アマチャ・ズルチャ

「アマチャ・ズルチャ」(深堀骨 早川書房 2003)

副題は「芝刈天神前風土記」。
カバーイラストは土橋とし子。
ハヤカワSFシリーズJコレクションの一冊。

短編集。
収録策は以下。

「バフ熱」
「蚯蚓(みみず)、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」
「隠密行動」
「若松岩松教授のかくも驚くべき冒険」
「飛び小母さん」
「愛の陥穽」
「トップレス獅子舞考」
「闇鍋奉行」

「こたつで読みたいバカバカしい本」というテーマで、「たら本」の主催をさせていただいたさい、「ほとんど積読(たまに読む)日記 」のcatscradle80さんが紹介されていた1冊が、この本。

じつに濃厚なナンセンス小説。
バカバカしさの航続距離が、とんでもなく長い。
このへんで着地するかと思うと、まだ飛んでいる。
K点はとっくに越えているのに、着地する気配すらみえないといった風。

短篇は副題のとおり、どれもひとつの街を舞台にしたもの。
簡単に全編の紹介を。

「バフ熱」
棟方志郎は謎の奇病「バフ熱」に冒されていた。
バフ熱はバフ貝を摂取することにより感染する病気。
そのうち「バフバフ」としかいえなくなって死にいたるという。
ところで、志郎には食用洗濯バサミの開発という悲願があった。
きっかけは、妻の「洗濯をしているとおなかがへる」というひとこと。
志郎は妻に支えられながら、食用洗濯バサミの開発に取り組む。

病気はほかにも、ポペ熱とかプハ熱とかがでてくる。
ポペ熱はポペパラガス、プハ熱は刺身によって感染。
と、まあ、外枠は夫婦の話で、場面場面は紋切り型といってもいいくらい。
けれど、病気や食用洗濯バサミといったキテレツな設定が強烈な異化効果を発揮している。
くわえて、展開の無軌道さには目を見張らされる。

「蚯蚓(みみず)、赤ん坊、あるいは砂糖水の沼」
田々口牛於は、帰宅途中、駅前のコインロッカーからため息のようなものを聞く。
スナックのマスターにその話をしていると、とある外国人が話に混じってくる。
「国際『物の霊性』研究学会日本支部長」レヂナルド・キンケイドと名乗るその男とともに、田々口はなにやらいわくありげな駅の器械室に侵入するはめに…。

著者の処女作だそう。
テーマ的に「どんがらがん」(アヴラム・デイヴィッドスン 河出書房新社 2005)に収録された、「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」に近いものがあり、あんなへんてこ小説と同テーマの作品が存在するのかと、読んでいる最中びっくりした。
けっきょくニアミスだったけれど。
著者は場面転換が巧みで、この作品でも、スナックでの会話から話されている内容のシーンへと、テンポよくいききする。
また、ラストのほのめかしかたもみごと。

「隠密行動」
「おっさん」からのよくわからない指示を実行することで暮らしているイモ健の物語。

ナンセンスな作風の本書のなかでも、いちばんナンセンス度が高い。
ここの作品を突破できず、本を投げ出したひとも多いのではないか。
意味不明な描写がつづいたあと、とんでもない展開になる。
著者はアクションシーンというか、モノの運動を描写するのも大変うまい。

「若松岩松教授のかくも驚くべき冒険」
キノコをこよなく愛する若松教授は、南紅殻町(みなみべんがらちょう)に採集旅行に。
宿泊先には、クーデターのため亡命したオッケペケ共和国国王が。
さらに、国王を狙う殺し屋があらわれる。

これもまあ、ストーリーだけ抜き出すと紋切り型。
ただ、ぜんたいにキノコまみれだったり、国王が整形マニアだったり、殺し屋の武器が扇風機だったりするところが、異彩を放っている。

「飛び小母さん」
自堕落な浪人生茂が祖父の家をたずねると、そこに見知らぬじいさんが。
食い逃げが捕まったところを、たまたま祖父に助けられ、家に居ついたという。
このにせじじい、連日ワイドショーを賑わせている空飛ぶ小母さんを追いかけているのだが…。

空飛ぶ小母さんというのはナンセンス。
でも、飛ぶ原因はキャラクターの感情にもとづいている。
突拍子もない表現が感情にむすびついているという点、それまでの作品とはちがい一般小説に近い。

「愛の陥穽」
田々口牛於の母親、浅黄はマンホールのふたを「うすいさん」と呼び自宅に持ち帰る。
さらに、「うすいさん」に手編みのセーターなど着せる始末。
牛於と、父の耕作はとりあえず静観することにするが、そこへ下水道局マンホール担当課長と名乗る者があらわれ…。

例によって、牛於とスナックのマスターとの会話で話が進む。
この作品も一般小説風。
相手はマンホールだけれど。

「トップレス獅子舞考」
これは文字通り、「トップレス獅子舞」という架空の芸能に関する考証。

「闇鍋奉行」
江戸には4つの奉行があった。
寺社奉行、勘定奉行、町奉行、そして鍋奉行。
時は天保12年、東鍋奉行、田々口肥後守牛於は、老中水野越前守忠邦より、闇鍋奉行なる不逞のやからの討伐を命ぜられる。

本編に登場したキャラクターたちによる時代劇。
全作品の総仕上げのような、キテレツな作品。

さて、本書を読んでいて思い出したのは、内田百鬼園先生の小説群だった。
無表情で奇妙なことを語り続ける、不気味なナンセンスさ。
ただ、内田百鬼園先生の小説は、ひとつのイメージを語った短いものが多いけれど、本書の作品はみな長い。
文章のリズムも、会話のテンポも、場面転換のタイミングもうまいものなのだけれど、長くて、どことなく重いから、読み通すのに大変体力がいる。
もう少し軽くしてくれれば読むのが楽なのになあ、というのが率直な感想。

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