久生十蘭とか都筑道夫とか

門田勲は朝日新聞記者で、名文家の誉れ高かったそう。
ぜんぜん知らなかったけれど、「古い手帖」(朝日文庫 1984)という短文集を読んでいたら、久生十蘭のことがでてきたのでメモ。

話は、難物な小説家について。
挙げられているのは、川端康成と久生十蘭。
でも、ここでは十蘭だけに。
門田さんも、「難物中の難物といえば、久生十蘭さんにとどめをさす」といっている。

なぜ難物かというと、要するに締め切りを守らない。

「たいへんな凝り性で、ああでもない、こうでもないで締切りクソくらえで凝りまくるのだから、担当者はたまらない。催促に行くと先刻速達で送ったところだの、いましがたきた社のだれそれに渡した、などとすぐバレるウソをつく」

十蘭の「十字街」は戦後、朝日新聞の夕刊に連載された。
このときの担当は、十蘭と同じく鎌倉に住むMさん。
朝からねばって、まだ一回分があがらない。
外にでると、自転車のハンドルと軒のあいだにみごとなクモの巣ができあがっていて、Mさんは思わずこういったそう。

「十蘭さん、見ろや。朝から今までかかりゃアな、クモだってこんな立派な巣を作らァ」

原稿ができているときもある。
けれど、十蘭はもうひと凝り凝る気で、原稿を前にして考えこんでいる。
これで結構だと、原稿をかっさらって戸外へ飛びだしたら、
「待てェ…」
と、十蘭がドテラの前をはだけて裸足で追いかけてきた。

ところで、このMさんはじつは牧師さんなのだそう。
それに、なぜか柔道何段かの腕前でもある。
追いかけてきた十蘭に、
「とり返せるならとり返してみろ!」
と、タンカを切ると、十蘭は家の中の奥さんにむかって、
「この野郎と果し合いだ。二階の押し入れから機関銃をもってこい!」
と、怒鳴ったという。

ここまでくると面白すぎて、本当かウソかわからない。
それにしても、「十字街」にこんな裏話があったとは。

さらに、十蘭家の庭にテントを張って頑張っている雑誌記者もいたという。

「もうずいぶん前から、書く書くといいながら、いつまで経っても書かない。今月はなにがなんでも書かせる。書くまでこうやってテントでがんばるんだ」

この雑誌記者は、ときどき庭の松の木にのぼり、2階の書斎をのぞきこんで、
「やい十蘭! はやく書けェ!」
と、怒鳴ったとか。
まるでマンガだ。

久生十蘭の遅筆は有名で、たしか渋澤龍彦だったか、吉行淳之介だったかも原稿をとるのに苦労した話を書いていた気がする。
しかし、いまこんなに原稿を遅らせていたら、注文がこなくなる気がするけど、どうだろう。

お話変わって。
「風貌談」(文芸春秋 1996)という本があって、これはいろいろな作家がお気に入りの男優について書いた文章をまとめた本。
副題は、「男優の肖像」。
好きなものについて書くとだれしも熱が入るもので、この本も読みはじめるとやめられない一冊になっている。

この本に、何年かまえ亡くなった小説家の都筑道夫さんが参加している。
都筑さんがとり上げた男優は、宮口精二。
宮口は、「役のうしろに貼りついてしまうような役者で」、「この俳優がどこに住んでいて、いまいくつで、子どもがいるかどうか、演技をどう考えているか、知りたいとは思わない」から、都筑さんは好きなのだそう。
ひとことでいうと、「自分の影を消している」。

ここで、都筑さんは十蘭のことをもちだしてくる。
都筑さんの理想の小説家は、久生十蘭だった。

「好きで、たくさん読んでいる作家、まねをした作家、影響をうけた作家は、ほかにもいる。だが、こうなりたい、と思うのは、久生十蘭だ」

十蘭の作品は、作者名がなくても十蘭の作品とわかる。
が、作者の顔や生活はうかがえない。
作品に、作家の影がさしていない。

「私も最初は、十蘭のように書いていこうとしたが、じきに身辺雑記を書いたり、小説に私生活を重ねたりして、だめになった」

と、都筑さんは口惜しそうだ。
ところで、都筑さんが十蘭をもちだしてきたのには訳がある。
十蘭は、文学座の創立からしばらくのあいだ、本名の阿部正雄で演出助手をつとめていた。
そのとき、宮口精二と当然口をきいていたはずだと、都筑さんはいう。
二人は一体どんな話をしたのか。

「それだけは、ちょいと知りたいような気がする」

と、都筑さんはこの短文を結んでいる。

都筑作品はけっこう読んだけれど、あんまり面白いと思ったことがない。
趣向は面白いし、読んでるあいだは面白いのだけれど、読み終わると忘れてしまう。
その「面白くなさ」には、なにか独特のものがあって、それがなにやら面白い。

たぶん、都筑作品の「面白くなさ」は、登場人物の感情よりも筋を優先するためだろう。
それに、読むとすぐ忘れてしまうのは、作風があんまりフラットだからだろう。
都筑さんはそれを狙ってやっているのか、それとも書くとどうしてもそうなってしまうのか。
そこはよくわからない。
でも、あるていどは狙っていたのではないかと思う。
でなければ、あんなに盛り上げない書きかたをわざわざしやしないだろう。
そのつまらないところがとても魅力的なのだといったら、作者には失礼だろうか。

都筑作品はともかく、都筑さんが書いた本の紹介文や解説は、読んで感心しなかったということがない。
どれもみんな面白い。
いま、「サタデイ・ナイト・ムービー」(集英社文庫 1984)という、映画評をあつめた本を読んでいるけれど、これも面白い。
ちょうど、「スターウォーズ」が公開されたころの映画について書かれているのだけれど、「スターウォーズ」について都筑さんは、細部の充実振りをほめながら、ルーカス監督の話はこびの不器用さにも触れている。
30年近くまえに書かれた映画評がいまでも面白いというのは、一体なんなのか。
読んでいないけれど、都筑さんが「ミステリマガジン」に連載していた読書エセーをまとめた「都筑道夫の読ホリデイ 上下」(フリースタイル 2009)も、きっと面白いにちがいない。

また、話は変わって。
「ラジオが泣いた夜」(片岡義男 角川文庫 1980)をぱらぱらやっていたら、巻末に都筑道夫さんと片岡義男さんの対談が載っているのをみつけた。
片岡さんは学生時代、都筑さんの家を訪れたことがあるそう。
都筑さんの仕事部屋の印象を、非常に視覚的に語っているのが、いかにも片岡義男さんらしくて面白い。

「ペン立てに、おなじ鉛筆が何本もぎっちりと立っていて、非常に鋭利にとがらせてあり、とがっているほうが上をむいていました」

続けて、都筑さんのつかっている鉛筆が2Hだったことにショックを受けたという片岡さんは、こんなエピソードを話す。

「高校のとき、ぼくの席のまえに、とてもきれいな女のこがいて、かなり仲が良かったのですが、彼女の鉛筆が2Hでとがっているんですよ。彼女の鉛筆を見るたびに、なぜかつらい気持ちになりました」

これも、いかにも片岡さんらしい。
都筑さんが2Hの鉛筆をつかっていたのは、手が汚れないようにするためだったそうで、ひょっとしたら女の子もそのために2Hをつかっていたのかも。

ところで、久生十蘭と作風はぜんぜんちがうけれど、片岡義男さんも「自分の影を消す」作家のひとりだろう。
都筑さんが理想とするタイプの作家だと思うけれど、片岡さんの存在に、都筑さんはいささか困惑しているよう。
都筑さんのつけたこの対談のタイトルは、「きみは、何なの?」。
なんだか可笑しみのあるタイトルだ。

ずいぶん長くなってしまったけれど、もうひとつだけ。
雑誌「別冊宝石」の1982年冬号に、都筑道夫さんと佐野洋さんによる「現代ミステリーの問題点」という対談が載っているのをみつけた(ぜんぜん関係ないけれど、この号には漫画家の水木しげるさんの小説も載っている。「天使(エンゼル)」というタイトルで、全編会話で進む小品)。

小鷹信光さんが、「トリックという言葉は、外国のミステリー作家には通じないだろう」と書いていて、それが面白かったということろから対談はスタート。
なるほど、考えてみるとトリックにあたる言葉はない、けっきょく「プロット」になってしまうと都筑さん。

「戦前のミステリーが、それほどトリック中心だったわけでもないのね。それが戦後になって、乱歩さんが声高にトリックといい、ディスクン・カーといったために、かなり道を間違えてしまったような気がする」

「今イギリスに、新しい本格派と呼ばれている人達がいるけれども、その人達の作品に、日本人のいうトリックがあったためしがないんですね」

ここでいっているトリックとは、大道具や大仕掛けのこと。
トリックという言葉が、外国の作家には通じないという指摘は、考えたこともなかったので新鮮だった。

「トリックじゃなくて謎という形でとらえれば、もっと小説的に発展していく可能性があるような気がするんですよ」

と、都筑さんは新たな道をさぐっている。
ところで、都筑さんは警官が探偵役の小説は書いていない。
それはなぜかと佐野洋さんがたずねると、都筑さんはこうこたえる。

「警官か嫌いなの。それともう一つは、警官の機構を調べたりするのが面倒くさいのよ」

じつに端的な返答だ。
都筑さんが参加した対談は、きっとたくさんあると思う。
一冊にまとまったら読んでみたいと思うけれど、なかなかむつかしいだろうか。


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