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K&A

kan-haruの日記

イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその3

2015年09月25日 | イベント

kan-haru blog 2015 京急イベントおしらせ

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展示模型を見る
第1展示室から第2展示室に進むと右壁面には、原信太郎の所蔵する様々なゲージの鉄道模型が飾られています。小学生時代から作られていたといわれる、鉄道模型は他の鉄道博物館では見られない、まさに素晴らしい展示品です。第2展示室の左壁面には、「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明資料が掲示されています。

 第2展示室の展示品 
(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

第2展示室を出ると、「原信太郎と鉄道」のコーナーです。ここでは、信太郎がどんな鉄道を見てきたのか。自身の年表と、鉄道史とを重ねて解説してあります。
1872年(明治5年)に新橋ー横浜間に鉄度が開設し、私鉄の開業が相次ぎ戦争とともに国有化が進み、20世紀に入り鉄道が黄金化時代を迎えるころの1919年(大正8年)に信太郎が誕生して、裕福な家に生まれたので4歳のころ外国の鉄道のおもちゃを与えられ、少学5年でカメラを携え超特急「つばめ」で関西の一人旅を行いました。
 
 原信太郎の生涯と鉄道史1(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

1930~40年代は、鉄道の目覚ましい進歩が続きましたが、中学生の頃には模型造りには資材不足でした。独学により短波受信機で海外の動向を知り、海外の技術の高さをしり敗戦を予感しました。1940年に東京工業大学に入学し、朝鮮、満州と投稿して大陸で活躍の日本技術の各種の列車を見ました。戦争激化とともに、鉄道も軍事が優先されて技術もサービスも停滞しました。終戦を迎え、戦時中の量産車を改造した蒸気機関車は、輸送需要に応え日本の復興に力を尽くしました。1958年には「こだま」が、1964年には、「新幹線」が誕生しました、信太郎は㈱コクヨに入社し「全自動立体倉庫」を開発して会社の生産性向上に貢献し、また世界の鉄道の技術革新を目で見る旅を続け、「世界的な鉄道愛好家」として知られていきます。
  
 原信太郎の生涯と鉄道史2(左:大陸へ、戦争を迎えて、右:世界にはばたく0913) 

信太郎は、会社員時代に数百件の特許を取得し、延べ380ケ国の世界を旅して鉄道愛好家と交流を深め、模型を次々と製作して2011年時点では模型車両の約2千点に及び、所蔵する模型は約6千点に達しました。最初の1番乗りは、1927年(昭和2年)の8歳の時に、浅草から上野間を開通した地下鉄で、10銭玉を入れる改札機前に2~3時間待ちして果たしました。初めての一番切符は、1933年(昭和8年)の帝都電鉄(現京王電鉄井の頭)の開通時のもので0002番切符を購入しましたが、抗議して駅員が求めた0001番切符を手に入れられました。また、1934年(昭和9年)3月の地下鉄銀座駅開通ではナンバー2でしたが、同年6月の新橋駅開通では午後10時から粘って一番切符を獲得しました。さらに同年、丹那トンネルが開通して学校を病欠届出で休んで、熱海駅で一番切符を手に入れました。1954年(昭和29年)の東海道新幹線開通では東京発と大阪発の番切符を手に入れました。1961年(昭和36年)の伊豆急行電鉄開通の時は、2日前に待合室に車ごと乗り入れて発売を待ちました。

 原信太郎の生涯と鉄道史3(左:世界的な鉄道愛好家の信太郎、右:初乗りと切符収集
0913)  

第3展示室
第3展示室は、「ブィンテージ・コレクション」で、信太郎の鉄道の旅の一端を、模型などを交えて展示してあり、希少なアンティーク鉄道玩具などが見られます。このコーナーでの目玉の展示品は、ヴッパータールの空中電車の模型です。この模型は、ドイツの鉄道模型会社のメルクリン社が20世紀の初めに製造したヴッパータール市の懸垂電車であり、電気で動く模型の出始めた頃のもので、信太郎が電話を繋ぎぱなしにしてセリ落としたものです。
懸垂電車の登場は、1880年代に技術者のカール・オイゲン・ランゲンが、ケルンの自工場で運搬を行うために懸垂式モノレールを開発して使用していた。この技術を人や物資の輸送に応用できることに気づき、ランゲンの構想によるヴッパータール空中鉄道は、1898年に着工された。その後、1900年10月24日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の臨席を受けて試運転が行われ、最初に開通したのは、クルーゼ・劇場駅 - 動物園・スタジアム駅間で、オーバーバルメンまでが全通したのは1903年6月27日です。

 第3展示室ヴッパータール空中鉄道 
(左:ヴッパータールの空中電車の模型、:空中電車の0913) 

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその2
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イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその1


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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその2

2015年09月20日 | イベント

kan-haru blog 2015 横浜ジオラマ

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・京急展の展示
京急展開催の横浜三井ビルディング1階フロワーに掲示されているイベント案内板には、京急展開催期間内の9月30日までの間に入場すると、桜木町駅誕生100周年記念の横浜ジオラマの特別ディスプレイが展示しているとの案内がでており、同13日に見に行きましたので桜木町駅100周年記念横浜ジオラマも見られました。

 
原鉄道模型博物館展示案内(左:展示案内板、右:桜木町駅100周年記念横浜ジオラマ特別展示案内0913)

1階から直通のエスカレータで上がると、原鉄道模型博物館のエントランスで右側に入場券売り場があり、入場券(その1参照)を購入して入場口にかざすと入口が開きます。

 原鉄道模型博物館全館レイアウト

展示会場に入ると第1展示室で、京急展来館記念切符を作ろうとのコーナーがあり、ダッチングマシンと記念切符が置いてあり、各自がマシンに挿入して差し込みスライドさせると、その切符に入場日の日付けが乗車券の端に印字を行う体験ができます。また、右側には入館料10%OFFのスタンプカード(その1参照 ここをクリック)が置いてあります。
 
 
入場日を印刷するダッチングマシンと日付け印入記念切符(左:ダッチングマシン、右:ダッチングマシンを通した記念切符0913)

第1展示室「原模型の神髄」には、原模型の中の代表作が展示してあり、一号機関車は原信太郎が小学生の時に作った機関車で、博物館のマークとなっています。

 原模型の神髄の第1展示室 
(左:第1展示室、右:一号機関車0913)

ここで第1展示室に展示の模型を見ていきましょう。最初の金剛山電気鉄道22号は、朝鮮半島に存在した伝説の登山列車であり、箱根登山鉄道 チキ形 チキ1は、精密な木造、真鍮エッチングによる再現が見事です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型2 (左:金剛山電気鉄道22号、右:箱根登山鉄道チキ形チキ10913)

次のオリエント急行は、木造の美しい車両を天井絵まで見えるようにして作られた模型であり、或る列車は明治末期の幻の列車の模型です。

 第1展示室に展示の数々の原模型3(左:オリエント急行、右:或る列車0913) 

スイス国鉄 Ae4/7形の模型は、ブッフリ式駆動装置を再現してあり、阪神電気鉄道311形313は魅力的な形や色をした魅力的な電車です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型4(左:スイス国鉄 Ae4/7形、右:阪神電気鉄道311形313 0913)    

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1

2015年09月16日 | イベント

kan-haru blog 2015 原鉄道博物館の入場口

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京急展
京急展は、原鉄道模型博物館にて7月18日から11月3日まで開催されており、火曜日が休館(ただし、9月22日と11月3日は営業)で、11時から18時まで開館していますので、9月13日に見にいきました。

 
京急展パンフレット

原鉄道模型博物館の入館料は、大人1000円、中学・高校生700円、子供500円です。

 
原鉄道模型博物館入場券

ただし、帰りの際にわかったのですが、京急では京急展開催記念キャンペーンとして、京急線横浜駅改札内(中央口・北口・南口)に設置のスタンプ台にある用紙にスタンプを押して、原鉄道模型博物館に行くと、入館料が10%割引(1枚につき4名様まで有効)となります。

 
京急展入場料10%OFFスタンプ

原鉄道模型博物館へのアクセスは、横浜駅東口からポルタ地下街を南東方向に向かい、横浜駅前通りの出口Gで地上に出て、首都高速神奈川1号横羽線下の地上道路を南へ進み、川を渡った左側の横浜三井ビルディング(神奈川県横浜市西区高島1-1-2 地図参照 徒歩5分)の2階が2012年7月10日に開館した博物館です。

 横浜駅東口から原鉄道博物館へ(左:横浜駅東口ビル、右:横浜三井ビルディングの2階が原鉄道模型博物館0913) 

・原鉄道博物館
原鉄道博物館は、2012年7月10日に日本で初めて鉄道が開通した横浜の地に開館しました。当博物館では、原信太郎が製作・所蔵した世界一ともいわれる膨大な鉄道模型と、鉄道関係コレクションを一般に公開しました。信太郎の鉄道模型の特長は、蒸気機関車から電気機関車へと鉄道が著しい発展を遂げた時代の日本・ヨーロッパ・アメリカを中心とした世界中の鉄道車両を再現したコレクションです。

  原鉄道博物館パンフレット

原信太郎(はら・のぶたろう)は、1919年に東京生まれ、幼少時より鉄道を愛し、鉄道に乗り、撮影し、一番切符を集め、小学6年生から本格的な模型製作を始めました。鉄道技術を学ぶために東京工業大学工学部機械工学科に入学しました。第二次大戦後、コクヨ株式会社で開発技術担当。在職中は、世界初の立体自動倉庫やオフィス家具自動一貫製造ラインなどを開発し、300以上の技術特許を個人で請願・維持しました。退職後は、財団法人原総合知的通信システム基金設立し、若手研究者の海外論文発表のための助成をしました。
戦後は海外に積極的に渡航し、各国の鉄道車両を模型化して、所蔵模型数約6000両を有します。訪れた国、延べ約380ヶ国に及び、撮影スチール約10万枚の他、ムービーフィルム16mm、8mm、VTR 合計約440時間を有しています。(原鉄道博物館から) 
 原信太郎フォト・ライブラリー公開のパンフレット

・京急展の博物館外の展示物
原鉄道博物館の横浜三井ビルディング前の屋外には、京急から借用した工場作業用の仮台車が展示されています。仮台車の大きさは、予想以上のもので、説明によると1924年(大正13年)に製造された「デ51形ブリルシャ製電車の台車」と同一物で、車輪のメーカーは当時世界一の規模を誇っていたLOBDELL CAR-WHEEL COMPANY製とあります。この仮台車は最近まで使用されていましたが、車輪は貴重な歴史的な世界遺産であるので借用して展示してあるとのことです。
また、横浜三井ビルディングの1階フロワーの壁際には、京急の800形車両で使用されている、パンタグラフ「PT43-E」が展示されており、直前で見られますが、その大きさは予想以上のもので驚かされます。

 
京急工場作業用仮台車とパンタグラフ(:工場作業用の仮台車、:パンタグラフ「PT43-E」0913)

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社2015年秋の例祭夜の神輿渡御

2015年09月11日 | 大森町界隈あれこれ 社寺

kan-haru blog 2015

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谷戸三輪神社秋の例祭
谷戸三輪神社の例祭は、2006年2007年2008年および2010年の例祭の記事を掲載してありますが、2015年の例祭は高校の後輩が神輿渡御の扇動を行い、家の間近かの大森町商店街通りを練り歩き、19時半過ぎに第1京浜国道で折り返すと聞きましたので、久しぶりに見にいきました。例祭は9月第1の土・日曜に開催され、今年は5、6日に開催されましたので、まず5日の午後に徳川時代には西大森村の小祠の鎮守様であったといわれる、大森町商店街通りに並行した道路添いの谷戸三輪神社にお参りしてきました。

 2015年祭礼ポスター

谷戸の三輪神社は、氏子が大森三輪、鶴渡、邦西の三町会を擁し、地域は南北が大森町商店街通りの南側から、梅屋敷商店街通りの北側までのエリアで、東西が京浜急行電鉄線からJR東海道本線に接した大森西4丁目から7丁目までの地域におよびます。

 谷戸三輪神社氏子の大森三輪、鶴渡、邦西町会の地域地図(再掲)

谷戸の三輪神社へは、大森町駅から西側線路添いに梅屋敷方に進み、斜めに進む右折路に折れて一直線に行くと、2つ目の四つ角を超えると左側が北向き鳥居の神社正門です。

 北向きが正門の三輪神社 
(左・右:0905)

正門を潜ると正面が三輪神社本殿で、奉納するとお守りお札とお神酒が授かります。
 三輪神社本殿と奉納により授かるお守り札とお神酒(左:三輪神社本殿、:奉納授かり品0905) 

神社本殿の右側に神楽殿があり、神楽殿の右側に渡御前の宮神輿が鎮座しています。宮神輿は、打ち出し模様の吹き返しを大きく立ち上げた、延軒屋根の勾欄造りです。祭神は大国主命で、台座が二尺四寸(73cm)の行徳・浅子周慶の作で製造年度は不明ですが歴史あるお神輿です。

 
三輪神社神楽殿と宮神輿(左:神楽殿、:歴史ある宮神輿0905)

三輪神社は、太平洋戦争の空襲により全社殿を消失し、1951年(昭和26年)に氏子により再建されましたたが、老朽化のために、1988年(昭和63年)に現社殿に再建されました。

 三輪神社境内 
(左・右:0905)

5日の三輪地区の子供神輿と山車の渡御は、13時ころに神社前から出発です。なお、子供神輿は三輪地区の他に、鶴渡地区および邦西地区の3地区において、それぞれからも渡御が行われます。

  三輪地区の子供神輿 
(:0905)

子供神輿と山車の渡御は、15時30分頃大森第3小学校の北口門付近で出逢いました。
 
 三輪地区の子供だし渡御 (:0905)

宮神輿の大渡御の渡御は、残念ながら鶴渡と三輪地区の一部で6日に行われます。5日の中神輿の渡御は17時30分に西7丁目公園を出御し、邦西地区を巡行して、大森町商店街通りを東邦医大通りから第1京浜国道までの全区間練り歩いて、20時半に三輪神社に宮納め予定です。
 
 
三輪神社宮神輿夜間渡御1(:0905)

しかし、三輪神社が圧巻の夜間渡御は遅れて、20時を過ぎて大森町駅に到着して、第1京浜国道の中央部までの渡御です。

 三輪神社宮神輿夜間渡御2
(:0905)

国道をユータンした神輿は、三輪神社宮入りへとご帰還の最後の渡御です。

  
三輪神社宮神輿夜間渡御3(:0905)

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<前回  大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 修復大人神輿の渡御が行われた諏訪神社2014年例祭その2

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第8回)

2015年09月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 京急高架工事予告

旧上り線内川北方仮高架橋取り壊し 
7月28日に見ると、内川北岸道路脇の4本組橋脚柱は、東側の2本は建立されたままで、西側の2本は半分カットされた状態で残されています。また、並行区道北方の4本組橋脚柱上の旧上り線内川北方仮高架橋桁の残部は撤去され、4本組橋脚柱のみが建立したままで残されています。

 7月28日に見た高架橋の並行区道の仮高架橋撤去状況 (左上:内川北岸道路直近の未撤去の2本の橋脚柱、中上:高架橋並行道路北方から見た未撤去橋脚柱右上左下:高架橋並行道路北方から見た未撤去橋脚柱台中下:未撤去の高架橋支え枠、右下:北端の未撤去の合流部仮高架橋0728)

同日にはの内川上に仮設
の、仮上り線の内川鉄橋梁台枠の撤去工事が、白色布で覆い撤去工事が進められていました。

 撤去工事中の仮上り線内川鉄橋の橋梁部(:西方から見る、:東方から見る0728)

8月22日には、大森町駅北方から平和島南方間の京浜急行の上り、下りの走行車から、高架化工事中に使用した旧上り線仮高架橋の撤去の工事状況を見て動画を撮影しました。

大森町駅北方から平和島南方までの旧上り線仮高架橋の撤去工事を見る20150822

9月1日に見ると、京急高架橋築造のために旧上り線仮高架橋部の下部内川上に仮設された、工事用の高架橋建設台の取り壊し工事が始められていました。

 内川高架橋梁建設の基礎工事台の撤去工事(:内川川上より内川高架橋梁と工事用高架橋建設台を見る:内川川下より高架橋下から工事用高架橋建設台を見る:取り壊しが始められた工事用高架橋建設台0901)

同4日には、工事用の高架橋建設台の取り壊し工事が進んでいました。

 取り壊しが進む内川上の建設用の高架橋建設台 
(:0904) 

・京急高架橋並行区道上の高架橋撤去工事
京急高架橋に並行の区道上を9月1日に見ると諏訪神社参道交差点までは、旧上り線仮高架橋体は撤去され、切り残された橋脚柱のみとなりました。

 旧上り線仮高架橋が除去された高架並行道路(内川北岸から諏訪神社交差点)(左上:上り線仮高架橋が除去された北方を見た高架並行道路南方部、中上:北方を見た並行道路南中央部右上:南方を見た並行道路南中央部、左下:北方を見た並行道路北中央部、中下:高架並行道路から見る切断された橋脚柱、右下:諏訪参道交差点から南方を見た高架並行道路0901)

諏訪神社参道交差点以北の旧上り線仮高架橋合流部は、同1日に見ると白布で囲って撤去工事が行われています。

 諏訪参道北方の合流部旧上り線仮高架橋撤去工事 
(:0901) 

同4日には白布が外され、旧上り線仮高架橋合流部はほとんど取り壊されました。
 
  取り壊しが進んだ旧上り線仮高架橋合流部
(:0904)

9月1日には
並行区道上の撤去された、旧上り線仮高架橋の地下杭部の撤去工事が行われていました。

 
旧上り線仮高架橋部の橋脚柱地下部撤去工事(:0901)

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サブ・カテゴリー別Index
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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第9回)

 

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 9月INDEX

2015年09月01日 | INDEX

kan-haru blog 2015 91日84版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年8月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その1 819
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その2  825
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その3 830
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その1)  86
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)  812

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 23 旅ものがたり 総目次
23 旅ものがたり 総目次 
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年版  
26 ITと技術 総目次 
 ◇ 2006~2011年版2012年版2014年版
27 Weblog 総目次 

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その3

2015年08月30日 | 大森町界隈あれこれ 商店街

kan-haru blog 2015  大森町商店街通りから見た京急本線付属街路1号線20141214撮影

大森町商店街南方の変貌する道路(続)
 谷戸貴管神社
ファームストンビル南面の塀の隣は、セットバックが完了の貴菅神社境内(セットバック以前の風景は「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 ささやかに鎮座する貴船(貴菅)神社」で参照できます)です。セットバックにより、以前には左側にあった社務所が右側に配置替えとなりました。

  セットバックされた貴管神社正面と本殿・社務所(右)(左:0821、右:0805)

鳥居を潜り境内に入ると左手にお水屋があり、正面に本殿が配されています。
 
 鳥居を潜ると左手にお水屋が置かれ正面が本殿の貴管神社(左:お水や、右:本殿0805) 

セットバック以前には鳥居を潜るとすぐ右側に配されていた福満子(ふみこい)稲荷社は、本殿の左側に並んで配されて移設されました。

 神社本殿の左の福満子稲荷社(左・右:福満子稲荷社0805) 

補助線街路34号線経て京急本線付属街路1号線へ
 神社を出て南に進むと谷戸交番で、補助線街路34号線交差点の角地に建って(地図参照)います。

 補助線街路34号交差点に建つ神社の南側の谷戸交番(左・右:補助線街路34号線交差点の角地に建つ谷戸交番0821)

大森町交差点から進んできた第1京浜国道を、補助線街路34号線交差点で右に折れて西方へ進み、大森町へとUターンします。

 補助線街路34号線交差点を右に曲がり西方へ進む(左・右:補助線街路34号線0821)

補助線街路34号線を進み、京急高架ガードを潜ると高架線路脇には大森町から梅屋敷を結ぶ、京急本線付属街路1号線があります。同付属街路1号線は、南方の梅屋敷への街路はまだ、拡幅工事が行われていませんが、北方の大森町への街路は幅員が6m幅に拡幅工事が済んでおり、この道を通って大森町駅前にと戻ります。
  
  京急本線付属高架1号線道路説明図 
(左:京急本線付属街路1号線地図、右写真1:梅屋敷方への京急本線付属街路1号線0805、右写真2:京急本線高架橋下梅屋敷方を見る0821写真3:大森町方への京急本線付属街路1号線0805、右写真4:京急本線高架橋下大森町を見る0821) 

京急本線付属街路1号線を北へと進むと、交差歩道①(説明地図参照)となります。この交差歩道の京急高架橋の東側は、ファームストンビル北側の路地に対面(この間には昭和20年代を境にして踏切で結ばれていました)しています。

 交差歩道①付近の京急本線付属街路1号線 
(左:街路1号線の北方を見る、右:同南方を見る0805) 

さらに、街路1号線を北へと進むと交差歩道②(説明地図参照)となります。この交差歩道の京急高架橋の東側は、エンゼルハイム大森町第二ビル交差点道路に同様に踏切で結ばれていました。

 交差歩道②付近の京急本線付属街路1号線 (左:街路1号線の北方を見る、右:同南方を見る0805) 

交差歩道②から北へと進むと交差歩道③(説明地図参照)となります。この交差歩道の京急高架橋の東側は、メイツ大森ビル北側交差点道路と踏切で結ばれていました。③の街路1号線をさらに北方へ進むと、大森町商店街通りです。
 
 交差歩道③付近の京急本線付属街路1号線 (左:街路1号線の北方を見る、右:同南方を見る0805)  

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その2

2015年08月25日 | 大森町界隈あれこれ 商店街

kan-haru blog 2015  拡幅の第1京浜国道をセットバックして鎮座する貴菅神社

大森町商店街南方の変貌する道路(続)
前回は、大森町商店街南方の変貌する道路の第1京浜国道を、幅員拡幅工事が完了したエンゼルハイム大森町第2ビルの交差点まで進みました。この部分の幅員拡幅工事の道幅構成形態は、大森町交差点からマイキャッスル大森町エクセレントステージビル前までは完成形態ですが、横道を挟んだライズコート大森町ビル横駐車場から南は、車道が狭くなりエンゼルハイム大森町第二ビル前では、従前の国道幅となっています。
 
 第1京浜国道拡幅説明図(大森町交差点ーエンゼルハイム大森町第二ビル前間) 

今回は、エンゼルハイム大森町第二ビル交差点先からの第1京浜国道拡幅工事中の道路の変貌を見ながら進みます。

 拡幅工事中第1京浜国道を南へ進む1 
(左:国道東側から見たエンゼルハイム大森町第二ビル交差点、右:同交差点北方から見た西側歩道と拡幅部0821)

交差点先の道路は、拡幅部跡の旧建築物は従前に撤去され整地が終わり、これから国道の幅員拡幅工事の準備が始められところです。 

 第1京浜国道の拡幅工事部

エンゼルハイム大森町第二ビル交差点から南へ進むと、ナイルス株ビルとエンゼルイン大森ビルが並んでいます。

  拡幅工事中第1京浜国道を南へ進む2
(左:エンゼルイン大森ビル、右:エンゼルイン大森ビルとナイルス株ビルが並ぶ0821)

エンゼルイン大森ビル前を南に進むと、国道の幅員拡幅工事跡地にブロック塀が撤去されずに残っており、その先の市村工芸の前には大森西5丁目バス停となっています。

  拡幅工事中第1京浜国道を南へ進む3
(左:エンゼルイン大森ビルの先の拡幅跡地にはブロック塀が未撤去です、右:市村工芸前は大森西5丁目バス停前0821)

市村工芸の南面には路地道路があり、道路の南先はファームストンビル前です。

  拡幅工事中第1京浜国道を南へ進む4 (左:市村工芸の南側は路地道路です、右:路地道路道路を超えた南先はファームストンビル前です0821)

ファームストンビル南面の塀の外は貴菅神社境内です。以前は幅員拡幅工事前の国道に面して鳥居が鎮座していましたが、現在は神社境内を拡幅工事跡までセットバックして、鳥居、本殿、水舎、末社および社務所などを移築して鎮座(トップ写真参照)してあります。

  ファームストンビルの塀の南側は貴菅神社境内です
(左・右:セットバックして鎮座する貴菅神社0821)

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する駅周辺道路第7回その1

2015年08月19日 | 大森町界隈あれこれ 商店街

kan-haru blog 2015  第1京浜国道拡張済部南端

大森町商店街南方の変貌する道路
大森町駅南方の京浜急行電鉄本線沿いの敷設道路には、東側の放射第19号線と西側の京急高架橋添いの都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線がともに南へと伸びており、いずれも幅員の拡幅工事が行われています。
放射第19号線(通称第1京浜国道)は、中央区京橋一丁目を起点とし、大田区東六郷三丁目に至る国道で、大森中一丁目から蒲田三丁目間の約1,190mの区間で、計画幅員35m~50mに拡幅整備します。現在、大森町駅南方のエンゼルハイム大森町第2ビルまでの拡幅工事が終了し、その先南方は拡幅工事に着手した状態です。
都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線(略記載京急線並行拡幅済道路、地図緑色)は、内川南岸マルエツ付近道路から補助34号線までの京急高架橋に沿った道路で、幅員6mの拡幅工事が最近終了して整備されています。
この道路の拡幅工事により、第1京浜国道沿いに鎮座していた貴菅神社は本殿をバックして移転を行いましたので、神社と2つの道路を8月5、17日に見てきました。

 大森町駅周辺の拡幅道路説明図

・大田区区画街路3号線拡幅道路
大森町商店街の大森町東商店街通り(大田区区画街路3号線拡幅道路)の拡幅工事(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 都市計画道路事業で変貌する暮れゆく駅周辺商店街第6回その1」参照)は、第1京浜国道に面した三角地点の元タバコ屋さん跡に商店ビルが建ち、ビル前の歩道の整備工事が終了すると完了です。

 第1京浜国道に面した大田区区画街路3号線(左:商店街通りから見た三角地点商店裏の通り抜け道路、右:整備中の商店街通り南側歩道0817) 

商店街通りから三角地点の商店の間の道を進むと、パチンコ店ピーランド前の第1京浜国道の歩道です。
 
 
商店街通りから第1京浜国道に抜ける(左:三角地点商店の裏を抜けるとパチンコ店ピーランド前、右:三角地点商店裏通りを抜けると第1京浜国道西側歩道0817)

第1京浜国道を南方に進むとメイツア大森ビル前を経ると、みとや大森町店前です。
 
 第1京浜国道を南方に進む1 
(左:第1京浜国道メイツ大森ビル前、右:同みとや大森町店前0817) 

第1京浜国道をみとや大森町店前を通過してエンゼルハイム大森町第2ビルの交差点で、幅員拡張済の国道の南端の交差点です。

 第1京浜国道を南方に進む
(左:みとや大森町店、右:エンゼルハイム大森町第2ビル交差点0817)

エンゼルハイム大森町第2ビルの交差点を境にして、北方は幅員拡幅工事が完了していますが、南方は拡幅工事が開始されたところです。

 エンゼルハイム大森町第2ビルの交差点歩道の北方と南方
(左:エンゼルハイム大森町第2ビルの交差点北方、右:同南方0817) 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)

2015年08月12日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 諏訪神社参道交差点

旧上り線内川北方仮高架橋取り壊し(続)
6月28日に上り線走行車の横窓から、取り壊し中の旧上り線内川仮高架橋を見てみました。前回(6月13日)に未撤去であった旧上り線内川仮橋梁は撤去され、未撤去部分の仮高架橋は内川北岸の道路上部分と同道路の諏訪神社参道北方の本高架橋との合流点までの2か所が撤去工事中です
注:今回よりブログ作成環境がWindous10と変更しましたので、一部の静止画の縦横比サイズが異なりますので、了承願います。 


 撤去された旧上り線内川仮橋梁部
(:撤去された旧上り線内川仮橋梁南岸:同仮橋梁中央:仮橋梁北岸0628)

旧上り線内川仮高架橋の未撤去高架橋の1つは、旧上り線内川仮橋梁北岸の高架橋並行の区道から数十mほど北方へと続きます。

 撤去工事中の内川北岸の旧上り線内川北方仮高架橋
(:撤去工事中の旧上り線内川仮高架橋内川北岸の南端部:同仮高架橋内川北岸の中間部:同仮高架橋内川北岸の北端部0628)

7月21日に上り線走行車から見ると、旧上り線内川北方仮高架橋部の取り壊し工事は、未撤去の仮高架橋部の撤去が進み、1つは内川橋梁部付近のみでの本高架橋へとの仕上げ工事が進展しています。

 
旧上り線内川仮橋梁部から北岸仮高架橋の撤去完了化工事(:旧上り線内川仮橋梁部南部取り壊し完了仕上げ工事、:同北岸部付近の取り壊し完了仕上げ工事、:北岸道路上の仮高架橋部取り壊し完了工事0721) 

同23日に地上から旧上り線内川橋梁部を見ると、工事布をかけているのは内川を挟む川岸道路の間で、取り壊しの整備工事が進められています。

 
旧上り線内川橋梁の取り壊し整備工事(左上中上右上左下中下右下:0723) 

同日に内川北岸の並行区道北方の4本組橋脚柱上には、取り壊し中の旧上り線内川北方仮高架橋部の残部が残っています。写真の中下・中右は区道の北方から見たもので、その他は南方からの撮影です。 
並行道中間の取り壊し中の旧上り線内川北方仮高架橋(左上中上右上左下中下右下:0723)    

諏訪参道(トップ写真参照)北方には、旧上り線内川北方仮高架橋と本高架橋と合流点の高架橋部が取り壊し中で、仮高架橋が残存しています。
 
 
諏訪参道北方の取り壊し中旧上り線仮高架橋 (:区道南方から見る、:区道北方から見る0723) 

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次回  
大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第8回)

 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その1)

2015年08月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 内川北岸の道路上の未撤去の旧仮高架橋底部 第2版誤記訂正

旧上り線内川北方仮高架橋取り壊し
6月13日に上り線走行車から旧上り線内川仮橋梁を見ると、橋梁橋桁上の西方に白色布幕の覆いが付けられていました。

  上り線走行列車から見た旧上り線内川仮橋梁(:旧上り線内川仮橋梁南端、:旧上り線内川橋梁中央部、:旧上り線内川橋梁北端0613)

地上から旧上り線内川仮橋梁南部を見ると仮高架橋は撤去され、同内川仮橋梁は撤去工事のため白布の囲いがかけられていました。
 
 地上から見た内川南岸旧上り線高架橋跡と旧上り線内川仮橋梁 
(:地上から見た旧上り線内川南岸高架橋の撤去跡:同旧上り線内川橋梁部の撤去工事中の旧上り線高架橋、:同旧上り線内川橋梁部の撤去工事中の旧上り線高架橋底部0613)

内川北岸の内川仮橋梁の北方には、未撤去の旧上り線内川仮高架橋が諏訪神社参道交差点までの間に存在して、撤去工事が行われています。未撤去部分の工事個所を、地上道路と上り線走行車から同13日に見てみました。

  内川橋梁北部の旧上り線内川仮高架橋未撤去工事個所
(左上:内川橋梁北側、中上:未撤去仮高架橋中央部右上:未撤去仮高架橋北端、左下:内川橋梁北側中下:未撤去仮高架橋中央部右下:未撤去仮高架橋北端0613)

上下線完成高架橋に並行に通る道路から南方の、未撤去の旧上り線内川仮高架橋を見てみました。

 高架橋並行道路から南方を見た未撤去の旧上り線仮高架橋部
(:高架橋並行道路から見た未撤去の旧上り線内川仮高架橋:諏訪神社交差点北方から見た未撤去の旧上り線内川仮高架橋0613)

旧上り線内川仮高架橋取り壊し箇所は、諏訪神社参道交差点北方道路の上にも、もう一つの未撤去の旧上り線内川仮高架橋が残存しています。

 諏訪神社交差点の北方並行道路上の北部未撤去仮高架橋部 
(:諏訪神社参道交差点北方道路上の未撤去の旧上り線内川仮高架橋部:平和島方から見た道路上のもう一つの未撤去仮高架橋部0613)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事雑色編(第8回その3)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2015年後期版

2015年08月06日 | INDEX

kan-haru blog  2015年11月21日126版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2015年後期版

2013年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照

2014年中期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2015年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



493 
大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その1)  8月9日
494  
大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第7回その2)  8月13日
495  
大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第8回)  9月6
496  大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事大森町駅編(第9回)    11月6日
497  
大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第9回)   11月21日

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 8月INDEX

2015年08月01日 | INDEX

kan-haru blog 2015 81日83版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年5月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 


  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了工事雑色駅新改札口使用開始(第8回その1)  76
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事雑色編(第8回その2)  711
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 高架化事業完了仮上り線高架橋撤去工事雑色編(第8回その3)  716

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
 ■ 風景・風物詩 夏の風物詩 幼児期に住んだ入谷の小野照崎神社と朝顔まつりその1  723
 ■ 風景・風物詩 夏の風物詩 幼児期に住んだ入谷の小野照崎神社と朝顔まつりその2  729日      ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 

23 旅ものがたり 総目次
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年版  
26 ITと技術 総目次 

  ◇ 2006~2011年版2012年版2014年版
27 Weblog 総目次 

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風景・風物詩 夏の風物詩 幼児期に住んだ入谷の小野照崎神社と朝顔まつりその2

2015年07月29日 | 風景・風物詩

kan-haru blog 2015 

入谷の朝顔市
小野照崎神社から朝顔まつりが開かれている入谷鬼子母神へは、通りを一つ隔てた言問通りの入谷交差点を渡ります。入谷の朝顔市は、例年七夕の前後3日間(7月6日、7日、8日)開催されますが、7日に久しぶりに小野照崎神社を参詣してから鬼子母神(真源寺 台東区下谷1-12-16)にもお詣りしました。しかし、前回の朝顔まつりに行った2008年は、主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の開催のため、第60回朝顔市の開催日が7月18、19日、20日(「風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市2008」参照)に変更されました。

 小野照崎神社から言問通りへ (左:小野照崎神社から言問通りに向かう路地裏通り、右:昭和・言問通り交差点)

入谷の交差点には、昭和31年7月に、下谷観光連盟が建立した「入谷朝顔発祥之地碑」と「入谷乾山窯元之碑」があります。「入谷朝顔発祥之地碑」は、鬼子母神の辺りは江戸末期から朝顔栽培が盛んだったところで、境内を中心に朝顔市がたち、早朝から夜遅くまで賑わって、全国的に有名になった入谷の朝顔を顕彰した碑です。「入谷乾山窯元之碑」は、入谷の地は古くから農閑期を利用して土器の製造の盛んなところであり、名陶工といわれた尾形乾山は、1731 年(享保16年)69歳の頃に江戸に下り、寛永寺領入谷の鬼子母神の前あたりに窯を築いて晩年を送りました。そして81歳で没するまで江戸に在住し陶器や絵画の制作に手腕を発揮したことを顕彰して建立されました。 

 
言問通りを横断して朝顔祭りへ (左:言問通りを横断して朝顔祭りへ、右:「入谷朝顔発祥之地碑」と「入谷乾山窯元之碑」)

今年の朝顔まつりは、66年目を迎え例年通り入谷鬼子母神から言問通りに120数軒の朝顔業者の朝顔約12万鉢が並び、毎年40万人の人出で賑わいを見せています。

 賑わう朝顔市露店(左・右:約12万鉢が並ぶ朝顔市露店)

入谷鬼子母神 
入谷の鬼子母神は、仏立山法華宗本門流の寺院で真源寺といい、1659年(万治2年)に光長寺20世・日融が当地に法華宗本門流の寺院を開山して鬼子母神を祀っています。鬼子母神は仏教の守護神であり、明治以前は神も仏もいっしょに祀られていましたが、神仏分雛により独立しましたが、鬼子母神はいわゆる神様ではないということで、そのまま真源寺に残されました。地口の「恐れ入谷の鬼子母人、びっくり下谷の広徳寺・・・」は、「恐れ入りやした」の「いりや」を地名の「入谷」に掛け、同地にある「鬼子母神」を続けたもので、「恐れ入りました」をしゃれて言ったもので、「びっくりした」は「びっくり下谷」と地名の「下谷」に掛けた言葉遊びです。
 
 朝顔市の鬼子母神境内1 
(左:人で一杯の境内、右:境内に並ぶ朝顔鉢)

それほど広くない真源寺境内には、沢山の朝顔鉢が並び、多くの参詣人で一杯です。真源寺をお参りして、大と小の朝顔のお札を頂いてきました。

 大小の朝顔のお札 

朝顔市は真源寺境内での鉢植えと、露店の鉢植えが12万鉢並び、立派な鉢植えの朝顔は5千円からで、一般の朝顔鉢は2008年の朝顔市と同値の2千円でしたので、何時ものように一鉢購入しました。

  朝顔祭りの朝顔売り場
(左:真源寺境内の朝顔売り場、右:朝顔市露店の朝顔売り場)

また、境内の郵便局出店で記念の朝顔市とほおずき市の上野記念切手を購入して、金鳥が配る朝顔市の団扇を貰って入谷駅から地下鉄で帰宅しました。

 
朝顔市で入手した記念切手と団扇

 今年購入の朝顔は矢車鉢で、購入の翌日から元気に毎日花を付け、楽しんで観賞をしています。
  連日花を付ける朝顔市で購入の鉢

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風景・風物詩 夏の風物詩 幼児期に住んだ入谷の小野照崎神社と朝顔まつりその1

2015年07月23日 | 風景・風物詩

kan-haru blog 2015 祈願絵馬

入谷の朝顔
入谷は、台東区の町名で、幼児期の4才の頃一時住んだことがある町であり、台東区北部の下谷地域に属します。入谷の歴史は、昔は豊島郡坂本村の一部であり、江戸時代末期・明治時代に入ってから朝顔栽培が盛んになり、入谷朝顔市が開かれる場所として有名になりました。朝顔市の入谷鬼子母神も旧入谷町にあり、現在は下谷(坂本)です。

 入谷鬼子母神と小野照崎神社

小野照崎神社
下谷に住んでいたすまいのそばには、小野照さまと呼ばれた小野照崎神社(台東区下谷2丁目13番14号)があり、懐かしく思い朝顔市を見がてら、77年ぶりの7月7日に小野照さまを参拝しました。小野照さまは、樋口一葉の「たけくらべ」にでてきます。
小野照崎神社へのアクセスは、東京地下鉄日比谷線の入谷駅4番口から出て、道路を西方に進むと3分ほどで神社正門の鳥居です。

 小野照崎神社正門(左:正門、右:正門鳥居)

鳥居を潜ると左に手水舎があり、右手に社務所のある参道を進むと、社務所の奥に参道と並行向きの本殿があります。

 社殿へは鳥居を潜ると左に手水舎、右に社務所前の参道を進む(左:手水舎、右:社務所)

現在の社殿は台東区教育委員会の掲示によると、1866年(寛永2年)の建築であり、関東大震災や東京大空襲などを免れたとあり、都内でも屈指に古い御社殿です。 

 小野照崎神社本殿

小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人の小野篁(おののたかむら)で学問・芸能の神様です。

  小野寺崎神社ご社殿(左:ご社殿、右:小野寺崎神社由緒掲示板←ここをクリック)

創期の年代は不明であるが、伝承によれば、篁が上野国司の任期を終えて帰路についた時に、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞しました。852年(仁寿2年)に篁が亡くなった時に彼の霊を、風光を楽しんだ忍岡に奉祀しました。

 小野照崎神社由緒説明

江戸時代を迎えた、1625年(寛永2年)に、忍岡に東叡山寛永寺の創建にあたり、小野照崎神社を移転することになり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた、現在地に遷しました。なお、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った1691年(元禄4年)ころに遷座したのではないかとも云われています。

  小野寺崎神社御朱印

小野照崎神社の境内には、社務所の対面に境内末社が鎮座し、その末社の御嶽神社は御嶽信仰者より古く創建され、江戸末期に琴平神社と、大正9年に三峰神社が合祀されています。境内末社の奥に並んで、日本三大庚申の一つである庚申塚には、11基の搭が祀られており、最古のものは1647年(正保2年)の作であり、青面金剛の搭は大阪四天王寺と同作の霊像で聖徳太子作と伝えられています。

 社務所対面には境内末社と庚申塚が鎮座(左:社務所の対面に境内末社が鎮座、右:境内末社の奥に並ぶ庚申塚)

庚申塚前から参道を西に折れると、小野照崎神社の西口の鳥居で、西口参道の右側には境内末社の稲荷神社は、長左衛門稲荷と称し小野照崎神社遷座前から尊祀されていた古い地主神様です。また、この末社には、昭和29年に織物組合内に奉斎されていた織物神社が合祀されています。
また、庚申塚前から折れずに直進すると、神社神輿蔵に突き当ります。
 例大祭は、3年に一度の5月19日に近い土曜日・日曜日に本祭りが行われ宮神輿渡御が行われますが、2015年は「陰」と呼ばれ5月15日~17日に、氏子15ヶ町の町会神輿が神社まで連合渡御されました。

 庚申塚の先を左に折れると神社の西口で直進すると神輿蔵(左:庚申塚の先を左に折れると神社の西口、右:庚申塚を折れずに直進すると神社神輿蔵)

・富士塚
小野照崎神社の神輿蔵前を右手奥に進むと、幼児の頃おぼろげに覚えていた富士塚があります。
富士塚は模造の富士山で、台東区教育委員会の掲示によると、「武江年表」と同年の頃に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とあることから、1782年(天明年間)に築山し麓に浅間神社を奉斎し、1828年(文政11年)に大修復がされたと考えられております。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請けしたといいます。東講は富士山信仰の集団で、冨士講の1つで、室町時代末期頃に起こり、江戸時代中期には盛んとなり、江戸をはじめとして冨士講があちこちで結成されました。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は、五十有余を数えるにいたりました。ここの富士塚は高さが約5m、直径が約16mで、塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側の一部が欠損しているが、原形が翌保存されている貴重な塚で、昭和54年5月21日に、国の重要有形民俗文化財に指定されました。
富士塚は、毎年6月30日と7月1日に限り、一般の登拝に開放し、元気な子供たちの歓声が夏の風物詩です。 

 1782年(天明年間)に築山した富士塚 
(左:山麓に奉斎の浅間神社、右:1782年(天明年間)に築山した富士塚)

懐かしい小野照崎神社の参拝を終えて、社務所でお札、お守りを受け、おみくじをひいてからて朝顔市へと向かいました。
 
 懐かしのお宮でお札、お守りを受け安全祈願をしました

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