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「薪能(たきぎのう)」が行われたのはどこ?

2010年05月09日 | 広島の話題
能といえば、日本の舞台芸術の一つで、重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産でもある「能楽」の一分野。
室町時代、観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)親子が能を大成したといわれとります。



【問題】
5月8日(土)夜、「薪能(たきぎのう)」が行われたのは次のうちどこでしょうか?

1.アステールプラザ能舞台(広島市)
2.厳島神社能舞台(廿日市市)
3.喜多流能楽堂(福山市)
4.浄土寺能舞台(尾道市)









【正解】
4.浄土寺能舞台(尾道市)



【解説】
尾道市東久保町(ひがしくぼちょう)の浄土寺で8日夜、「尾道薪能」があった。
国重要文化財の阿弥陀(あみだ)堂の能舞台で演じられる幽玄(ゆうげん)の舞を、約800人が堪能(たんのう)した。

午後6時半、舞台の両脇にかがり火がともされた。
吉田和史さん(3)=京都府向日市=らによる仕舞「老松(おいまつ)」や、狂言「盆山(ぼんさん)」が披露された。
和史さんの祖父の観世流シテ方吉田潔司さん(67)=同=たちは、光源氏と夕顔のはかない恋を題材にした能「半蔀(はじとみ)」を演じた。

夕闇の中、かがり火が幻想的な雰囲気を醸し出し、観客は鼓と笛の音に合わせた舞に見入っていた。

「幽玄の舞に酔う 尾道薪能」中国新聞 2010年5月9日)




薪能とは何かと思って調べてみたら、夏の夜、能楽堂や、臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火をたいて、その中で演じる能をいうんじゃと。

薪能はあくまで神事・仏事の神聖な儀式で、単に野外で薪を燃やして行えばええというわけじゃないんじゃそうな。

その起源は平安時代中期にまで遡(さかのぼ)ることができ、奈良の興福寺で行われたものが最初だといわれとります。



1992(平成2)年、歴史と文化の町、開港800余年を誇る”港町・尾道”の名刹(めいさつ)・浄土寺にて 「尾道足利氏ゆかりの会」を主軸に発足した尾道薪能実行委員会が、能・狂言といった日本古来の伝統芸能を市民に広く鑑賞して頂くことを目的としてこの「尾道薪能」は始まりました。

足利義満の庇護(ひご)の下大成した能の世界を、足利尊氏ゆかりの浄土寺で観る ― 京都より、重要無形文化財の観世流(かんぜりゅう)シテ方・吉田潔司氏、 観世流シテ方吉田篤史氏を迎え行われる一夜の世界。

700年の時を経てなお優美な佇(たたず)まいの阿弥陀堂で、篝火(かがりび)に映し出される幽玄な能の空間は、観る人を魅了し、尾道の初夏の恒例行事として、広く市民に親しまれています。

第15回尾道薪能が行われた2006(平成18)年に、「広島県文化賞」を受賞致しました。

「尾道薪能とは」尾道薪能)




浄土寺は、7世紀初めの推古天皇のころ、聖徳太子によって創建されたといわれとります。
寺には由緒ある文書類や重要美術品、国宝・重要文化財も多く「文化財の宝庫」とも呼ばれとるそうじゃ。

その浄土寺と足利尊氏の関係はというと…。



1336(建武3)年、足利尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻(ひるがえ)したが、敗れて九州へ逃げた。
尊氏が勢力を立て直して京へ攻め上る途中、尾道に立ち寄り、浄土寺で戦勝を祈願した。
その後、尊氏が後醍醐天皇や戦没者慰霊のため、全国に安国寺と利生塔を建立したとき、浄土寺の境内に利生塔を建てた。

↓浄土寺については、こちら↓

国宝の寺 尾道・浄土寺



↓尾道についての過去の記事は、こちら↓

尾道市で、毎年4月下旬に行われる祭は?



今日は、尾道薪能と浄土寺について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。

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