たらいまわし本のTB企画第41回「私家版・ポケットの名言」

たらいまわし本のTB企画
通称「たら本」。

第41回目の主催者さんは、ソラノアオの天藍さん。

今回のお題は「私家版・ポケットの名言」

「本の海から掬い上げた、「打ちのめされた」一言、「これがあったからこの本を最後まで読み通した」という一行、心震えた名文・名訳、名言・迷言・名台詞、必読の一章…、そういった「名言」をご紹介くださったらと思います」

「たら本」では、あの本どこだーと部屋中さがしまわるはめになるのだけれど、今回はいつもにもまして本が見つからない!
最初に思いついたのは、カー先生の「三つの棺」(ジョン・ディスクン・カー 早川書房 1979)。
かの有名な「密室談義」について書きたかったのだけれど、見つからなかったのでパス。
うーん、無念だ。

次に思いついたのが、田村隆一の詩。

「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」

「帰途」というタイトルの詩の冒頭。
このあとこうつづく。

「言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか」

だれしも一度はこういうことを思うんじゃないだろうか。

この詩も手元には見当たらず、図書館で「詩人からの伝言」(リクルートダ・ヴィンチ編集部 1996)を借りて確認した。
この本は語りおろしのエッセイ集。
ざっくばらんな田村さんの語り口がたいへん楽しい。
長薗安浩さんもまとめ上手。

この本をぱらぱらやっていたら、鉛筆で線が引いてある箇所を見つけた。
図書館の本にこんな無法をしてはいけない。
でも、線を引きたくなる気持ちもわかる名言。
せっかくなので、ここに参加してもらおう。

詩の誕生について語った章で、田村さんはC・D・ルーイスを引用しながら、こんなことをいっている。

一篇の詩の「種子」が、詩人の想像力を強く打つ。
「種子」は体内に入り、だんだん成長する。
いよいよひとつの詩を書きたいという欲望に駆られて、詩が誕生する。
つまり、詩はレトリックで生まれるんじゃない。

「詩人の感情の歴史を抜けて飛び出してくるものが、詩なんだ」

つぎは絵に描いた「幸田露伴」(筑摩書房 1992)。
「ちくま日本文学全集」の一冊。
この本に収められた「突貫紀行」の、冒頭の一節。

「よし突貫してこの逆境を出でむ」

この文句はおぼえてしまって、ときどき口ずさむ。
まるまる一文を引用すると、こう。

「身には疾(やまい)あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐(お)えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり」

北海道余市の電信局に勤めていた露伴は、文学の夢やみがたく、20歳のとき故郷東京にむかい突貫する。
それがこの紀行文。
余市から船で函館にいき、青森に。
東京に直行するには先立つものがたりなかったし、見聞を広くするには、「陸行にしくなし」。
で、青森から郡山まで歩き、そこから列車。
東京に着いたときは、余市を出発してからひと月ちょっとたっていた。

たいへんな旅だったのだろうけれど、若さのためか、文語体のためか、どこかしらのんきな感じがただようところが好ましい。
それにしても、文語と名言はよく似合うなあ。

いま、「自己鼓舞型名言」ということばを思いついた。
「突貫紀行」もそうだけれど、自分で自分をはげますことば。
これは、名言の王道かもしれない。

そこでつぎは、「自省録」(マルクス・アウレーリウス 岩波書店 2007)。
なにしろ、ローマの皇帝が書いたのだから、王道中の王道だろう。
…と、思ったのだけれど、本が見つからない。
泣く泣くパス。

代わりといってはなんだけれど、

「私がさがすと必ずない」

という名言を思い出した。
山本夏彦さんの名言。

山本夏彦さんは、牛のよだれのようにおびただしい名言を書きつけたコラムニスト。
その数多い著作からは、「ダメの人」(中公文庫 1994)を挙げよう。
それにしても、すごいタイトルだ。

ダメの人というのは、世の中すべてをダメとムダと観ずるひとのこと。

「ダメの人は、自分がダメであることを自慢しない。それは我にもあらずダメなので、どう考えてもダメなのである」

山本夏彦さんは、コラムニストのくせにときおり物語調の文を書く。
それがどれも滋味あふれるもので、「ダメの人」もそのひとつ。
少年のころ、ダメの人に会いにシナにおもむいたが会えず、かわりにダメの人の言行録をもらってきたという趣向で、名言を書きつらねている。

「――とかくこの世はダメとムダ」

このことばに、山本さんはこんな解説をつけている。

「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生まれたこと、私が生きていること、私が何かすること、またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない」

「私の存在そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう」

かと思えば、こんな名言も載せる。

「――ダメだダメだと言う奴なおダメだ」

どっちなんだよ!と、いいたい。
まあ、名言というのは平気で矛盾しているものかもしれない。

さらに山本さんはダメが流行ることまで考えた。
「それが流行とあれば、人はどんなことでもする」
そこで、こういう名言を記す。

「――ダメを気どってもダメ也」

じっさい山本さんが危惧したとおり、ダメが流行る時期というのはある。
なんという慧眼だろう。

フィクションの名セリフもとり上げたい。
ふと、「ハルーンとお話の海」(サルマン・ラシュディ 国書刊行会 2002)を思い出したので、これを。

この本は、子どもに読まれない児童書という感じの、寓話的なファンタジー。
ハルーンのお父さんは王国一の語り部。
けれど、ハルーンが「ほんとうでもないお話がなんの役にたつ?」といったために、お父さんは物語する力を失ってしまう。
お父さんの物語る力をとりもどすため、ハルーンはひょんなことから出会った水の精モンモとともに、「お話の海」へと旅立つ。

本来、「お話の海」は、色とりどりの「お話の海流」が生き生きとからまりあっているところ。
しかし、「お話の海」は闇の勢力により、死滅させられそうになっていた。
その惨状をみたモシモは、思わず声をあげる。

「おれたちが悪いんだよ。おれたちが海を守らなくてはいけないのに、ろくに守らなかった。海を見ろよ、見ろよ! 最古のお話を見ろよ。朽ちるがままに放っておいた。ぜんぜんかまわなかった。こんな汚染が始まるずっと前からだぞ。……」

訳者、青山南さんによるあとがきによれば、この本はラシュディが潜伏生活中はじめて書いた本だそう。
ラシュディの体験が反映しているとして、この本の冒頭に掲げられたエピグラフを青山さんは引用している。
青山さんにならって、最後にエピグラフの一節を記しておこう。

「読んでくれ、故郷のきみたちのもとに連れていってくれ」


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