さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 カラコルム(ハラホリン) その4

2018年12月18日 | 海外旅行
ゴルバン・ゾー(三寺)を出て東に向かうと、ソボルガン塔が見えてきました。脇には、マニ車が置かれていました。



ソボルガン塔は、釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物を安置したストゥーパ(仏塔)です。



ソボルガン塔の東隣には、ラブラン寺があります。



ラブラン寺は、18世紀に全モンゴルからの寄付で建立されました。共産党時代には、僧侶は殺害されたり還俗させられて寺は閉鎖されてしまいましたが、現在は宗教活動が復活して修行の場になっています。ガイドは前をそのまま通過していったため、外観のみ。もっとも内部は撮影禁止になっています。



前を通り過ぎてから振り返り見たラブラン寺。



東門に向かいます。



エルデニ・ゾーを取り巻く壁の上に設けられて数多くのストーゥーパが、印象的な眺めをつくっていました。



東門を出てから原野を歩いていくと、亀石があります。周囲には土産物屋が店開きしていました。



亀石は、石碑を載せるための台座です。中国では、亀趺(きふ)あるいは贔屓(ひき)とも呼ばれ、龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に多く用いられてきました。亀といっては、神獣に対して失礼ですね。



亀石から振り返るとエルデ・ゾーが遠くになっていました。



亀石の脇には、昔のお寺の跡があります。



上がってみると、お寺の台座部が残っているだけでした。



この広大な原野がハラホリンの都市跡でした。、



荒れ地に咲いていた花。



三日目と同じレストランで昼食を終えた後、丘の上にあるモンゴル帝国記念碑に向かいました。



車を降りて、階段をひと登り。



オボーの周囲に、モンゴル帝国の版図の変化を現した絵が飾られています。







モンゴル帝国の版図は、アジア大陸の大部分に広がりましたが、日本が飲み込まれなかったことは幸いでした。インドは、モンゴル帝国の侵入は阻止していましたが、後にインド全体を支配したムガール帝国の祖先は、チンギス・ハーン家と同族の出自のため、最終的にはモンゴル帝国の手に落ちたといえるでしょう。



丘の上からは、オルホン渓谷の眺めが広がっていました。



丘の麓をホルホン川が流れています。



モンゴル帝国記念碑のある丘の麓には民家が並んでいましたが、門や壁には属する集団の紋章が描かれていました。

これでカラコルムの見学は終わりで、ブルドに向かいました。
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