水原(スウォン)は、ソウルの南40Kmの距離にあり、華城と呼ばれる城郭に囲まれています。
18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が、陰謀により非命に倒れた父の墓を、楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたのが華城です。西洋建築の技術も取り入れて、強固な要塞が築かれました。正祖は、遷都も考えましたが、華城の完成直後に亡くなったため、遷都は見送られました。
ユネスコの世界遺産にも登録されて、ソウル観光でも欠かせないスポットになっています。
華城は、城壁を一周すると3時間ほどかかるようで、ツアーのため一部の見学になりました。
華西門でバスを下りました。華城の四大門のひとつです。
脇に立つのは西北空心墩です。望楼として使われました。
石材とレンガによる強固な造りになっています。壁に開けてある穴が小さいのも、弓ではなく、銃による攻撃を想定しているためでしょうね。
塀は街を囲んで長々と続いています。意外に塀の高さは低く、周囲を堀が取りまいていないのは、昔ながらの人が城壁に取り付く攻城戦から、銃や砲による戦いに代わってきたためと思われます。
城壁の回りを歩いていくと、観光客を乗せた華城列車が通り過ぎていきました。どはでな装飾に目を奪われました。
この付近の城壁では城い旗が飾られています。旗の色は方角によって決まっており、北は黒、南は赤、東は青、西は白になっています。なお、中央にある華城行宮には黄色の旗が立てられています。
北西砲楼。旗は黒に変わりました。
長安門。
北のソウル方向からの正門になります。
堅固な造りです。どことなく、ヨーロッパの中世の城郭都市を思い出させます。
長安門の上へ、急な階段を登ります。
城壁の上は、歩道が設けられています。
門の上の建物の内部。上階へは上がれませんでした。
城壁の上の通路へと進みます。
城壁の張り出し部から見る長安門。
城壁は、朝鮮戦争の際にかなり破壊されたということですが、完全に復元されています。
長安門の外壁に描かれた龍の絵。
大砲も置かれています。
万里の長城よろしく、城壁は彼方まで続いています。
城壁の周囲は、緑地帯になっています。
長安門を振り返ったところ。
通路を歩いていくと、華虹門に出ました。
華虹門は、市内を流れる川の水門です。
水にゆかりの動物のヘテの像も置かれていました。
坂を登っていくと、東北角楼に出ました。訪花随柳亭と呼ばれて、華城の中でも代表的な建物になっています。
望楼として使われた訪花随柳亭では、上がると涼しい風が吹き抜けていました。
壁には、十字架が模様として描かれています。正祖は、当初は西洋の技術を導入するのに熱心でキリスト教にも寛容でしたが、後には弾圧に転じます。
城壁はさらに続いて東北舗楼が見えています。下から見た訪花随柳亭です。
バスの中から見た蒼龍門です。
水原華城は、次の機会があったら、個人旅行でゆっくりと訪れたいと思いました。
見学はここまでとなり、城壁を下りました。
18世紀末に李氏朝鮮第22代国王・正祖が、陰謀により非命に倒れた父の墓を、楊州から水原の顕隆園(隆陵)に移し、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたのが華城です。西洋建築の技術も取り入れて、強固な要塞が築かれました。正祖は、遷都も考えましたが、華城の完成直後に亡くなったため、遷都は見送られました。
ユネスコの世界遺産にも登録されて、ソウル観光でも欠かせないスポットになっています。
華城は、城壁を一周すると3時間ほどかかるようで、ツアーのため一部の見学になりました。
華西門でバスを下りました。華城の四大門のひとつです。
脇に立つのは西北空心墩です。望楼として使われました。
石材とレンガによる強固な造りになっています。壁に開けてある穴が小さいのも、弓ではなく、銃による攻撃を想定しているためでしょうね。
塀は街を囲んで長々と続いています。意外に塀の高さは低く、周囲を堀が取りまいていないのは、昔ながらの人が城壁に取り付く攻城戦から、銃や砲による戦いに代わってきたためと思われます。
城壁の回りを歩いていくと、観光客を乗せた華城列車が通り過ぎていきました。どはでな装飾に目を奪われました。
この付近の城壁では城い旗が飾られています。旗の色は方角によって決まっており、北は黒、南は赤、東は青、西は白になっています。なお、中央にある華城行宮には黄色の旗が立てられています。
北西砲楼。旗は黒に変わりました。
長安門。
北のソウル方向からの正門になります。
堅固な造りです。どことなく、ヨーロッパの中世の城郭都市を思い出させます。
長安門の上へ、急な階段を登ります。
城壁の上は、歩道が設けられています。
門の上の建物の内部。上階へは上がれませんでした。
城壁の上の通路へと進みます。
城壁の張り出し部から見る長安門。
城壁は、朝鮮戦争の際にかなり破壊されたということですが、完全に復元されています。
長安門の外壁に描かれた龍の絵。
大砲も置かれています。
万里の長城よろしく、城壁は彼方まで続いています。
城壁の周囲は、緑地帯になっています。
長安門を振り返ったところ。
通路を歩いていくと、華虹門に出ました。
華虹門は、市内を流れる川の水門です。
水にゆかりの動物のヘテの像も置かれていました。
坂を登っていくと、東北角楼に出ました。訪花随柳亭と呼ばれて、華城の中でも代表的な建物になっています。
望楼として使われた訪花随柳亭では、上がると涼しい風が吹き抜けていました。
壁には、十字架が模様として描かれています。正祖は、当初は西洋の技術を導入するのに熱心でキリスト教にも寛容でしたが、後には弾圧に転じます。
城壁はさらに続いて東北舗楼が見えています。下から見た訪花随柳亭です。
バスの中から見た蒼龍門です。
水原華城は、次の機会があったら、個人旅行でゆっくりと訪れたいと思いました。
見学はここまでとなり、城壁を下りました。