こんどう冬爾(とうじ)は1938(昭和13)年、鳥取市生まれ。
1950年代後半、広島、長崎を訪ね、多くの人が犠牲となった事実を伝えようと決心するも、一度は挫折。
1998(平成10)年、「21世紀を生きる人が立ち止まり、原爆投下について考えてもらえる絵を描こう」と、再びキャンバスに向かう。
【問題】
原爆をテーマに創作に取り組んでいる画家・こんどう冬爾の個展「原爆の詩」が開かれている被爆建物は、次のうちどれでしょうか?
1.旧日本銀行広島支店
2.広島市郷土資料館
3.広島市役所旧庁舎資料展示室
4.本川小学校平和資料館
【正解】
1.旧日本銀行広島支店
【解説】
原爆をテーマに描き続けている鳥取市出身の画家こんどう冬爾=本名近藤侑司(ゆきじ)さん(71)・東京都練馬区=の個展「原爆の詩」が、広島市中区袋町の旧日本銀行広島支店で開かれている。
14日まで。
広島と長崎をテーマに描きためた油彩画35点を並べた。
中国新聞の連載「ヒロシマの記録 ― 遺影は語る」を題材とし、きのこ雲を表現した「真夏の朝の星々」は、来場者が作品上に原爆犠牲者の表情を描くことができる。
原爆投下前の朝、さく裂、黒い雨を描いた3部作や、原爆資料館(中区)にある人影の石をモチーフにした作品などもある。
こんどうさんは18歳で原爆ドーム(中区)を目にして以来、原爆をテーマにした。だが「被爆者でないと描けない」といったん挫折。
1998年、新たな視点で被爆体験を継承しようと制作を再開したという。広島での個展は初めて。
無料。
(「原爆の惨劇伝える油絵35点」中国新聞 2010年5月9日)
今日、たまたま旧日本銀行広島支店の前を通りがかって、時間もあったので入った。
そんなわけで、何の前知識もなく、こんどう冬爾の作品を見た。
最初に展示してあった、「夏空」「炸裂」「黒い雨」の3枚組の「その瞬間(とき)」作品を見たとき、気がついた。
「ああ、わしゃ、これを体験したかったんじゃ」
「体験したかった」と言うと誤解されるかもしれないが、人から聞いたこと、写真や画像で見たことは、その人が感じた「感情」を自分で「体験」せんと、理解したことにならんと、わしゃ思うとる。
真夏の、まっ青な広島の空に原爆が投下され、炸裂した瞬間、何が見えたのか?
光の洪水に包まれたとき、爆風を受けたとき、どんな感じがしたのか?
原爆を投下した時のキノコ雲、その後の惨状は、何度も何度も見て、聞いてきた。
(もちろん、それで「わしゃ、十分理解できました」なんていうつもりはないんじゃがの)
わしの中では、「その瞬間」の情報が足らんかったんじゃろう。
その足らんところに、こんどう冬爾の作品がスッと入ってきて、「体験」できたんじゃと思う。
なんか、言葉でうまく説明できんのがもどかしいが、まあ、こんなことを感じたんじゃ。
ご本人から作品についての説明をして頂いて、ええ時間を過ごすことができた。
仕事の途中だったので、ゆっくりと見ることができんかったのが、残念。
時間を作って、もう1度、見に行くつもりじゃ。
5月14日(金)まで、午前10時から午後6時(最終日は4時まで)まで、旧広島銀行広島支店で開催されとります。
↓こんどう冬爾「原爆の詩」については、こちら↓
こんどう冬爾
↓被爆建物については、こちら↓
“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
↓被爆建物についての過去の記事は、こちら↓
次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?
赤れんがの被爆建物で、人々の暮らしにかかわる歴史をテーマとした施設は?
それにしても、創作活動をする人の執念深さには、いつものことながら圧倒される。
こんどう冬爾は、「長崎の街の写真がない(当時の長崎は軍都だったので、機密上、写真撮影は禁止されていた)」「浦上天主堂の側面の写真がない」と資料を探し集めたうえで、絵を完成させとられます。
「悪魔の華」という作品は、長崎の街並みを調べていたため、完成まで4年もかかったそうじゃ。
先月亡くなられた井上ひさしも、『父と暮せば』『紙屋町(かみやちょう)さくらホテル』など原爆関連の本も書かれとります。
『父と暮せば』は映画化されとるし、新潮文庫からも出版されとります。
その本の末尾に「主要参考資料」というページがあって、その中にこんな資料が載っとった。
井上ひさし編著『共通語から広島方言を引く辞書』自家製
この自家製の本にどのくらいの内容が詰まっているのかは、わからん。
(想像はできるが、わしの想像を超えた内容のような気がするんよのう…)
しかし、ひとつの作品を描くのに、これだけものを作ってしまうとは、プロの作家というのは凄いもんじゃ。
5月9日(日)まで、熊野町の筆の里工房で行われていた「絵職人 男鹿和雄の世界」を見に行ったときもそうじゃ。
絵の描き込みもそうじゃが、筆に対するこだわりもすごかった。
熊野といえば、筆の町。
筆を作ってもらうのに、絵や言葉でいろいろと注文を出されとって、そのやりとりのFAXなども展示してあった。
たとえば、こんな感じ…。
「全ての毛が、先端の中心に向って、まっすぐ同じ感じで集ってほしい。(柔かさで)(弾力も)」
今日は、こんどう冬爾について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
1950年代後半、広島、長崎を訪ね、多くの人が犠牲となった事実を伝えようと決心するも、一度は挫折。
1998(平成10)年、「21世紀を生きる人が立ち止まり、原爆投下について考えてもらえる絵を描こう」と、再びキャンバスに向かう。
【問題】
原爆をテーマに創作に取り組んでいる画家・こんどう冬爾の個展「原爆の詩」が開かれている被爆建物は、次のうちどれでしょうか?
1.旧日本銀行広島支店
2.広島市郷土資料館
3.広島市役所旧庁舎資料展示室
4.本川小学校平和資料館
【正解】
1.旧日本銀行広島支店
【解説】
原爆をテーマに描き続けている鳥取市出身の画家こんどう冬爾=本名近藤侑司(ゆきじ)さん(71)・東京都練馬区=の個展「原爆の詩」が、広島市中区袋町の旧日本銀行広島支店で開かれている。
14日まで。
広島と長崎をテーマに描きためた油彩画35点を並べた。
中国新聞の連載「ヒロシマの記録 ― 遺影は語る」を題材とし、きのこ雲を表現した「真夏の朝の星々」は、来場者が作品上に原爆犠牲者の表情を描くことができる。
原爆投下前の朝、さく裂、黒い雨を描いた3部作や、原爆資料館(中区)にある人影の石をモチーフにした作品などもある。
こんどうさんは18歳で原爆ドーム(中区)を目にして以来、原爆をテーマにした。だが「被爆者でないと描けない」といったん挫折。
1998年、新たな視点で被爆体験を継承しようと制作を再開したという。広島での個展は初めて。
無料。
(「原爆の惨劇伝える油絵35点」中国新聞 2010年5月9日)
今日、たまたま旧日本銀行広島支店の前を通りがかって、時間もあったので入った。
そんなわけで、何の前知識もなく、こんどう冬爾の作品を見た。
最初に展示してあった、「夏空」「炸裂」「黒い雨」の3枚組の「その瞬間(とき)」作品を見たとき、気がついた。
「ああ、わしゃ、これを体験したかったんじゃ」
「体験したかった」と言うと誤解されるかもしれないが、人から聞いたこと、写真や画像で見たことは、その人が感じた「感情」を自分で「体験」せんと、理解したことにならんと、わしゃ思うとる。
真夏の、まっ青な広島の空に原爆が投下され、炸裂した瞬間、何が見えたのか?
光の洪水に包まれたとき、爆風を受けたとき、どんな感じがしたのか?
原爆を投下した時のキノコ雲、その後の惨状は、何度も何度も見て、聞いてきた。
(もちろん、それで「わしゃ、十分理解できました」なんていうつもりはないんじゃがの)
わしの中では、「その瞬間」の情報が足らんかったんじゃろう。
その足らんところに、こんどう冬爾の作品がスッと入ってきて、「体験」できたんじゃと思う。
なんか、言葉でうまく説明できんのがもどかしいが、まあ、こんなことを感じたんじゃ。
ご本人から作品についての説明をして頂いて、ええ時間を過ごすことができた。
仕事の途中だったので、ゆっくりと見ることができんかったのが、残念。
時間を作って、もう1度、見に行くつもりじゃ。
5月14日(金)まで、午前10時から午後6時(最終日は4時まで)まで、旧広島銀行広島支店で開催されとります。
↓こんどう冬爾「原爆の詩」については、こちら↓
こんどう冬爾
↓被爆建物については、こちら↓
“ヒロシマ”をさがそう!~市民とつくる被爆地図~
↓被爆建物についての過去の記事は、こちら↓
次のうち被爆建造物でないのはどれでしょう?
赤れんがの被爆建物で、人々の暮らしにかかわる歴史をテーマとした施設は?
それにしても、創作活動をする人の執念深さには、いつものことながら圧倒される。
こんどう冬爾は、「長崎の街の写真がない(当時の長崎は軍都だったので、機密上、写真撮影は禁止されていた)」「浦上天主堂の側面の写真がない」と資料を探し集めたうえで、絵を完成させとられます。
「悪魔の華」という作品は、長崎の街並みを調べていたため、完成まで4年もかかったそうじゃ。
先月亡くなられた井上ひさしも、『父と暮せば』『紙屋町(かみやちょう)さくらホテル』など原爆関連の本も書かれとります。
『父と暮せば』は映画化されとるし、新潮文庫からも出版されとります。
その本の末尾に「主要参考資料」というページがあって、その中にこんな資料が載っとった。
井上ひさし編著『共通語から広島方言を引く辞書』自家製
この自家製の本にどのくらいの内容が詰まっているのかは、わからん。
(想像はできるが、わしの想像を超えた内容のような気がするんよのう…)
しかし、ひとつの作品を描くのに、これだけものを作ってしまうとは、プロの作家というのは凄いもんじゃ。
5月9日(日)まで、熊野町の筆の里工房で行われていた「絵職人 男鹿和雄の世界」を見に行ったときもそうじゃ。
絵の描き込みもそうじゃが、筆に対するこだわりもすごかった。
熊野といえば、筆の町。
筆を作ってもらうのに、絵や言葉でいろいろと注文を出されとって、そのやりとりのFAXなども展示してあった。
たとえば、こんな感じ…。
「全ての毛が、先端の中心に向って、まっすぐ同じ感じで集ってほしい。(柔かさで)(弾力も)」
今日は、こんどう冬爾について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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