにくる。
リープに用意できるポストは、〈補給兵員統合本部〉の副長官しかない。
前線にでたがっているリープにとって、この返事は望むところではないだろう。
そこで、ジャネットはアイゼンハワー将軍の意向をうけ、ファーダ島を訪れ、リープをなだめることに。

ジェーゴはジャネットにも手紙を届けにくる。
2人は急速に親しくなる。

3つ目の物語は、Uボートの艦長、ポール・ゲリッケ少佐にまつわるもの。
ゲリッケは、ファルマス湾内に潜入し、機雷を敷設せよとの無茶苦茶な指令をうける。
が、無茶苦茶でも指令は指令。
小船団にくっついて防潜網をくぐり抜け、湾内へ。
機雷をまき終え、退去というとき、一隻のタグボートが機雷に触れて爆発。
戦闘のすえ離脱するが、その途中、司令塔で指揮していたゲリッケは海に投げだされてしまう。
その後、イギリス海軍の魚雷艇に拾われ、訊問されたのち、ロンドンに移送。

ゲリッケは、アメリカ側に引き渡されることになる。
グラスコーまではこばれ、そこから合衆国へ。
同じ列車にはジャネットとジェーゴも乗っている。
列車がグラスコーに着くと、ゲリッケは用足しを口実にしてまんまと脱走。
出発した列車に乗りこみ、機転をきかせ、ジャネットのいるコンパートメントに入りこむ。

が、けっきょく捕まり、ふたたび捕虜の身に。
マレーグまでいき、午後の列車でグラスコーにもどるということになったが、ゲリッケはまたもや脱走。
マレーグに着いたジャネットは、迎えにきたマクロード――島で救命艇の艇長をつとめる偉丈夫――の船でファーゴ島に向かう。
なんと、その船にゲリッケが隠れていた。
ゲリッケは一時、主導権を握ったものの、すぐに逆転。
ファーダ島の留置所に入れられる。

一方、マレーグから自身の船で出発していたジェーゴは、ゲリッケがファーダ島にいるという連絡を受け、身柄を確保するためにファーダ島へ。

また一方、ブラジルを出発したドイッチェラント号――。
イギリスの潜水艦に臨検されたり、見習い尼のロッテと掌帆長のリヒターが恋仲になったり、そのロッテに手をだそうとしたコックが海に蹴り落とされたり、コックがいなくなったために尼僧たちがその代わりをしたり、貨物船と遭遇したり、嵐に翻弄されたりしながら、よろよろと大西洋を横断し、スコットランド沖へ。

というわけで、関係者一同がファーダ島周辺に集結する――。

このころのヒギンズは、まだカットバックの手際がいまひとつだった。
後半に重要な役割を果たす人物に、ドイツ空軍ユンカース爆撃機の機長、ホルスト・ネッカー大尉がいる。
大暴風に遭い、坐礁したドイッチェラント号の周囲を飛び続け、ファーダ島と交信を続ける人物。

ネッカーが登場したのは、ジェーゴの登場と同時。
ジェーゴの砲艇を、ネッカーのユンカースが襲撃するのだ。
だが、それから150ページほど読まないと、ネッカーの次の出番はやってこない。
さすがに、おぼえていられない。

関係者をファーダ島に集結させる手続きも、いささかご都合主義にみえる。
2度脱走に成功し、2度ともジャネットに出会うゲリッケなどは、思わず笑いだしてしまうところだ。

にもかかわらず、後半の盛り上がりは素晴らしい。
全ての欠点を帳消しにする、途方もない盛り上がりぶり。
後期のヒギンズ作品にはない、粘りのある筆致で書かれたクライマックスは、大変な迫力だ。
訳者あとがきを引用すると、「怒涛の寄り身」。
この場面だけで傑作と呼べるだろう。

ところで、本書を読んでいたとき、ヒギンズ作品には、よくハイデッガーの同じ文句が引用されることに気づいた。
正確には、ヒギンズ作品の登場人物が、よくハイデガーの同じ文句を引きあいにだす。
本書ではこういう訳文。

《真に生きる者にとって必要不可欠なこと、それは死と断固対決することである。》

「狐たちの夜」ではこう。

《真に生きるためには決然と死に対決することが必要だ》

使いまわしが好きなヒギンズのことだ.
さがせばまだまだみつかるだろう。


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