
天文台のジャンタル・マルタンに続いてシティ・パレスを見学しました。
マハラジャのサワーイ・ジャイ・スィン2世によって、1729年にジャイプルの街中に造られた宮殿です。現在もマハラジャ家が生活しています。
入り口を入ったところにあるのが、ムバラク・マハールです。

ムバラク・マハールは、イスラム、ラジャスタン、ヨーロッパの建築様式がミックスされています。

レセプションセンターとして使われていましたが、現在ではマハラジャの衣装が展示されています。なかなか興味深い展示物なのですが、残念ながら写真撮影は禁止になっています。

シティ・パレス内には、武器や絵画の展示館もありますが、室内の写真撮影は禁止でした。

ラジェンドラ門

門の左右には白大理石に彫られた象が置かれています。イスラムでは、人や動物の彫刻や絵は禁止されているはずなので、これは珍しいことです。

ラジェンドラ門を入ると、ディワニー・カースがあります。

高さ160Cm、容量900Lの世界で最大の銀製品としてギネスにも登録されている純銀製の壺が置かれています。
1902年にマハラジャが英国を訪問した際に、毎日の沐浴のために、ガンジス河の水を入れて持っていったものです。

ディワニー・カースは、貴賓謁見の間で、美しいアーチと柱が並んでいます。

武器を使って模様が描かれています。


歴代のマハラジャの肖像画が展示されているサブハ・ニワス。

チャンドラ・マハール。月の宮殿を意味し、マハラジャの住居です。

月の宮殿は、内部は非公開ですが、中庭が美しいとガイドブックに書かれていますが、案内されませんでした。

美しい窓が見られます。

回廊にマハラジャ一家の写真が飾られていました。ガイドの話によれば、先代のマハラジャの一人娘は、自家用運転手と恋におちて結婚する決心をしました。これはカーストの枠を越えての結婚ということでマハラジャ一族の反対にあい、ジャイプルでは結婚できず、デリーで結婚したといいます。結局、子供も生まれて、現在は幸せな生活をおくっているとのことです。
お金には不自由しないマハラジャでも苦労の種はつきないようです。
マハラジャのサワーイ・ジャイ・スィン2世によって、1729年にジャイプルの街中に造られた宮殿です。現在もマハラジャ家が生活しています。
入り口を入ったところにあるのが、ムバラク・マハールです。

ムバラク・マハールは、イスラム、ラジャスタン、ヨーロッパの建築様式がミックスされています。

レセプションセンターとして使われていましたが、現在ではマハラジャの衣装が展示されています。なかなか興味深い展示物なのですが、残念ながら写真撮影は禁止になっています。

シティ・パレス内には、武器や絵画の展示館もありますが、室内の写真撮影は禁止でした。

ラジェンドラ門

門の左右には白大理石に彫られた象が置かれています。イスラムでは、人や動物の彫刻や絵は禁止されているはずなので、これは珍しいことです。

ラジェンドラ門を入ると、ディワニー・カースがあります。

高さ160Cm、容量900Lの世界で最大の銀製品としてギネスにも登録されている純銀製の壺が置かれています。
1902年にマハラジャが英国を訪問した際に、毎日の沐浴のために、ガンジス河の水を入れて持っていったものです。

ディワニー・カースは、貴賓謁見の間で、美しいアーチと柱が並んでいます。

武器を使って模様が描かれています。


歴代のマハラジャの肖像画が展示されているサブハ・ニワス。

チャンドラ・マハール。月の宮殿を意味し、マハラジャの住居です。

月の宮殿は、内部は非公開ですが、中庭が美しいとガイドブックに書かれていますが、案内されませんでした。

美しい窓が見られます。

回廊にマハラジャ一家の写真が飾られていました。ガイドの話によれば、先代のマハラジャの一人娘は、自家用運転手と恋におちて結婚する決心をしました。これはカーストの枠を越えての結婚ということでマハラジャ一族の反対にあい、ジャイプルでは結婚できず、デリーで結婚したといいます。結局、子供も生まれて、現在は幸せな生活をおくっているとのことです。
お金には不自由しないマハラジャでも苦労の種はつきないようです。