昼食をとってから、またシャトルバスに乗って袁家界に移動しました。
ここで有名なのは、岩峰が橋の形になった天下第一門です。谷底からは400mの高さがあります。
崖際に続く遊歩道を進みました。
いかにも仙境といった雰囲気です。
ここで、武陵源のいわれについて触れておきましょう。
武陵源とは唐代の詩人王維による七言絶句「桃源行」に出てくる桃源境を意味する「武陵源」に基づきます。1984年に中国の著名な画家が、この地を武陵源と呼ぶように提言して採用されたといういきさつがあります。
王維の「桃源行」は、東洋文庫中の「漢詩三百首」(平凡社)で読むことができます。
王維 桃源行
漁舟逐水愛山春
兩岸桃花夾古津
坐看紅樹不知遠
行盡青溪忽値人
(以下略)
このようにはじまりますが、表示できない漢字も入っているので、読み下し文を載せます。
漁舟(ぎょしゅう)水を逐(お)い、 山の春を愛す
両岸の桃花 古津(こしん)を夾(さしはさ)む
坐(そぞろ)に紅樹を看て遠きを知らず
青溪(せいけい)を行き尽くして忽(たちま)ち人に値(あ)う
山口(さんこう)より潛行すれば 始めは隈(わい)いく
山開け曠望(こうぼう)旋(たちまち)平陸
遙(はるか)に看る一處雲樹むらがるを
近づいて入(い)れば 千家 花竹散ず
樵客(しょうかく)初めて云う 漢の姓名
居人未だ改めず 秦の衣服
居人共に住む武陵源
還(ま)た物外に從って田園を起こす
月明(あきら)かにして 松下 房ろう静かに
日出(ひいで)て雲中鶏犬(けいけん)喧(かまびす)し
俗客ありと驚き聞いて 争って来たり集まり
競(きそ)い引いて家に還(かえ)って都邑を問う
平明 閭巷(りょこう) 花を掃(はら)って開き
薄暮(はくぼ)漁樵(ぎょしょう) 水に乗って入(い)る
初め地を避くるに因(よ)って人間(じんかん)を去り
更(さら)に神仙を問うに遂(つい)に還らず
峽裡(きょうり)誰か知らん 人事(じんじ)有るを
世中(せちゅう)遥かに望めば 雲山空(むな)し
靈境の見聞し難きを疑わざるを
塵心(じんしん)未だ尽きずして郷縣を思う
洞を出でて山水を隔つるを論ずる無く
家を辞して終(つい)に長く游衍(ゆうえん)せんと擬(ほっ)す
自ら謂(おも)う 經過旧(もと)迷わずと
安(いずく)んぞ知らん峰壑(ほうがく)の今や変ずるを
当時只(ただ)記す 山に入ること深く
青溪幾度(いくたび)か雲林に到りしを
春来たれば遍(あまねく)是(これ)花水の水
仙源を辨(べん)ぜず 何處(いずこ)にか尋ねん
むかし或る人漁舟に棹さし
山の春を賞しつつ谷を遡り
古い渡しにさしかかると
両岸に桃の花が今を盛りと咲いていた
うかうかと花に見とれて
だんだん遠くなるのも気づかず
激流の尽きるところまで来ると
忽然として異人に出逢った
舟を下りて山の洞をくぐって入ると
始めは道が狭かったが
進むにつれて山が開け眺めが広くなり
急に平地に出た
遥かに樹木がこんもり群がるところがあり
近づくと数多の家々の間に花や竹が散在していた
迷いこんだ樵夫が漢朝の名を告げたが
村人は始めて聞くようで
彼らはまだ秦朝の世の服装のままでいる
彼らは皆でこの武陵源に入って住み
人間世界の外にあって田園を開いたのだ
夜は月明るく松木を照らし
部屋の窓は静かに閉ざされ
日が出ると白雲かかる間に鶏犬の声が聞こえる
村人は俗界の人が来たと聞いて驚いて皆集まり
争って家に案内して世間の様子をたずねた
夜が明けると落花を掃いて閭巷(むらざと)の門を開き
日が暮れると漁夫(すなどり)樵夫(きこり)が水路に沿って帰ってくる
彼らは初め秦の乱を避けて人の世を逃れてきたが
ここに来てさらに神仙の生活を求めて還るを忘れた
この山かげに人が住んでいようと誰が知ろう
世間の人は遥かに雲かかる山を眺めるばかりだ
客はかかる霊地にあり難きを知りながら
俗心なお尽きぬままに故郷のこと忘れがたく
別れて洞穴を出てくるとき
いかに山水を隔てても
必ずついに家を出て
再びここに来て楽しく暮らすつもりだった
もと来た道を迷うこともあるまいと思ったのだが
豈計らんや今来て見れば
峰壑(ほうがく)の様子は変わってしまい
当時山深く入り 幾度か谷を渡り
雲かかる林に到ったことを覚えているばかり
春来れば桃花の水はどこにもみなぎって
仙境はどこにあるのかついに分からなかった
御筆峰の細い岩峰と違って、ここでは高層ビルのように角ばった岩峰が並んでいます。
このような他では見られない地形を張家界地形と呼びます。
今からおよそ4億年前、張家界のある一帯は南に位置し、海の中にありました。海の底には安定地塊という安定した岩盤があり、そこに石英の砂が川によって運ばれてきて堆積しました。堆積は長い時間をかけて静かに行われたため、非常に緻密な石英砂岩が形成されました。
海の中で堆積した石英砂岩は2億年前に隆起しました。その際にさまざまな圧力から解放された石英砂岩は膨張し、それによって、垂直の亀裂が生じました。その亀裂に雨が浸み込むと、岩が剥がれ落ちて亀裂は広がり、最後には細くなった岩の柱が残ります。このようにして、石の森の絶景が生まれました。
また岩峰には水平な縞模様が見られますが、このような水平な地層によって、岩峰が細くなっても倒れにくくなっています。
台地の縁には、縦の亀裂が深く刻まれて、いつかは分離して岩峰になりそうなものも見られます。
展望台も大賑わいです。
これ以降は、岩峰の眺めをお楽しみください。
ここで有名なのは、岩峰が橋の形になった天下第一門です。谷底からは400mの高さがあります。
崖際に続く遊歩道を進みました。
いかにも仙境といった雰囲気です。
ここで、武陵源のいわれについて触れておきましょう。
武陵源とは唐代の詩人王維による七言絶句「桃源行」に出てくる桃源境を意味する「武陵源」に基づきます。1984年に中国の著名な画家が、この地を武陵源と呼ぶように提言して採用されたといういきさつがあります。
王維の「桃源行」は、東洋文庫中の「漢詩三百首」(平凡社)で読むことができます。
王維 桃源行
漁舟逐水愛山春
兩岸桃花夾古津
坐看紅樹不知遠
行盡青溪忽値人
(以下略)
このようにはじまりますが、表示できない漢字も入っているので、読み下し文を載せます。
漁舟(ぎょしゅう)水を逐(お)い、 山の春を愛す
両岸の桃花 古津(こしん)を夾(さしはさ)む
坐(そぞろ)に紅樹を看て遠きを知らず
青溪(せいけい)を行き尽くして忽(たちま)ち人に値(あ)う
山口(さんこう)より潛行すれば 始めは隈(わい)いく
山開け曠望(こうぼう)旋(たちまち)平陸
遙(はるか)に看る一處雲樹むらがるを
近づいて入(い)れば 千家 花竹散ず
樵客(しょうかく)初めて云う 漢の姓名
居人未だ改めず 秦の衣服
居人共に住む武陵源
還(ま)た物外に從って田園を起こす
月明(あきら)かにして 松下 房ろう静かに
日出(ひいで)て雲中鶏犬(けいけん)喧(かまびす)し
俗客ありと驚き聞いて 争って来たり集まり
競(きそ)い引いて家に還(かえ)って都邑を問う
平明 閭巷(りょこう) 花を掃(はら)って開き
薄暮(はくぼ)漁樵(ぎょしょう) 水に乗って入(い)る
初め地を避くるに因(よ)って人間(じんかん)を去り
更(さら)に神仙を問うに遂(つい)に還らず
峽裡(きょうり)誰か知らん 人事(じんじ)有るを
世中(せちゅう)遥かに望めば 雲山空(むな)し
靈境の見聞し難きを疑わざるを
塵心(じんしん)未だ尽きずして郷縣を思う
洞を出でて山水を隔つるを論ずる無く
家を辞して終(つい)に長く游衍(ゆうえん)せんと擬(ほっ)す
自ら謂(おも)う 經過旧(もと)迷わずと
安(いずく)んぞ知らん峰壑(ほうがく)の今や変ずるを
当時只(ただ)記す 山に入ること深く
青溪幾度(いくたび)か雲林に到りしを
春来たれば遍(あまねく)是(これ)花水の水
仙源を辨(べん)ぜず 何處(いずこ)にか尋ねん
むかし或る人漁舟に棹さし
山の春を賞しつつ谷を遡り
古い渡しにさしかかると
両岸に桃の花が今を盛りと咲いていた
うかうかと花に見とれて
だんだん遠くなるのも気づかず
激流の尽きるところまで来ると
忽然として異人に出逢った
舟を下りて山の洞をくぐって入ると
始めは道が狭かったが
進むにつれて山が開け眺めが広くなり
急に平地に出た
遥かに樹木がこんもり群がるところがあり
近づくと数多の家々の間に花や竹が散在していた
迷いこんだ樵夫が漢朝の名を告げたが
村人は始めて聞くようで
彼らはまだ秦朝の世の服装のままでいる
彼らは皆でこの武陵源に入って住み
人間世界の外にあって田園を開いたのだ
夜は月明るく松木を照らし
部屋の窓は静かに閉ざされ
日が出ると白雲かかる間に鶏犬の声が聞こえる
村人は俗界の人が来たと聞いて驚いて皆集まり
争って家に案内して世間の様子をたずねた
夜が明けると落花を掃いて閭巷(むらざと)の門を開き
日が暮れると漁夫(すなどり)樵夫(きこり)が水路に沿って帰ってくる
彼らは初め秦の乱を避けて人の世を逃れてきたが
ここに来てさらに神仙の生活を求めて還るを忘れた
この山かげに人が住んでいようと誰が知ろう
世間の人は遥かに雲かかる山を眺めるばかりだ
客はかかる霊地にあり難きを知りながら
俗心なお尽きぬままに故郷のこと忘れがたく
別れて洞穴を出てくるとき
いかに山水を隔てても
必ずついに家を出て
再びここに来て楽しく暮らすつもりだった
もと来た道を迷うこともあるまいと思ったのだが
豈計らんや今来て見れば
峰壑(ほうがく)の様子は変わってしまい
当時山深く入り 幾度か谷を渡り
雲かかる林に到ったことを覚えているばかり
春来れば桃花の水はどこにもみなぎって
仙境はどこにあるのかついに分からなかった
御筆峰の細い岩峰と違って、ここでは高層ビルのように角ばった岩峰が並んでいます。
このような他では見られない地形を張家界地形と呼びます。
今からおよそ4億年前、張家界のある一帯は南に位置し、海の中にありました。海の底には安定地塊という安定した岩盤があり、そこに石英の砂が川によって運ばれてきて堆積しました。堆積は長い時間をかけて静かに行われたため、非常に緻密な石英砂岩が形成されました。
海の中で堆積した石英砂岩は2億年前に隆起しました。その際にさまざまな圧力から解放された石英砂岩は膨張し、それによって、垂直の亀裂が生じました。その亀裂に雨が浸み込むと、岩が剥がれ落ちて亀裂は広がり、最後には細くなった岩の柱が残ります。このようにして、石の森の絶景が生まれました。
また岩峰には水平な縞模様が見られますが、このような水平な地層によって、岩峰が細くなっても倒れにくくなっています。
台地の縁には、縦の亀裂が深く刻まれて、いつかは分離して岩峰になりそうなものも見られます。
展望台も大賑わいです。
これ以降は、岩峰の眺めをお楽しみください。