さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 シントラー その2

2021年05月17日 | 海外旅行
紋章の間にやってきました。天井は紋章、壁はアズレージョで装飾されて、宮殿内でも最も豪華な部屋です。



ドーム状の天井の中心にはマヌエル一世の紋章が飾られています。



その周りには8人の王女の紋章。



鹿の絵の下には、72人の貴族の名前と紋章。



壁には狩猟風景を描いたアズレージョが飾られています。



アズレージョは、アラブ語で「光沢のある小石のモザイク」に由来し、15世紀にスペインを経由してポルトガルにもたらせられました。時代ごとにスタイルは異なりますが、ポルトガル建築の多くで見られ、ポルトガル文化の特徴の一つになっています。

16世紀にはルネサンス期に発祥したマヨリカ焼の技法がもたされ、タイルに直接色をつけることが可能となりました。17~18世紀には中国や日本の陶磁器の影響で青の単色のデルフトスタイルの人気が高まり、宮殿や教会の装飾に用いられることになりました。





豪華な紋章の間を見たあとは、打って変わって質素なアルフォンソ六世の部屋。

アルフォンソ六世は、小児麻痺の後遺症で左半身が麻痺し精神障害もあることから、13才で王位についたものの、母親が摂政として政務を執ることになりました。1666年にサヴォイア家傍系のマリア・フランシスカ・イサベルと結婚しましたが、性的不能を理由に翌年には離婚。イザベルは、アフォンソ6世の弟ペドロ(後のペドロ2世)と再婚しました。ペドロは、摂政王太子となり兄王から統治権を奪い、アフォンソ6世はアゾレス諸島のテルセイラ島へ7年間追放。1675年にポルトガル本土へ帰国した後は、シントラ宮殿の一室に死ぬまで監禁されました。

戯曲や映画の題材になりそうです。



中国の間。



王の礼拝堂。





鳩が描かれていますが、向きがそれぞれ異なっています。



アラブの間。宮殿で最も古い部屋です。



部屋の中央に設けられた噴水。



ゲストルーム



豪華な装飾が施されています。



厨房。





燻製器かな。



外から見えていた煙突の内部はこのようになっていました。



マヌエル王の間。中国からの陶器などが置かれていました。



豪華なベネツィアングラスのシャンデリアが下がっていました。



小部屋。



テラスからの眺め。





丘の上にあるのは、7~8世紀ムーア人によって築かれた城跡で、1147年にアフォンソ・エンリケス王によって攻め落とされました。



柱の上の飾りがアラブ風です。



階段上の小広間。



宮殿の模型が置かれていました。



入口近くの中庭に戻ってきました、



洞窟を模したグロッタ。牧歌的な風景を現したもので、16世紀頃にヨーロッパに広まりました。



アズレージョで飾られています。





グロッタには水の仕掛けが加えられることが多いですが、ここでもアズレージョの間に穴が開いており、水が出るようになっているようです。



これでシントラの王宮の見学は終わりで、バスに戻りました。



市庁舎。

この後は、ロカ岬に向かいました。
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