通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

写真撮影に注意なさい

2023年10月19日 | 広島の話題
すでに終わってしまったが、
広島県立文書館で
『写真展 開業120年 呉線のあゆみ
ー蒸機・気動車の時代ー』
(2023年7月4日から9月16日)
をやっていた。

そこでおもしろい文章を見つけたので、
紹介してみよう。



↓広島県立文書館については、こちら↓

「広島県立文書館 ~私たちはかけがえのない歴史資料を未来へ伝えます~」広島県





今日は、
写真撮影に注意なさい
についての話でがんす。





1935(昭和10)年、
旧海軍の鎮守府と
工廠(こうしょう。工場)があった
広島県呉市(くれし)で
「国防と産業大博覧会」が行われた。

そのときに発行された
観光案内書の目次の末尾に、
次のような注意書きがあった。


寫眞撮影に注意なさい

呉軍港一帯では寫眞撮影は勿論[もちろん]その描寫等は國法で固く厳禁されて居[お]ります。若[も]し撮影せんと思ふ方は豫[=予(あらかじ)]め鎮守府の許可を得なければなりませぬ、この事はよく注意せないと飛[と]んでもない大迷惑を蒙[こうむ]ることがありますからカメラマンは大いに注意をして下さい

(原文ママ。[ ]内は筆者注釈)



呉で行われた
国防と産業大博覧会は、
1935年3月27日から5月10日まで
45日間開催され、
70万人が訪れたという。

戦前の呉は
人口40万人を超える大都市だったが、
70万人の訪問者があったということは、
呉以外からも
たくさんの人が来たことになる。

そうすると、
呉に住む人なら知っていることでも、
呉以外から来た人は知らない
ということもある。

海軍のある呉港と
陸軍のある広島湾一帯は
広島湾要塞と呼ばれ、
写真や出版物に対しては
軍が事前に検閲を行い、
許可されたものだけが流通していた。

それを知らずに写真を撮ったり、
写生をしたりする人が
いるかもしれないので、
それに対する注意として
「写真撮影に注意なさい」
の一文が書かれたのだ。





以下、余談。


呉、写生、で思い出すのが、
こうの史代先生の漫画
『この世界の片隅に』の
「第12回 19年7月」。

広島市から呉市へ嫁いできた
主人公の北條(旧姓:浦野)すずは、
呉軍港に泊まっている軍艦を
海が見える高台から写生していた。

それを間諜(かんちょう。
スパイのこと)行為とみなした憲兵は、
すずを北條家に連行し、
家族に厳重注意した。

先に書いたとおり、
呉湾一帯において
無断で写生をしたり
写真を撮ったりすることは
禁止されていたのである。

憲兵とは、
日本陸軍に所属する軍事警察で、
治安維持法や軍事保護法の下、
軍に対して批判的な行動をする
国民の監視・取り締まりを担った。





以下、さらに余談。


「国防と産業大博覧会」
という言葉から、
同じく『この世界の片隅に』の
「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」
を思い出された方があるかもしれない。

口減らしのために売られた白木リンは、
そこから逃げ出し、
草津に住むすずの祖母に
匿(かくま)われていた。
(「大潮の頃(10年8月)」)

貨車にタダ乗りして
呉にたどり着いたリンは、
国防と産業大博覧会内の食堂で
老婦人から
あいすくりいむを食べさせてもらう。

リンはそのまま
朝日遊廓に連れて行かれ、
二葉館の遊女として働くことになる。





「第14回 19年8月」で、
朝日遊廓に迷い込んだすずに
絵を描いて欲しいリンが、
あいすくりいむを知らないすずに対して

「甘(あも)うて
冷(ひ)ようて
うえはーが付いとって」

…と説明しているが、
このとき食べたあいすくりいむが
そうだったのだ。

国防と産業大博覧会で
初めてアイスクリームを食べた
という人が、結構な数
いたのではなかろうか?





今日は、
写真撮影に注意なさい
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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