かぶれの世界(新)

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天国と地獄の「立山黒部アルペン」の旅

2017-04-24 20:43:16 | 旅行
土日の2日間を使って旅行会社の主催するツアー「立山黒部アルペンルート」に参加、息子と家内と一緒に黒部ダムや人気の雪の大谷に行ってきた。初日は富山県宇奈月温泉から黒部峡谷トロッコ電車に乗り笹平を往復、2日目は長野県白馬から扇沢経由黒部ダムの堰堤・室堂の「雪の大谷」を歩き再度富山県の美女谷に下りて深夜に東京に戻った。特に2日目の山の天気は最高で素晴らしい眺望と珍しい経験をすることが出来た。

何故表題が「天国と地獄」かというと究極の好運と不運に同時に巡りあったからだ。天国は予期せぬ好天だ。初日早朝東京を出て夕方長野県白馬のホテルに到着するまでずっと曇天で計画通りに進んだ。天気予報を見て2日目も同じと覚悟していた。ホテルからバスでアルペンルートを走り高度を上げるにつれ雲が消え、扇沢でトロリーバスに乗りトンネルを抜け黒部ダムに着くと、青い空に白い山々と凍った水面のダム湖が広がっていた。

その後、ケーブルカーで黒部平、ロープウェーで大観峰、トロリーバスで室堂へと高度を上げる度に絶景が広がり北アルプスの山々が360度のパノラマで見えた。添乗員さんも長い経験で2、3度しかない景色だという。中でも壁の高さが最高19mになる「雪の大谷」の散策は他では味わえない珍しい経験だった。下界にいる時は曇天で諦めていたのに、まさかの天候の激変は本当に幸運だった。

それは皮肉にも今年最高の1万人以上の人出を誘った。キャパ以上の人が高度差2500mを上り下る専用のトロリーバス・ケーブルカー・ロープウェイなど6種類の手段を乗り降りしたら大変なことになる。添乗員はツアー客の員数確認と切符確保で手一杯になる。乗り場やレストラン・お土産屋さんは何所も満員電車状態で食事は満足に取れず、乗り物は遅れが累積して行き最後に越後湯沢で乗り換える予定の新幹線に間に合わず、自宅に着いたのは深夜12時を過ぎていた。天候の幸運を全て使い切った。

添乗員によると2日前(木金)に今年最初の同じツアーをやった時は、天候はずっと曇りで北アルプスの山々は見えず、平日もあって人出は少なく計画通りに粛々と予定をこなし何の感激もなく東京に戻って行ったという。我々週末ツアーは絶好の天気で、どこも芋を洗う混雑の中ロクな食事もとれずスケジュージルはべた遅れでヘトヘトになって深夜帰る。この「天国と地獄」のどちらを選ぶか「究極の選択」を迫られたら、私は疲れの残る翌日考えても地獄をとる。しかし、一度で十分だ。

ここからは例によって根拠曖昧で大胆な私見を紹介する。
(1)黒部ダムから室堂には海外からの観光客が圧倒的に多かった。中国・韓国・東アジアからの人達が多かった。白馬では豪州のスキー客が増えたと聞いたが、アジア系に比べイモ洗いのような大混雑は嫌いなのではと思う。インドネシア風の濃い肌のドキッとするようなエキゾチック美人に引き付けられ、ついつい何かと理由をつけ話しかけてしまった。

(2)スマホを棒切れの先に取り付けた女性達を見かけた。私の目には棒切れと言っても伸縮自在でハイテック機能がありデザインや色使いがおしゃれ、二人連れの可愛い女性に聞くと、予想した韓国ではなく香港からだった。家内に日本人でさえ馴れ馴れしく話すると失礼だと前日文句を付けられたが治らない。

(3)北アルプスの山々を3県にわたる地点から見ることになり、山の全く違う表情を見て感動した。大雑把に言うと270度の視点から山の形を見たことになる。だが、夕方帰りの富山県海岸線を走る高速道路から見た立山連峰と剱岳の姿が最も美しく感じた。富山の人は幸せだ。説明を聞いて後立山とか表・裏とかいうのはどうも富山県から見ての発想のようだ。40年前「後立山縦走」した時、「裏銀座」と聞いて頭を捻ったがその訳が分かった。

(4)旅行会社の主催する観光ツアーだが、私は以前投稿した本格的な登山靴で参加した。だが99%不要で乗物の中で重く暑苦しいだけだった。役に立ったのは雪の大谷を歩いた時、コースによって除雪してない部分を歩いた時だ。昔やった「スノースケーティング」をトライしたが、膝がぐらぐらして出来なかった。

(5)参加したツアーは東京‐越後湯沢を新幹線で行き、そこから地方バスで253号線を通り上越(元の直江津)で高速道路に乗って宇奈月に行くという、私には不思議なルートを通った。添乗員は会社の方針で同じ時間で走れコストダウンできるからという。お蔭で十日町市の河岸段丘とか、変わった彫刻がある松代、「ほくほく線」という変わった名前の地域鉄道などを知った。多分二度と通らないルートだが決して悪くはなかった。

(6)白馬に来る豪州人スキーヤーが増えているのは本当らしい。ツアー客が分泊したランクが上のホテルの受付3人は、全員日本語ペラペラの豪州人女性だったそうだ。同じ白馬でも我々の泊まった栂池はかつて栄えたが、今は手入れされないすすけた感じという印象が強かった。だが、越後湯沢はもっと寂しかった。■

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