かぶれの世界(新)

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(実験)新聞レス生活の経過報告(訂正)

2020-05-04 21:22:01 | ニュース
申し訳ないのですが、先月30日に投稿した記事を訂正します。考え方に変わりはないのですが、何を言いたいのか我ながら分かりづらい、加えてよく指摘される単なる国語の問題「てにをは」の誤りが多い。ということで恥ずかしながら以下に訂正します。

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田舎に来て節約の為に新聞とCATV無しの生活を半月過した。今、自分が偏った意見に傾きがちになった気がする。外出自粛で会話する人が限られ、テレビ漬け生活を過したせいかもしれない。最大の原因は感情的に煽るコロナ報道を連日見て、反発する私の考え方が皮肉にも偏って来たと感じる。

東京にいた時は日本経済新聞を熟読し、1面の見出しと2面以降のサイド情報や反論を読み、ネットで海外情報を取り多様な見方に触れ視野を広げることが出来た。日経の判断基準は感情抜きの経済データで、テレビ報道の感情的「思い入れ哲学」に比べ、大局を見失う恐れが少ない。この半月間見た朝夕のニュースバラエティは素人意見を一方的に報じ、異なる意見を併記する新聞と対極にあった。

(脱線その1)例外もあった。テレビ朝日の昼のニュース番組の男性アナウンサーが挿むコメントは、大局観を失わず感情的な議論を軌道修正する貴重な役割を果たしたと感じた。マスコミが不安を煽る報道をしたと反省も口にした。彼が会社の報道姿勢に影響力を持っているか不明だが、少なくとも彼の存在は許容されているようだ。(素人判断にケチをつける私が素人テレビ評論家みたいな発言をする皮肉。)

コロナ報道では素人のコメディアンとかタレントが、専門知識不足で具体的なデータに基づかない個人的感想(テレビ局の意見かも?)を繰り返し発言していた。異なる意見の専門家に議論させ、素人の疑問や意見を挿み視聴者に考えさせるのがあるべき報道スタイルだと私は思う。だが、おかしいのは日本だけではない、都合が悪いと偽ニュースと決めつける某大統領もいる。

(脱線その2)私には忘れられないエピソードがある。ベトナム戦争時にNYタイムズの名物記者が問題指摘する記事を3面に載せ、それでもってNYタイムズは戦争に反対したと言い訳をした、だがそれでは反戦のメッセージは伝わらなかったと記者は後年反省の弁を述べた。最も大事なことを明確にして伝えることがいかに大事か、コロナ報道を見ると時々このエピソードを思い出させる。

言い訳に戻ると、こんな番組を見るたびに田舎の独居老人の私は一人で反発した。コロナ対策は一貫して人命重視、つまり死者を減らすことだった。その為には医療崩壊を防ぐ、更にその為には感染のオーバーシュートを遅らせ、感染者増を緩やかにして限られた医療システムで対応、という専門家が提案したシナリオに沿って進み、その時々の状況変化に対応していった。

その次のステップはコロナ感染を終わらせる為、人と人の社会的距離をとり感染を防ぐという凡そ原始的な対策をとった。治療薬がなく止む無く打った対策だ。それが我国最高の専門家が考え、政治が緊急事態宣言した対策で、現在はその効果が徐々に出始めたという状態だ。だが、効果が出始めると報道の優先度が変わったかのように、個別対策の問題に時間をかけ他国と比較するようになった。元々の人命重視の対策が機能しているかどうかの最優先事項が後回しで報じられ私はイラついた。

基本シナリオを十分理解せず日々の出来事に反応し、感染者数も死者数も桁違いに多い海外の対応策を称賛するか如き報道を毎日見るのは辛かった。基本シナリオを実行する過程で不幸な犠牲者が増えているが、我が国は犠牲者数が極めて少ない。素人は検査数が少ないと報告を否定するが、報道では疫学的統計学的に根拠ある数字で議論すべきだ(そういうレポートもあるが何故か紹介されない)。素人の数学的バックグランドでは理解は難しいのは分かる。だが、最近になって新しいアプローチとして抗体検査が海外から日本にも取り入れられ、この議論を進める可能性が出て来たと感じる。

タレントの感想を毎日聞かされてイライラし、それに代わる情報をネットに求めた半月だった。実際にはネット情報は千差万別で、極端な自己主張が散見されて参考にならなかった。結果的に天邪鬼な私は一部ニュースバラエティ番組の極端な主張とは逆の意見に傾いて来たと感じる。報道には適切な指摘や提案もある一方、私も偏見があったと感じて自分自身の劣化を情けなく思った。

(脱線その3)最近の特にデジタル世代の人達は新聞を読まなくなった、主たる情報源はインターネットと聞く。世界的な傾向だ。私の子供達も新聞を購読してない。彼等はどう情報を入手し判断しているのか気になる。米国では人々は活字離れから更に進んでテレビ離れが進んでいるという。彼等は見たいニュースだけを見、意見を交換せず対立して分断が進んだ。塩野さんが指摘した「人は聞きたいことのみ聞く」という人間の性(さが)だが、我々が絶対に避けたい道だ。

脱線したが、私は「新聞レスと偏りテレビ」でも何とか大局観を失わないでいる。異なる意見のテレビニュースを見るよう努めている。日本は米国みたいに分断して欲しくない。報道を公平に評価する第三者組織が望ましい。この先も事態は変化し重大な局面を迎えると思う。一方、いつかコロナは終わる。東日本大震災や西日本豪雨の時でも責任追及から復興を評価する報道になって人々は前向きになれた。コロナ後の世界は、復興より別の新世界に向かう競争になる。私は新世界で働く子供達を後押したい。

【言い訳】書き出しとは違う結びになり申し訳ありません。新聞購読を止めたらテレビの影響(反発を含め)を受けるようになった。結果的に私自身が素人テレビ評論家になった。記事を訂正した積りだが、読み返すとやはり分かり難い。自分の考えが纏まってないのが原因だと思う。■
コメント
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