かぶれの世界(新)

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人口減少問題は高齢者の責任

2014-06-06 12:25:14 | ニュース

70年代には問題が予測されていた

30年以上前に職場の同僚と子供の数で冗談交じりの会話をしたのを今でも覚えている。「意図して子供一人の夫婦は非国民だ、子供が3人いる俺達はお国に貢献している」と。そういう会話があったように、当時既に合計特殊出生率が2を切り、今日の少子高齢化問題が予測されていた。だが、問題は認識されていたのに何ら効果的な対策が打たれず今日を迎えた。

優れた政策で経済がすぐ上向くようにはいかない、人口問題は注ぎ込んだ政策の効果はすぐに出ないし、自分の時代に効果が出て来る訳でもない。今が良ければ良いと考えたら優先順位は低くなる。そうやってずっとやってきた。飛躍するが日本が太平洋戦争に突入して行った時と同じ構図だ。政治もマスコミも国民も目の前の痛みを優先し、たまに分かったような口をきいてもアリバイ作り程度以上の熱心さは無かった。私に言わせれば地震対策なんかより切羽詰った深刻な問題、少子化問題は「今ここにある危機」だと思う。

少子化の犯人は高齢者と東京

今、子供が少ないのは一人当たりの出産数減よりも、最大の原因は母親の数が減っている為だ。つまり、出産可能な年令(20代-30代)の女性が減っていることだと4日に発表された人口動態統計は物語っている。となると、どうも私達高齢者が子供を産まなかったのが原因ということになる。老後の生活の為に年金の過不足を議論をする高齢者は、人口減少問題の原因を自分が蒔いたことに気付いているだろうか。本件については高齢者は「やらずぼったくり」の時間差攻撃の現行犯だ。

もう一つは東京が少子高齢化の最悪の原因になっていることだ。地方から人を引き込みしかも再生産しない、ブラックホールになっている。政府発表のデータによると東京の出生率は何と1.13だという。この責任は重い。加えて東京以北の地方の出生率が軒並み低い。沖縄をはじめ九州各県は1.59から1.93と高い出生率なのに対し、大都市に加えて北海道・東北の出生率が1.131.34と絶望的に低い。しかし少なくとも地域別のトレンドは明確だ。

保育園の充実とか女性・高齢者の就業が少子高齢化に有効だとしても、私に言わせれば東京が変われば少子高齢化の問題は半分解決すると思う。東京の出生率改革は舛添知事の最優先政策課題であり、特別区を作り子供を持つ親を徹底して優遇する施策を実行すべきだ。身の周りを見回すと、昔宿場町だった東京の郊外にある自宅でも、向かいの家は40前後の男性が母親と二人暮らし、隣は退職したばかりの独身男性、片方は空き家だ。危機が忍び寄っている。

今そこにある危機

それは地方に行けば先々の問題ではない、現在の問題だ。私は東京と田舎に住んで両方に問題があるのを実感している。四国愛媛県の地方都市周辺部の集落に私の実家がある。私も含めると独居老人が3人、独身の独居中年男性が3人、残りの数軒は複数人数で構成される3世代家族で、高校生以下の子供が計4人いる。深刻なのは子供のいる家庭の3人の母親が離婚して出ていき、この集落には上記の出産可能な女性が現在一人もいないことだ。

独身の中年男性が結婚する可能性は限りなくゼロのように私には見える。彼等は先祖から伝わる農地で農業をして暮らしている。一体どうするのだろうか、私は怖くて聞けない。これから30年経った時にこうなるだろうという景色は悲惨だ。4人の子供達がこの地に留まっている理由は皆無だ。この景色を改善する余地がまだ残っているだろうか。残念ながらここには無いと思う。

今後全国的なレベルで農地だけでなく農業従事者の住居が集約され、その流れに押し流されて実家のある集落は消滅すると私は推測する。避けられない流れだ。ここは山間部にある訳でもなく、高速道路や国道にJRも走り、近くに全国フランチャイズの店も殆ど揃っている。だがいくら便利でも人がいなくなるのは時間の問題だ。

高齢者の言訳

高齢者の一人として白状すると、3人の子供の父親と言っても子育ては殆ど家内の仕事だった。当時は高度成長時代で私は猛烈サラリーマンで、休みもとらず連日深夜まで働いた。何の疑問も持たず、子育てどころか家事を手伝うこともなかった。時々家族旅行に行ったが、殆ど家内が計画して私はそれに従っただけだ。子供をきちんと育ててくれた家内には感謝している。

私は例外ではない。当時のサラリーマン(つまり現在の高齢者)はこういった連中が大多数だったと思う。当時は「貧乏人の子沢山」という言葉が残っていたくらいで、お金が無くとも沢山子供を抱える家庭があった。だが、既に豊かな暮らしを維持するために子供の数を抑制する傾向が出始めていた。それが冒頭の会話に繋がった。更に昔に遡ると食って行かれないという理由で、特に東北の貧しい家庭で生まれた子供を殺す「間引き」と言う習慣があった。これほど極端でなくとも、シュリンクしていく日本の身の丈に合った生き方に戻るという気持ちが一方にある。

言い訳をさせて貰うなら、私が体を壊す寸前まで猛烈に働いた(当時はバーンアウト或いは燃え尽き現象といった)からこそ、今日の生活がある。そっちの方は当たり前で、私が子育てに協力せず時々家族とギクシャクした関係になるのは不公平と、田舎で一人感じることもたまにある。だが、それが人情の機微というものと諦めの気持ちも一方である。

高齢者の覚悟

いずれにしろ、これから高齢者は覚悟して生きていくべきだ。近所の老農夫が畑仕事をし家に帰る途中道路脇で一休みしそのまま亡くなった例を、死に方のお手本として以前紹介した。高齢者は長生きしていい、しかし死ぬときは他人に迷惑をかけるな。死ぬ直前までピンピンしていて、ある日ぽっくり亡くなる。これが理想だ。医療費や介護で孫子に面倒かけないよう健全に死ねと。

昔サムライは死に場所を重んじた。秀吉の軍師だった竹中半兵衛は病気を押して戦場に向かいそこで死んだという大河ドラマを見て感じた。人には夫々死に場所がある。百姓は畑で、役者は舞台で、サラリーマンは会議の席上で(迷惑?)。つまり死ぬ直前まで人の役に立つ。それでは今や退職して無職の私は?実家の田んぼは嫌だ。どっか旅先のホテルがいいかな?■

コメント
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