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イベント 両国ちゃんこ鍋 吉良邸跡近くで仇討ち入りに異業種交流会H11の忘年会を行うその2

2012年01月03日 | イベント
kan-haru blog 2012 「ちゃんこ霧島 両国店」写真から

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H11忘年会
今年のH11忘年会の幹事さんからのお知らせメールに、「忘年会の会場の手配が整いましたので案内をさせて頂きます。12月16日金曜日19時から、ちゃんこ霧島 両国本店に、4200円のコースと飲み代で予約しましたので多数の参加をお待ちしております」の案内があり、Webのアクセス案内に従い、1年半振りに両国へ出かけました。
ちゃんこ霧島は、8階のビルで店内は、カウンター席・御座敷・堀ごたつ・テーブル席の他、大小個室があり、テーブル席のフロワーに案内されました。部屋には、元大関霧島の現役時代のビデオや、関連グッズが飾られてあり、19時には全員が揃い忘年会が始まりました。

 H11の和やかな忘年会酒宴(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

コース料理はお通しに、厚切りの刺身盛り、手羽先とじゃこ天の揚物から始まり、ちゃんこ鍋は豚骨と鳥ガラで充分ダシをとったスープで、ちゃんこ霧島固有のさっぱりとした味噌と醤油をミックスした味付けに仕上げられ、風味が豊かでおいしく頂きました。

 ちゃんこ鍋(写真拡大)

飲み物は、各人の好みによりビール、日本酒、サワー、焼酎など、思い思いに取り寄せて歓談しながらの酒宴です。焼酎のボトルを注文したら、霧島さんのラベルでした。

 注文の焼酎ボトルは霧島のラベルです(写真拡大)

2つのちゃんこ鍋が空になると、その鍋でうどんと雑炊を煮て、お新香での夜食は出汁がきいて大変な旨味です。

 ちゃんこの後はうどんと雑炊の煮込みの夜食(・右写真拡大) 

食事が済むと21時で解散となり、エレベータを降りて裏口を出ると通りの向かい側は、元大関の陸奥部屋があります。忘年会が済んで、次は2次会組と帰宅組に分かれての行動です。

・霧島
陸奥部屋公式サイト(ここをクリック)から、元大関霧島と陸奥部屋の情報さまざまを見てみました。
四股名の霧島 一博は、本名は吉永一美で、1959年(昭和34年)4月3日に鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)で農家の長男として生まれ、幼少時から体を鍛えており、小学校3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていました。中学生の時に君ヶ濱親方(元関脇・鶴ヶ嶺、後の井筒親方)から勧誘され、母親が後押して反対していた父親も折れたため、君ヶ濱部屋(後に井筒部屋)に入門しました。

 ちゃんこ霧島両国本店の裏口を出て通りの対面にある陸奥部屋(左:陸奥部屋、:陸奥部屋説明板)

 ・入門時代
1975年(昭和50年)3月場所に本名で初土俵、1976年(昭和51年)5月序二段時代の場所後霧島山にちなんで霧島へ改名しました。1982年(昭和57年)5月場所で新十両となり、1984年(昭和59年)7月場所で新入幕入りで成績は8勝、9勝がやっとで、上位になれば2桁負けして平幕を上下していた。1986年(昭和61年)11月場所は前頭7枚目で初の2桁勝利の12勝3敗で技能賞を獲得しました。しかし、1987年(昭和62年)1月場所は関脇に昇進したが3勝12敗に終わりました。
 ・大関昇進
関脇の1990年(平成2年)3月場所では、横綱・千代の富士を吊り出して勝ち、通算1000勝達成を阻み、成績は13勝2敗で優勝同点の好成績を挙げました。同場所の結びの一番の後、横綱・北勝海、大関・小錦と三力士での優勝決定巴戦が行われ、小錦には勝ったが優勝した北勝海に敗れ幕内優勝はならなかったが、3月場所後に初土俵から91場所での大関への昇進が決定しました。1991年(平成3年)1月場所では、千秋楽に北勝海を下して14勝1敗で初土俵から95場所目に幕内初優勝を果たしました。この後、夏場所から九州場所にかけては二桁勝利を重ね、62勝28敗で年間最多勝の成績を残しました。しかし、この後肘の故障や右足首の大怪我などにより戦果が上がらず、2場所連続負け越しで16場所守った大関から陥落しました。
 ・・成績
幕内時代の通算成績は518勝507敗40休で、大関時代の通算成績は139勝76敗25休です。三賞の受賞は殊勲賞が3回で、敢闘賞が1回で、技能賞が4回であり、幕内優勝回数は1回です。

 元霧島陸奥部屋公式サイトから

 ・・引退
大関時代は130kg以上あった体重も、陥落後半年が経つ頃には120kg台前半まで落ちて体力の衰えも目立ち、1996年(平成8年)3月場所限りで引退して、同部屋の弟弟子の寺尾が持つ年寄・錣山を借りて襲名しました。
その後名跡を勝ノ浦(伊勢ノ海親方所有の借株)に変更し井筒部屋の部屋付き親方として後進の指導をしていたが、1997年(平成9年)12月に陸奥親方(元前14・星岩涛)の退職により、陸奥に名跡を変更(年寄株取得)して陸奥部屋を継承しました。さらに2000年(平成12年)11月に立田川親方(元関脇・青ノ里)の停年退職により、立田川部屋を吸収して大部屋に変貌しました。2010年1月場所までは審判部に所属し、幕内の取組で勝負審判を務めました。同年2月より日本相撲協会理事を務めましたが、2011年4月に八百長問題を受けて委員に降格となりました。

 陸奥部屋陸奥部屋公式サイトから

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