さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 タシャウズからダルワザ

2019年12月02日 | 海外旅行
タシャウズからダルワザに移動する際にも、立派なモスクがありました。



これは、民間用アパートのようです。これと同じ造りの建物が、他の町でも見られました。



かなり大きな川を渡りました。アムダイヤ川の支流でしょうか。



タシャウズのDASHOGUZホテルに到着しました。立派な建物でした。



ホテルのロビー。広々として立派ですが、人気が無くがらんとしていました。



客室。設備は整っていました。



窓の外にトルクメニスタンの国旗がはためいていました。

ナショナルカラーといえる濃い緑の地に、国の5つの州を表す5つの星が置かれています。新月はイスラム国家の印。左側の赤い帯には、やはり5つの州の伝統的な絨毯の模様と、平和・中立を示すオリーブの枝がデザインされています。

この複雑なデザインの国旗を見て疑問に思ったのは、お絵描きの時、子供がこの国旗を描く時どうするのだろうということです。日本の国旗なら、真ん中に赤い丸を書くだけで済みますけど。大人でも、トルクメニスタンの国旗を正確に描けるのだろうか。



夜には、このホテルは刻々と変わるカラーでライトアップされていました。





朝になって周囲を散歩してみると、民家は全く無く、立派な建物が周辺に建てられていました。展示場のようなものでしょうか。



陸上かサッカー用の競技場。

泊まったホテルは、これらの施設の利用者用に設けられたもののようです。



少し遠くに大きなモスクが見えていました。



地獄の門とヤンギ・カラの見学にはオフロード走行が必要なため、三日目から第六日目のトルクメンバシまでは、オフロード四駆での移動になりました。一台に三人が乗車し、その他に、テント泊のためのテントや食料を積んだ一台がチャーターされました。すべて、三菱あるいはトヨタの日本車でした。



まずは、タシャウズの市場を訪れました。残念ながら市場の中は、撮影禁止でした。



撮影は、駐車場脇の露店風景まででした。



添乗員が味見のために買ってくれたスナック菓子。

市場にあった酒店で、地獄の門でのテント泊の夜に飲むビールを買いました。荷物車に積んだクーラーボック内に肉と一緒に保管してもらい、夜には冷たいビールを飲むことができました。トルクメニスタンはイスラム教の国なので、限られた所でしたビールを売っていません。一応、自分でもビールとウィスキー少量は持ってきていましたが。



タシャウズ市内で昼食をとってから地獄の門のあるダルワザへ移動することになりました。

レストランは公園に面していましたが、その公園には銅像が置かれていました。髪の分け方から判断すると、独裁者として知られたサパルムラト・ニヤゾフ前大統領のように思います。



車を連ねて、一路ダルワザへに向かいました。



途中、道路脇でウリやスイカを売っていました。



夜のデザートのために果物を買ってくれました。



ウリは、シャキシャキとした触感でしたが、メロン並みの甘さでした。実も大きく食べでもあり、メロンよりもこちらのウリの方が好きになりました。



街を離れると荒野が広がっていました。



地面を塩が白く覆っている所を多く見かけました。

ソ連時代、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めました。アムダリヤ川の中流域にカラクーム運河を建設し、アムダリヤ川の水をトルクメニスタンの首都アシガバートのほうに流すようにしました。この結果、世界第4位の面積を持っていたアラル海が干上がるという20世紀最大とも呼ばれる環境破壊が生じました。

それと共に、塩害による環境破壊も大きな問題になりました。この地域はもともと海底であったことから、地表の少し下の土壌には塩分が多量に含まれており、そこに水分が加えられれば、地表からの蒸発散作用でカルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムといった塩分が土壌表面に析出することになります。最初は強制的な灌漑により耕作できた土地も、塩害の進行とともに放棄せざるを得なくなったといいます。

ここの地表に析出した塩分が、灌漑による塩害によるものかは判りませんが、トルクメニスタンの各地で、このような風景が見られました。





ダルワザへとカラクム砂漠を南下していきました。
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