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残業代ゼロは争点ずらし

2014-06-09 23:03:47 | 社会・経済

 効果的な反論と背景

 政府の成長戦略として産業競争力会議が提案するとされる新たな労働時間制度は、労働組合(連合)などはこの提案を「残業代ゼロ」と言って強硬に反対していると報じられている。一部メディアも組合側に同調しているようだ。新制度は現行の労働基準法適用の例外を提案するもので、故にエグゼンプション(免除)と言われる。

 「残業代ゼロ」は人々の心情に訴え中々効果的な反論だが、残業代ゼロの問いかけに私は疑問を感じる。逆に何故日本だけこれほど論議になるのだろうか。何か日本には特別な理由があるのだろうか。労働組合やマスコミは最近のブラック企業やかつてのサービス残業などを経験し、日本の労使慣行が労使対等の関係などあり得ないと信じているからだと思う。

 私もそうだった

 実は今回「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)」と呼ぶのを新聞を見て初めて知った。私が米国で働いた会社ではホワイトカラーは全て「エグゼンプト」と呼ばれ残業代が付かず、現場の時給労働者はノン・エグゼンプトもしくはウェイジ・ワーカーと呼ばれ区別されていた。

 会社が支払う報酬は区別され、エグゼンプトは会社と契約したサラリー(俸給)、ノン・エグゼンプトは労働スキル・経験と職種で決まるウェイジ(時給)X労働時間で決まった。この制度は欧米では一般的で、制度見直しや労使間の問題になっていると聞いたことが無い。残業代ゼロだというクレームを聞いたことが無い。日本はそんなに遅れた意識の低い国だろうか。

 世界の常識は日本の非常識

 私の理解では先進国は全て何の疑問もなくWEを導入している。その理由は簡単で、雇っている理由は被雇用者が働いて出す成果であり、成果を出すためにかかった時間ではない。至極当たり前の理屈のように私は思う。一緒に働いた海外同僚も同じように当たり前と思っていた。

 WEを「残業ゼロ」と否定するのは、小学生のかけっこで順位を付けるのを止めた運動会とか、試験結果を貼り出さなくなった期末テストと同じだ。一生懸命練習や勉強をして良い結果を出しても、何も努力しなかった生徒を同じ扱いにする。良い成績で報われなかった子供や両親が人前で恥をかかずに済ませる為か(どうせ厳しい世の中が待っているが)。

 WE反対は逆差別

 ここからは極論に入る。逆説的に言うと、WEの否定は優秀かあるいは努力して平均以上の結果を出した人達を逆差別し、搾取するものだと私は思う。勿論、多くの仕事はチームゲームでありお互いが協力しなければ成し遂げられない。だが、プロスポーツの世界は実力に応じて異なる報酬の選手たちが一体となって戦う。これが当たり前の世界だと私は思う。

 世界標準と比較すると日本のホワイトカラーの生産効率は極めて低い。同じ規模の海外企業と比較すると、同じ程度の売り上げで販売管理費が営業利益の半分を費やしてしまう。何の費用か、本社とか工場の間接部門の費用だ。いかに優秀なスタッフだとしても、結果として日本の強い現場が叩き出した利益を食い潰している。これが経理データから見れば簡単にわかる典型的な例だ。これで益々競争が厳しくなる世界市場で戦えるかが問われている。

 誰を罰すべきか

 私が最初に時間に関係なく仕事で報酬を得るようになったのは、30半ば過ぎて管理職になった時だ。それまでは猛烈に働いて長時間残業の手当てを含めると基本給の倍近くの月収があった。課長という名前で管理職サークルに入る名誉を得たが、昇進直後は残業代がなくなり月収は激減した。が幸運にも当時は高度成長時代、毎年給料が上がり数年で取り戻せた。

 今はそういう時代じゃない。本当に残業代がゼロになったら昇進か転職しないと取り戻せないかもしれない。だが、それは反対派のレトリックだ。現実は従来の残業代が配慮されている。昨日の日本経済新聞の論説委は、提案内容は「残業代ゼロでなくこれまで支払われてきた平均残業代を上乗せして新給与とする」と解説している(中外時評)。

 だとすれば問題はサービス残業を直接間接的に強いたり同種の違法行為をする企業に問題がある。そういう企業や管理職に厳罰を与える法制化を要求すべきであって、成果を出すために必死で努力する人達を平等という名で罰すべきではないと私は信じる。私の子供達には世界標準で働ける世の中にしてやり、一生懸命働いて成果を出して貰いたい。■

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