今年のゴールデン・ウイーク、
早くも終わりとなりました。
早速ですが心を入れ替えてお勉強タイムといきましょう。
2014年4月のメディカル・ミステリーです。
The doctor and the teenager 一人の医師と10代の少女
その16才の少女はひどく精神病的に見えた―しかし彼女の病気は全く別のものだった
By Sandra G. Boodman,
2013年の元旦、ジェット機がニューヨークの John F. Kennedy 国際空港に高速で向かっていたとき、その臨床心理学者は自分の16才の娘に不可解で奇妙な行動が再び起こらないように祈りながら彼女を用心深く見守っていた。その前夜、家族がクリスマスを過ごしたスペインの通りを歩いていたとき、その少女は突然、伝統的な大晦日の花火が本当は爆弾だと叫び始めたのである。
その帰国のフライト中、この少女は全く正常に見えた。この高校2年生は、予定されている大学探しや差し迫った親しらずの抜歯などのストレスでパニック発作を起こしていたのではないかと母親は考えた。
しかし、その平穏無事だったフライトも束の間の安堵を与えてくれただけだった。5日後、この少女は、重篤な精神病の始まりのように思われた症状の治療のために入院した。そしてそれからの6週間、さらに予後不良な診断が浮かび上がり事態は悪化したように見えた。そしての疾患で死亡する可能性もあった。
「毎日が恐ろしい物語のようでした」とニューヨークで開業している精神分析医の Carmen さんは言う。彼女の職業上のプライバシー保護のため要請に従って娘の Mia さんとともにその名字は公表しない。
入院中に Mia さんを治療したマンハッタンにある Mount Sinai Hospital の神経内科医 Lara Marcuse 氏にとって、その何週間というものはその少女が突然の疾病を乗り越えられないのではないかと心配し、深まる緊張と不安に満ちた日々だった。
「もし彼女が私の歳だったら」と44才の Marcuse 氏は言い、こう続けた。「Mia さんは亡くなったか、昏睡状態に陥ったか、州の精神病センターに入っていたでしょう」
しかし、現在18才になる Mia さんはそうはならず、完全に回復している。彼女は最近、高校の演劇に参加した。彼女は卒業を控えており、9月に大学に入ることを楽しみにしている。
‘Mom, help me!’ 「ママ、助けて!」
爆弾に関連したあの Mia さんの感情の爆発が起こったのは、母親の生まれ故郷バルセロナの親戚のところへの毎年恒例の家族での訪問が終わろうとしていたときだった。Mia さんは“だしぬけに”叫び始め、自分の口が“歪んだ”と訴えた。
「何が起こっているのかわかりませんでした」と Carmen さんは思い起こす。しかし Mia さんはすぐに落ち着き、(精神安定剤の)Valium のおかげで眠りについた。翌朝、二人がニューヨークまで空路帰宅するため朝早く目を覚ましたとき、Carmen さんは娘に尋ねてみた。Mia さんは気分は良いと答え、どこが悪かったのかについての質問には答えなかった。
数年前の父親の突然の死を乗り越えるのに力を貸してくれていたセラピストに Mia さんが既に予約を入れていたのでCarmen さんは良かったと感じていた。しかしその翌日 Carmen さんは仕事場に Mia さんから尋常ならぬ電話を受けた。Mia さんは「ママ、私を助けて!」と叫んだが詳しく話すことは拒んだ。彼女が大急ぎで自宅に戻ったところ、Mia さんはひどく怯え、アパートを出ることができず、一人でそのセラピストのところに行くこともできなかった。それまでは幾度もできていたことだった。そこで彼女らは一緒に行き、到着するまではいくらか心配そうにしていたが Mia さんは本来の彼女のように見えた。そのセラピストは Mia さんから目を離さないように監視しなければならないという考えに同意見だった。
それからの2、3日は奇妙なエピソードが続いた。Mia さんは叔父のことを“パパ”と呼び、まるで彼女の口に綿が一杯に詰まっているかのような話し方をするようになった。彼女は母親に「Shakira(シャキラ)の音楽に合わせて踊っているの」と話したが、何の音楽もかかっていなかった。さらに腕の一方がもう一方より長いと訴え、つり合いをとるために奇妙に猫背な姿勢で立っていたりした。
Mia さんは、めまいを感じ、自分が“スーパー聴力”の持ち主のように感じたのを覚えているという。音が過度に大きく聴こえるようだった。「万華鏡を見ているような感じですべてがゆがんで見えました」と彼女は思い起こす。色がひどくまばゆく見えたので苦痛に感じていた。
不安を募らせていた Carmen さんもまた戸惑った。「これらの症状は全く意味を成していませんでした。彼女はそれらの症状を繰り返していました。それは私がこれまで見てきた病気に追随するようなものではありませんでした」
彼女は Mia さんに薬物をやっていたかどうか聞かなかった。「娘はひどく堅い性格の持ち主であり、パーティーに行くような娘ではないことがわかっていたからです」
スペインから戻って4日目の晩、Mia さんの病状は著しく悪化し、ますます興奮し眠ることができなくなった。その翌朝、セラピストに相談し、母親は Mount Sinai の緊急室に彼女を連れて行った。「彼女が私の手元から離れていくような感じでした」と Carmen さんは思い起こす。
Mia さんは精神科に入院し、医師らは検査を開始した:薬物のスクリーニング検査は陰性で、妊娠、ライム病、HIV の検査も陰性だった。脳のMRI検査は正常で脳腫瘍は除外できた。診断名は非定型精神病で、Mia さんには高用量の抗精神病薬の投与が始まった。
「確かに彼女は精神病の初期の症状を示す患者のように見えました」と Mount Sinai のてんかんセンターの共同所長を務める Marcuse 氏は言う。Marcuse 氏は、Mia さんが入院して2日後、Mia さんの父親を知っていた同僚から彼女を診るように頼まれたのである。
Marcuse 氏が彼女のカルテをざっと調べたとき、一つの検査が彼女の眼にとまった。脳の電気信号を測定する Mia さんの脳波検査(EEG)で、Marcuse 氏が“きわめて微妙な所見”というところの異常が認められたのである。それは、彼女の脳の右前頭葉と側頭葉に見られたわずかな徐波化だった。
「もし彼女が70才ならそれは何の意味も持っていなかったでしょう」と Marcuse 氏は言う。「そして、もし彼女が統合失調症や何らかの精神疾患だったなら所見は正常だったはずです」
Maucuse 氏によると、そこで 2回目には長時間の EEG が行われたという。それによると、より明瞭な右側の徐波化が発見され、それについては Marcuse 氏によって“まさしく異常”と見なされた。
その時点で Mia さんの原因がわかったと事実上確信したと Marcuse 氏はいう。それは精神疾患のように見えたがそうではなかった。そのため Mia さんは神経内科に転科となり Marcuse 氏の患者となった。
Carmen さんはこの事態の変化に心が浮かれたことを覚えている。「『ああ、その通りよ、原因がわかったから彼女は治療してもらえる。3日もすれば彼女はここを退院できる』と思ったのです」と彼女は言う。
しかしそれがまるで見当違いだということが Marcuse 氏にはわかっていた。Mia さんの病気は、「人に冥界を経験させているようなものです」とその神経内科医は言う。「そしてほとんどの人たちは快方に向かう以前に悪化してしまうのです」
Like a rock rolling downhill 坂を転がり落ちる岩のように
Mia さんは脳の炎症である辺縁系脳炎(limbic encephalitis)であろうと Marcuse 氏は考えた;この疾患は感染、あるいは身体が自身を攻撃する自己免疫反応によって引き起こされる。しばしば潜在する癌や奇形腫と呼ばれる良性の卵巣腫瘍が認められることがある;そのほか、誘因は不明ながら脳を攻撃する特定の抗体の存在が検査によって確認される例が存在する(この疾患は抗 NMDA 受容体脳炎、あるいは抗体介在性脳炎とも呼ばれる)。
治療は根本的原因に依存する。もし癌や腫瘍が存在するならそれらを摘出しなければならない。もし腫瘍が存在せず原因不明に抗体が脳を攻撃している場合、抗体を中和する薬剤が最も重要となる。
本疾患の初期症状には、記憶障害、混乱、人格変化、幻覚などがあり、統合失調症や他の精神疾患に類似する。その後患者はてんかん発作を起こす様になるが、これは長期間続き命にかかわることがある。治療しなければ患者は昏睡状態に陥り、永続的な神経障害がもたらされたり死亡したりする。
「それは、岩が坂を転がり落ちるのを止めようとするようなものです」本疾患の経過について Marcuse 氏は言う。彼女はこれまで 6例(昨年だけで3例)を治療した経験があるという。本疾患は現在でも統合失調症と間違われることがあるが、その一因には医師らがこの疾患を耳にしたことがないという事実がある。British Journal of Psychiatry の2012年の論説ではそういった警告が繰り返されている。
時間は予後にとって重要となる:治療が早く開始されるほど、障害は起こりにくくなる。昨年発表された国際的多施設研究では、発症から4週間以内に治療が開始されることが良い転帰の予測因子となっていた。
腰椎穿刺その他の検査により Mia さんの脳炎の診断は確定したが、画像検査では癌や卵巣腫瘍は発見されなかった。Mia さんにはただちに高用量のステロイドと他の薬剤が開始となり、幻覚やその他の症状を軽減させるためにいくつかの精神病薬が加えられた。しかし病状は良くならず、Mia さんは悪化の一途をたどった。
彼女はひどく興奮し予断を許さない状態だった。彼女は Marcuse 氏のお腹を蹴り、「地獄へ落ちろ、お前なんか大嫌いだ!」と叫んだ。彼女は、自分はサンタクロースだとか、自分は妊娠しているなどと告げながら病棟を歩き回った。ある夜、彼女はずっとしゃべり続けた。やがて彼女は靴の紐を結べなくなり、時計の文字盤を書くこともできなくなった。しばらくの間、彼女は緊張病性硬直に近い状態となり話すことも自身で食べることもできなくなった。そして彼女の顔面の一部に麻痺が出現した。
一週間後、1次治療が失敗に終わっていることは明らかだった。「彼女の身を非常に案じていました」と Marcuse 氏は言う。顔面の麻痺については憂慮すべきと彼女は考えた。というのも、その症状は一般にこの疾病がより進行し治療が一層困難になったときに起こるものだからである。「まさに力が尽き果てようとする時を迎えていました」
他の残された治療を試してみる以外にほとんど選択肢はなかった:それは、rituxan(リツキサン:一般名 リツキシマブ)という(非ホジキンリンパ腫、多発血管炎性肉芽腫症などに用いられる)強力な抗癌薬の点滴だった。
「それは危険な薬剤でした」と Marcuse 氏は言う。Carmen さんと十分協議したあと、Mia さんは一週間ごとに4回行われることになっている治療の初回投与を1月24日に受けた。
A striking turnaround 驚異的な好転
初回投与から数日後、Mia さんは興奮性がやや治まり、彼女の会話も異常さが減った。2回目の投与後、彼女は突然母親の方を向いてこう言った。「ママ、私は正気よ!」そして彼女は靴ひもを結ぶことができるようになり、認知機能も戻り始めた。3回目の投与が終わった 2月8日、彼女は Mount Sinai を退院した。4月1日、彼女は学校に戻った。
Marcuse 氏によると Mia さんは数年間は注意深い監視を受けることになるという。なぜなら本疾患にはしばしば再発が見られるからである。幸いなことに、当初 Marcuse 氏が心配していた認知的障害や運動障害が後遺している徴候は彼女には見られていない。医師らは腫瘍や他の原因を発見していないため、彼女の脳炎の原因は特定されていないままである。
しかし Mia さんの“驚くべき回復”と Carmen さんが呼んでいる今回の経緯は神経内科医・Marcuse氏のおかげだとこの母娘は考えている。しかし、今回の娘の厳しい試練の経験により Carmen さんには自身の職歴の早期に精神科の奥の方の病棟で見た患者たちのことが思い出された。彼らの中には統合失調症ではなく実際には脳炎を患っていた人がいたのではないかと考えるのである。「私はこう考えました。『ああ、私たちはその人を見逃していたのだろうか?』」
Marcuse 氏も同じような思いを持っており、もし Mia さんがもし数年前に発症していたなら、彼女はほぼ確実に統合失調症と診断されていただろうと指摘する。「これは新しい疾病ではなく、長い年月の間にこのために亡くなっている人たちがいます」と彼女は言う。「そして、それがいまだに見逃されているのが現状です」
大学の小論文のテーマとして自身の試練を取り上げた Mia さんにとって、この過去の年月は人生を変えるものとなった。「私の家族が私のために注いでくれたすべての愛情を実感することができて、素晴らしい教訓となりました。しかし、できれば違う方法でそれを学びたかったと思っています」
卵巣奇形腫により産生された自身の抗NMDA 受容体抗体により
辺縁系脳炎が起こり、長期間の昏睡治療を要した女性を
2010/11/6 の拙ブログ『眠らせるしか道はなし』で紹介した。
体内に何らかの腫瘍があり、それがもとで産生された
神経に対する自己抗体によって脳炎が起こる場合を
傍腫瘍性というが、これには
肺小細胞癌、胸腺腫瘍、乳癌、精巣癌が多いとされている。
今回の記事の少女も辺縁系脳炎を起こしたものの
自己免疫介在性の原因が不明なケースである。
辺縁系脳炎では、海馬、扁桃体、島回、前帯状回などの
辺縁系を中心に炎症が起こるため、
亜急性に近時記憶障害、情動異常、行動異常、けいれん、
あるいは見当識障害など深刻な精神症状が前面に出る。
自己免疫介在性脳炎は主として成人に発症する。
何らかの原因で自身の神経細胞の持つたんぱくに対する
自己抗体が作られ、自身の神経細胞が障害される。
しかし現在、自己抗体とその標的たんぱく(自己抗原)の解明は
いまだ十分になされていない。
(NMDA受容体たんぱくは数多い自己抗原の一つに過ぎない)。
診断は、病歴と身体所見からまず脳炎を疑うことが重要である。
同時に脳MRI、脳波、髄液検査で診断を進めていく。
本疾患が疑われれば、腫瘍のスクリーニングと、
各種自己抗体の検出を行う。
なお辺縁系脳炎では精神症状が目立つことから、
統合失調症をはじめとする精神疾患との鑑別が重要である。
治療は、腫瘍がベースに存在する傍腫瘍性の場合には
元の腫瘍の摘出を行う。
自己免疫介在性の場合にはステロイド治療、血漿交換療法、
免疫グロブリン療法などのほか、
リツキシマブ、シクロフォスファミドなどの抗癌薬が用いられる。
ウイルスが直接脳に感染する脳炎だけでなく、
こうした自己免疫が介在する脳炎も存在することから、
経過が思わしくない疑い例を含めた脳炎症例では
常に念頭に置いておく必要がある。
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