さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 ボーパール その2

2018年01月16日 | 海外旅行
ボパールは、18世紀以降、インド独立までボパール藩王国の首都になってきた古都ですが、この街を目的に訪れるというよりは、サンチー遺跡の宿泊地として利用する者がほとんどと思われます。

サンチー遺跡からボパールに戻ってくると、道路脇にスナック売りをしばしば見かけるようになりました。



ボパールをネットで検索すると、観光情報よりは、ボパール化学工場事故に関する記述が並んでいます。この化学工場跡の脇を徐行して、車窓から見学しました。放置された建物や工場施設が並んでいました。



1984年12月の2日から3日にかけてユニオンカーバイド・インディア社の農薬製造プラントでイソシアン酸メチルのガス漏れが生じました。強い毒性を持つガスはプラントのそばの貧民街を直撃し、世界最悪の産業災害を生じました。死者数は推計によって異なり、公式の中間発表では死者数は2259名とされ、また別な推計では2週間のうちに8000名が死亡し、その後更に8000名以上が事故が原因の病気で亡くなったとされます。



この化学工場事故は、農薬の新しい製造法が開発されてこの工場の生産性が落ちたために、保守がおろそかになって老朽化したために生じたもののようです。被害者への補償も充分行われておらず、現在でも毒性廃棄物が放置されて周辺住民の健康被害が続いているとのことです。



工場跡周辺の建物には、低所得者の居住区が広がっていました。





バスを走らせていくと、さほど遠くない距離で、普通の街並みに変わりました。



通りには果物や野菜売りが並んで賑わっていました。



食べ物屋。



雑貨店かな。



店頭にチキンが吊されていました。



アイスクリーム売り。インド版ババヘラですね。



旧市街地が近づくと、城門跡が現れました。





小さな池のMotia Talabの脇に出ました。





池に面して、アジア最大級のモスクといわれタージウル・マスジットがあります。



タージウル・マスジットは、ボパール藩王国の女王だったシャージャハーン・ベグムが、デリーのジャマー・マスジッドに匹敵するようなモスクを建てようとして1877年に着工したものの、女王の死によって、工事は中断されて、1971年に完成しました。





ボパールには、タージウル・マスジットの他にも印象的な形をした古い建物が見られました。



街中には、ローストチキンの店が多く見られました。



新しそうなモスク。



電気街。韓国企業に押され気味ですが、SONYも頑張っているようです。



街の通りは、バイクとオートリクシャで大混雑になっていました。



小さな塔を持った古い建物が現れました。



建物を道路が貫いていました。古い城門でしょうか。



アッパー・レイクの畔に出ました。ここからシャムラー・ヒルに上がったところに宿のジャハンヌマ・パレスがあります。



翌朝、ボパール空港に移動する際に見たボパールの街の風景を続けます。

遠くにタージウル・マスジットの塔が見えています。



アッパー・レイクは、対岸が見えないほどの、かなり広い湖です。



湖の畔にある丘に上がるボパールロープウェイが見えていました。



丘の上には、ジャイナ教の寺院があるようです。

ここからは僅かな距離でボパールの空港に到着しました。
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