goo blog サービス終了のお知らせ 

K&A

kan-haruの日記

風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その1)

2006年07月11日 | 風景・風物詩
7月7日に東京都異業種交流会H11メトロ(後述 その3)の恒例の暑気払いは、御茶ノ水の山の上ホテルの本館2階の宴会場で開催しました。
Kan-haru日記新登場のカテゴリー「風景・風物詩」の東京百景としてトップを飾るには、この「山の上ホテル」は絵になり、とても素晴しく大変相応しいホテルです。今回は、山の上ホテルの雰囲気などに触れて見ます。


ホテルの所在地は、JR御茶ノ水駅から駿河台下の靖国通りに交わる明大通りの中程にある、明大のリバティタワーとアカデミーコモンの高層校舎に挟まれた所(周辺地図参照)にあります。明大通りから山の上ホテルへは、山の上ホテルの案内板のある坂道を登りつめて、周囲では最も高所の奥まった丘の上に立地した佇まいで、高層23階のリバティタワーアカデミーコモンに隣接していても、静かな環境には変わりなく、こじんまりしたホテルのあちこちに、素敵なアートや調度品がみつかるのも、時間がゆっくりと過ぎている昭和の時代にタイムスリップしたような居心地のよさを肌で感じます。

山の上ホテルの本館は、坂道を上り詰めた突き当たりにあり、道を挟んだ右手前に別館が建っております。米軍に接収されていた時の愛称「ヒルトップ」が、山の上ホテルの名前の由来で、建物にも掲示されてます。
本館1階にある「てんぷらと和食の山の上」は、創業時から「天麩羅屋」を引きついており気心の知れた人とカウンターに並んで、揚げたてのてんぷらをいただくのは通には乙なものです。
土曜日の昼下がりは、「コーヒーパーラー ヒルトップ」に三々五々年配のご婦人方が集まり、絵柄が違うコーヒーカップでコーヒーを味あいながら、落ち着いた雰囲気の中で昔の想い出話しにひと時を過ごすのに席が占められます。

私が明大工学部に通っていた頃は昭和27年(1952年)で、当時はまだ山の上ホテルは存在していませんでした。工学部は、周辺地図に示す様に駿河台からは秋葉原寄りの本郷通りに面した靖国通りの近くにありましたので、通学路はJR御茶ノ水駅の聖橋口からニコライ堂を見ながらの登校であり、しかも、当時の学生にとってはホテルには無縁な境遇でした。しかし、山の上ホテルは地形学的に見て、明治大学とは隣組の関係です。工学部出身のため文化人とは縁が遠いのですが、かって文化人が愛した山の上ホテルのバー「 ノンノン」や「モンモン」で、洋酒を楽しむ至福の時間が作れればいいなぁーと夢を見ております。

山の上ホテルの生い立ち
「山の上ホテル」の基になる建屋建築は、ホテルの資料によると、昭和12年(1937年)に建築家ウイリアム・メレル・ヴォーリス(米国人)氏の設計で、財団法人日本生活協会により、佐藤新興生活館「生活改善のための活動」の女性を対象にした欧米のマナーを啓蒙する施設として作られた、日本建築学会の重要建築に指定されております。
戦後建物は、米軍に接収され「ヒルトップ」の愛称で呼ばれて、陸軍婦人部隊の宿舎として使用されていました。
山の上ホテルの開業
昭和29年(1954年)、故吉田俊男社長により山の上ホテルが開業し、池波正太郎、山口瞳、三島由紀夫、松本清張、遠藤周作…そのほか、ここで筆をとった文学者や文化人たちに愛されてきたことでよく知られています。
「山の上ホテル」の魅力はよく、いぶし銀のような、と形容されます。作家たちが飽くことなく利用し続けてきた理由も、出版社が近かったという以上に、そのあたりにあったのでしょう。
山の上ホテル別館
昭和45年(1970年)に、本館の向かい側に別館を建築して、館内、客室に酸素とマイナスイオンを補給して、五感で「軽井沢の空気」を味わうことができる雰囲気にしてあります。
山の上ホテル本館改築
昭和45年(1970年)に、創業時からあった天麩羅屋の小屋を本館に移動されました。
現在、ロビーの周りにある煉瓦と並行してその上にある陶器の飾りは改築前のままにして、輸入桜を使用のロビーには、お得意様であった池波正太郎氏や山口瞳氏の絵が飾られております。

山の上ホテル物語 常盤新平著から
・東京の眞中にかういう静かな夜があるとは思わなかった。設備も清潔を極め、サービスもまだ素人っぽい処が実にいい。ねがわくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに。三島由紀夫
・毎年、旧盆のころに夫人とともに一週間ほど山の上ホテルで休息をとっていた山口瞳にとって、このホテルが「一番」であった。〈一番だというのは一番上等だという意味ではない。一番好きだと言ったほうがいいかもしれない〉
・池波正太郎はことのほか山の上ホテルを「気持ちのよい宿」としてその晩年にしばしば利用し、ここでエッセーを書き、画を描き、神田神保町界隈を散策した。また、いかにもこの作家らしく、宿泊費用の預金通帳をホテルにあずけておいた。その通帳からホテルが引き落とすのである。

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております。(6月分掲載Indexへ)
次回 風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その2) へ>

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大森町界隈あれこれ(K33) 手... | トップ | 風景・風物詩(A1) 東京百景 ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
教えてください (山室)
2011-03-04 01:22:00
はじめまして。

突然の訪問で申し訳ありません。

ご存知でしたら教えてほしいのですが、平成元年位にこの周辺(山の上ホテル)にビジネスホテルはありませんでしたか? また御茶ノ水から明治大学へいく通りにうどん屋さんはなかったでしょうか?

その頃利用したのですが、久しぶりにそちらへ伺うので、懐かしく思い検索していたのですが見つかりません。

ご存知であれば教えてください。
返信する
山室さん、はじめまして (kan-haru)
2011-03-05 11:43:07
ホテルとうどん屋については次の通りです。

ビジネスホテルですが、山の上ホテルに1番近くには、神保町寄りに「ヴィラフォンテーヌ神保町」(神田神保町1-30) がありますが開業は不明です。
また、明大通りから東方の靖国通りの北側通りに、1950年開業の「東京ファミリーホテル(現お茶の水ホテル昇龍館)」(神田小川町3-24-9)があります。
さらに、少しはなれていますが、操業が1899年と古い2階建ての「旅館龍名館本店」(神田駿河台3-4)が本郷通りにあります。

うどんやですが、御茶ノ水駅から明治大学方向へ約200メートルほどの道路左側に「そば 和食 ときわ」がありましたが、2年ほど前に閉店しました。

なお、一般の利用ができる明治大学関連レストランを示しておきます。
・紫紺館5階レストラン「フォレスタ椿山荘」、紫紺館6階「ラウンジ明治」
・リバティタワー校舎23階「サロン燦」
・アカデミーコモン校舎1階「カフェパンセ」
返信する
ご丁寧にありがとうございます (山室)
2011-03-10 00:14:06
ご丁寧にありがとうございます。

3月4日に御茶ノ水へ行きました。

明治大学が私の記憶では新しくなっており、
また付近の様子が当時の記憶と変わっておりました。

付近を散策しましたが、ビジネスホテルは多分なくなっている気がします。

うどんやさんもありませんでしたが、やはり閉店してしまったのですね。

名古屋出身で味噌煮込みを食べた記憶があります。

色々とありがとうございました。
返信する
Unknown (あいよ)
2011-04-29 01:03:54
「駿河台ホテル」というのが昔大学院の
脇にあったとするならば、今はありません。
今は明大の12号館になっています。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

風景・風物詩」カテゴリの最新記事