
チャエスターは、イングランド北西部にあり、79年頃、当時ブリテン島を支配していたローマ人がウェールズとの戦争に備えて基地を建設し、定住したのが始まりです。その後もウェールズ攻略の基地として重要視されてきました。
ディーン川河口の街として繁栄してきたチャエスターでしたが、16世紀頃にはリバプールにその地位を奪われて商業活動は衰退し、それによって中世の面影を今に残すことになりました。
駅から歩いてくると、時計台が置かれたイーストゲートに出ます。

チェスターの街は城壁で囲まれています。

チェスターの街は、美しい木骨組の家が並んでいるのが見所になっています。

大通りを進んでいきます。


街の中心で大通りが交わる交差点は、ザ・クロスと呼ばれ、ここを中心にザ・ロウズと呼ばれる木骨組の家が並んいます。
ザ・ロウズの建物は、二階部分にも通路が設けられて商店が並んでいます。

二階の通路は、街を眺める良い見学場所になっています。



ザ・クロスから北に進むとチェスター大聖堂が現れます。
チェスター大聖堂は、10世紀ごろ、サクソン人により聖ウェルバーに捧げたベネディクト派修道院として設立されたのが最初で、その後、ノルマン人により、1250年ごろから現在残っているゴシック様式の建物がつくられました。この修道院は1540年ごろに完成しましたが、その直後の宗教改革により修道院は解散し、チェスター主教区の大聖堂として存続することになりました。

建物は増改築を繰り返したこともあり、ノルマン様式からネオゴシック様式まで、さまざまな建築様式が混在したものになっています。


見事なステンドグラスが飾られています。

チェスター市庁舎
1869年に建てられたゴシック様式の建物で、ビクトリア朝時代のステンドグラスも残されているといいます。尖塔の高さは約49mあります。

街を一通り見た後にイーストゲートに登って、時計台を間近に見てみました。
ヴィクトリア女王の即位60年を記念して作られたものです。

夕方になって人出も少なくなってきました。
この日は、チャスターに泊り、翌日、観光をしながら南下してロンドンに向かう予定でした。ところが翌朝になってみると、鉄道のストライキが始まり、半日待ってようやくバスに乗り込んでロンドンに直行しました。そのおかげで、ストラトフォードやオックスフォードが訪れないままになってしまいました。
ディーン川河口の街として繁栄してきたチャエスターでしたが、16世紀頃にはリバプールにその地位を奪われて商業活動は衰退し、それによって中世の面影を今に残すことになりました。
駅から歩いてくると、時計台が置かれたイーストゲートに出ます。

チェスターの街は城壁で囲まれています。

チェスターの街は、美しい木骨組の家が並んでいるのが見所になっています。

大通りを進んでいきます。


街の中心で大通りが交わる交差点は、ザ・クロスと呼ばれ、ここを中心にザ・ロウズと呼ばれる木骨組の家が並んいます。
ザ・ロウズの建物は、二階部分にも通路が設けられて商店が並んでいます。

二階の通路は、街を眺める良い見学場所になっています。



ザ・クロスから北に進むとチェスター大聖堂が現れます。
チェスター大聖堂は、10世紀ごろ、サクソン人により聖ウェルバーに捧げたベネディクト派修道院として設立されたのが最初で、その後、ノルマン人により、1250年ごろから現在残っているゴシック様式の建物がつくられました。この修道院は1540年ごろに完成しましたが、その直後の宗教改革により修道院は解散し、チェスター主教区の大聖堂として存続することになりました。

建物は増改築を繰り返したこともあり、ノルマン様式からネオゴシック様式まで、さまざまな建築様式が混在したものになっています。


見事なステンドグラスが飾られています。

チェスター市庁舎
1869年に建てられたゴシック様式の建物で、ビクトリア朝時代のステンドグラスも残されているといいます。尖塔の高さは約49mあります。

街を一通り見た後にイーストゲートに登って、時計台を間近に見てみました。
ヴィクトリア女王の即位60年を記念して作られたものです。

夕方になって人出も少なくなってきました。
この日は、チャスターに泊り、翌日、観光をしながら南下してロンドンに向かう予定でした。ところが翌朝になってみると、鉄道のストライキが始まり、半日待ってようやくバスに乗り込んでロンドンに直行しました。そのおかげで、ストラトフォードやオックスフォードが訪れないままになってしまいました。