書棚と平台

「書棚と平台」(柴野京子 弘文堂 2009)
副題は「出版流通というメディア」。

副題のほうが正確に内容をあらわしている。
ひとことでいうと、本書は、「出版流通はどんな風に発展してきたのか」について記した本だ。
だと思う。

じつはこの本、一年かけて何度も読み直したのだけれど、残念、理解できなかった。
うーん、頭が悪い。
以下は、この本が理解できなかったいいわけ。

自分の頭の悪さを棚に上げていうと、この本は本論の部分と序章、終章の部分のつながりがいまひとつだと思う。
序章でまず出版危機について述べ、危機に際しては歴史に学ぶことだと、明治以降の出版流通および、本とひとと金銭の出会いの場(本書では「購書空間」と呼ぶ)の成り立ちについて述べる。
ここのところはとても面白い。
よくまあ調べたものだと、感心することしきり。

でも、終章にいたって、現在における「購書空間」の新たなうごきについて語りはじめると、とたんに理解できなくなる。
最初、危機について語ったら、最後は危機への対処法について触れるのがすじじゃないだろうか。
乗っていた電車が、知らぬ間に別の路線に入ってしまったような感じだ。

いや、でもひょっとすると対処法について触れているのかもしれない。
こちらが理解できていないだけなのかもしれない。
なら、なにが理解をさまたげているのか。

おそらく、それは現在の、出版流通の問題点の洗い出しがされていないからだと思う。
歴史は語ったけれど、現状は語っていないのだ。
本書の全体が理解できないのは、おそらくそのせいだろう。

理解できた範囲でいうと、この本は「取次は悪くない」といっている本のようにも思える。
これこれこういう経緯で取次はできてきたのだから、出版危機が起こっても、それは取次のせいではない。
「取次の話をしてるんじゃない、出版流通の話をしているんだ」と、著者はいいたいだろうけれど。

本書の副題は「出版流通というメディア」。
これは、「コンビニに本を卸すようになったら、出版社が廉価版のマンガをつくるようになりました」というようなことがいいたいのではないかと思う。
つまり、流通によって、新たな「購書空間」が出現し、それに合わせるべく、コンテンツが変容していく――。

本書の後半で、マンガが日本でのみかくも巨大な市場を得たのは、日本独特の出版流通の力が大きいのではないかという指摘がある。
この指摘は大変面白い。

というわけで、本書は細部が充実。
序章と終章はなければよかったのにと、個人的には思うけれど。

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