さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ヨセミテ その6

2021年03月14日 | 海外旅行
1995年11月4日(土) 6:20 Yosemite Lodge発 6:23 Yosemite Fall Trail入口 7:07 Colonbia Rock 7:45 Upper Yosemite Fall下部 8:34 Upper Yosemite Fall分岐 8:52 Tioga Road分岐 9:36 Eagle Peak分岐 9:58 Eagle Peak 11:00 発 11:18 Eagle Peak分岐 12:08 El Capitan入口 12:15 El Capitan 12:45 発 12:49 Capitan入口 13:39 Eagle Peak分岐 14:18 Tioga Road分岐 14:32 Upper Yosemite Fall分岐 14:35 Yosemite Overlook入口 14:40 Yosemite Overlook 14:45 Yosemite Overlook入口 15:11 Yosemite Point 15:25 発 15:45 Yosemite Overlook入口 15:47 Upper Yosemite Fall分岐 16:15 Upper Yosemite Fall下部 16:40 Colonbia Rock  16:50 発 17:15 Yosemite Fall Trail 入口 17:25 Yosemite Lodge着

 ヨセミテフォールは、アッパー、カスケード、ロウアーの三段からなり、三つを合せると、落差738mになり、世界有数の高さを誇っている。ロウアーヨセミテフォールへのトレイルは、ヨセミテロッジから20分程の距離であるため、ツアー中の自由時間中に多くの観光客が訪れているが、滝の上までは、very strenous(非常に大変)な一日がかりのハイキングになる。前回は、ハーフドーム、グレイシャーポイントを楽しんだので、ノースリム上のピークに登ることにした。



ロウアー・ヨセミテフォール

 ロッジを未明に出発のつもりが、カーテンで閉ざされた部屋から外にでてみると、すでに明るくなっていた。先週サマータイムが終わって、時間の感覚が狂っているせいもある。(この時間感覚のヅレが、下山時に問題を生ずることになった。)ヨセミテロッジの裏手の、ガソリンスタンドの裏手のサニーサイドキャンプ場に入ると、すぐにアッパーヨセミテフォールへのトレイルヘッドが見つかった。アッパーヨセミテフフォール5.5km ヨセミテポイント6.8km イーグルピーク9.7km ノースドーム12.7kmとあった。ノースドームにも気が引かれたが、ノースリム上で最高点のイーグルピークをまず目指し、時間が許すなら、その名前に引かるエルカピタン
の頂上まで足を延ばすことにした。

 トレイルは、木立の中を小さく折り返すように付けられていた。岩が転がり、その間は砂地であるため、平な岩の上に足をのせると滑りやすかった。傾斜はそれほど強くなかったが、ひたすらジグザグを繰り返しながらの道が続いた。木に遮られて展望は殆ど無い道であった。汗が流れるようになった頃、視界の広がったコロンビアロックの展望台に飛び出した。岩の縁にはてすりが設けられており、谷を見下ろすと、眼下のヨセミテロッジには、まだ朝日は届いていなかった。逆光の中にハーフドームが大きかった。



アッパー・ヨセミテフォール

 滑りやすい砂地の斜面を登ると、その先は一旦下りになり、岩壁の下のヨセミテフォールの下部までのトラバースになった。ヨセミテフォールに水はほとんど流れていなかったが、水によって磨かれた岩壁に日が当たり、光の流れとなっていた。水量が豊富な時の水しぶきを肌に感じさせるような道であった。滝つぼへ降りる踏み跡があったが、水量の多い時に訪れてみたいものだ。

 岩壁に突き当たると、左手の岩壁との間のV字状の谷にそっての登りになった。不安定な石が転がった歩きにくい登りであった。1980年11月に、岩壁の崩壊によって3人のハイカーが死亡。また、他にも落石があったとガイドブックにあり、頭上にかぶさる壁が薄気味悪く思えた。滝を右手に見ながらのつづら折の登りとなり、ひと汗流すとY字路に出た。朝早くは、ヨセミテピークでは、ハーフドームの眺めが逆光になるため、先にイーグルピークを目指すことにした。トレイルは、深い原生林の中の緩やかの登りになった。下ばえのシダは、黄色に色づいていた。トレイルの脇には、巨大な松ぽっくりが落ちていた。国立公園では松ぽっくりの持出しは禁じられており、違反の場合は、125ドルの罰金になっているようであった。



イーグルピーク頂上



イーグルピークからの眺め。









ハーフドーム。



ロイヤルアーチ。



ヨセミテロッジ

 ノースリムを西に向かって、長く感じられる道を行くと、ようやくイーグルピークの入口に出た。僅かではあるが急な登りで、岩の積み重なった狭い山頂に出た。イーグルピークは、三つのピークが上下に重なったスリーブラザーの一番上のピークであり、頂上からは遮るものの無い展望が広がっていた。最高点の岩の上に立ってみるが、足下はバレーフロアまで続く1000メートルの絶壁で、恐怖が先に立ち、風景を眺める余裕は無い。一段下がった平な岩の上で風景を楽しみながらの休憩にした。誰もいない快晴の山頂は、辛い登りを忘れさせてくれた。ここからの眺めも、ハーフドームやグレイシャーポイントに優とも劣らない。ハーフドームを中心に左右に谷が分れ、その向こうにハイシェアラの山なみが連なっていた。まさに鳥になって、空に浮んだような眺めであった。ハーフドーム山頂からも素晴らしい眺めが広がっていたが、一番の弱点は、当たり前のことだが、ハーフドームが見えないことである。また、到着が昼過ぎになって谷の西方面が逆光になってしまう。また、グレイシャーポイントは、ハーフドームと谷の西方面が位置を変えないと見えず、なによりも車で到達し、観光客に混じって眺めることが気にいらない。このイーグルピークが、一番の眺めであった。青空の下に広がる素晴らしい眺めが、自分一人の物であった。岩の上に腹這いになって写真を撮り、双眼鏡を撮り出して、彼方の山をのぞいた。



エル・カピタン頂上。



エル・カピタンの岩壁に続く斜面。



ハーフドーム。





 ゆっくり休んだ後に、エル・カピタンに向かった。樹林帯の中を僅かに上下しながら進み、岩の露出した斜面を小さなケルンに導かれながらトラバースしていくと、左に道が分岐した。ここに標識はなかったが、左がエルキャピタンの山頂であった。エルキャピタンの山頂は、広い台地になっていた。中央に朽ちた標識の跡があり、松がまばらに生える中に石囲いをしたテント場があった。エルキャピタンの岩場を何日もかかって登ってきたクライマーが、勝利に酔いながら、一夜をすごしたのであろうか。斜面は初めは緩く、しかし次第にその傾斜は強くなって落ち込んでいた。少し下ってみたが、足下は不安定で危険なため引き返し、世界最大のエル・キャピタンの岩壁を上から見下ろすことはできなかった。



ヨセミテオーバールック

 時間もそろそろ余裕が無くなってきたので、戻りの道を急いだ。イーグルピーク方面は数人のハイカーに出合ったのみであったが、ヨセミテフォールとの分岐まで戻ると、ハイカーで賑わっていた。ヨセミテオーバールックの展望台に立つと、ヨセミテビレッジが足下に見え、高度感充分であった。



ヨセミテクリーク



ほとんど水が無くなったヨセミテクリーク。





ハーフドーム

 時間を気にしながら、ヨセミテピークに向かった。ヨセミテクリークは、少ないながら水が流れていたが、巨大な滝をまかなうには充分ではなかった。クリークを橋で渡ると、なかなか辛い登りになった。ヨセミテピークの展望台からは、残念なことにハーフドームは見えなかったが、岩の間を通って絶壁の縁に出ると、遮るもののないハーフドームの眺めが広がった。西日にハーフドームは美しく輝いていた。



夕日に染まるハーフドーム。



ハーフドームと月。







 すでに3時を越して、下山は足と太陽との競争になって、のんびりと眺めを楽しんではいられなかった。ヨセミテ滝の脇の急坂を急いで下って行くと、多くのハイカーに追い付くようになった。スニーカーで登ってきた者は、砂がのった岩に足を滑らせて、歩くのに苦労していた。もっとも、中には、スニカーで走って下って行く者もいたが。

 中間部のトラバースから、夕日に染ったハーフドームが眺められるようになって、写真のために足が止まり気味になった。ハーフドームの肩からは月が上ってきた。アンセル・アダムスの代表的写真であるハーフドームと月のモーチーフである。コロンビアロックで、腹を括って、写真のために太陽が沈むまで足をとめた。薄明かりの中を下山を急いだが、途中ですっかり暗くなり、懐中電燈が必要になるギリギリのタイミングでサニーサイドキャンプ場におりたった。途中で追い抜いたハイカー達は、懐中電燈を持っていたのか疑問であった。また、暗い中を登ってくるハイカーがいるのには驚いた。



土産に買ったアンセル・アダムスの写真集。

 ヨセミテを訪れる際に忘れてはならないアンセル・アダムス(1902~1984)について触れておこう。アンセル・アダムスは、アメリカの写真家でカリフォルニア州ヨセミテ渓谷のモノクロ写真で有名。環境保護主義を唱え、彼の作品は人の手が入る前のアメリカの国立公園の記録として、シエラクラブの活動を支え、環境問題への注目のきっかけとなった。



 写真集に収録されていた「月とハーフドーム」。

 彼の見た風景を、一部であろうが体験できた。
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