遣唐使(けんとうし)は、7世紀から9世紀にかけて日本から唐に派遣された使節団。
唐を中心とする東アジアの国際情勢の情報入手と、先進的な唐文化の摂取が目的。
894(寛平6)年、菅原道真(すがわらのみちざね)の建議により遣唐使は停止され、13年後の907年、唐は滅亡した。
【問題】
5月10日(月)、「遣唐使船再現プロジェクト」の船が立ち寄った、古代遣唐使船の建造地といわれている町は、次のうちどこでしょうか?
1.呉市倉橋町(くらはしちょう)
2.豊田郡大崎上島町(おおさきかみじまちょう)
3.福山市沼隈町(ぬまくまちょう)
4.三原市幸崎町(さいざきちょう)
【正解】
1.呉市倉橋町
【解説】
遣唐使船を再現し、海路で大阪港から上海へ向かう「遣唐使船再現プロジェクト」の船が10日、古代遣唐使船の建造地だった呉市倉橋町でデモンストレーションを開いた。
上海万博などにあわせ、角川文化振興財団(東京都)が企画した。
広島商船高専(大崎上島町)の商船学科4年生20人が遣唐使船に乗り込み、倉橋港を出港。
地元漁師の先導で約1キロ沖までエンジンで進み、学生は長さ約5メートルの櫓(ろ)を使ってこぐ姿を披露した。
(「遣唐使船、時を超え輝き放つ」中国新聞 2010年5月11日)
これは、日中友好のシンボルである遣唐使船を再現する「遣唐使船再現プロジェクト」として、中国で建造されたものじゃそうな。
全長30メートル、全幅10メートル、高さ8メートルで、建造費は1億2千万円。
エンジン付きだが、手漕ぎもできる設計になっとるそうじゃ。
5月8日(土)に大阪港を出港したあと、倉橋町に寄港。
この後、14日(金)に博多港、19日(水)に長崎港などに立ち寄った後、6月12日(土)~18日(金)に行われる上海万博のジャパン・ウイーク初日に、上海で入港式を行うそうじゃ。
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遣唐使船再現プロジェクト
中国2010年上海万博
かつて建造された遣唐使船約40隻のうち、半数以上が倉橋で造られたといわれとるそうじゃ。
呉市倉橋町の元船大工棟梁(とうりょう)向井道年さん(83)が作った遣唐使船の模型が15日から、奈良県で開催中の「平城遷都1300年祭」で展示される。
11月まで奈良市のJR奈良駅前などで公開し、パレードにも登場して倉橋をPRする。
奈良市の関係者が14日、車で搬出した。
全長2・5メートル、幅0・7メートル、高さ1・7メートルで実物の10分の1。
倉橋町に展示してある原寸大の復元遣唐使船を棟梁として建造した向井さんが、約20年前に造った。
模型は、JR奈良駅前の市総合観光案内所やメーン会場の平城京跡で公開し、5月には奈良駅前商店街のメンバーたちが一緒にパレードする。
(「ミニ遣唐使船が遷都祭に見参」中国新聞 2010年4月15日)
1989(平成元)年、広島県で開催された「海と島の博覧会」で遣唐使船を復元し、実際に海を走らせたことがあった。
その遣唐使船は1992(平成4)年、倉橋町に開館した「長門(ながと)の造船歴史館」に展示され、船内を見学することができるんよ。
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「長門の造船歴史館」くれナビ
長門は、倉橋島が古くは長門島(ながとじま)と呼ばれていたことからきとる。
古代・中世は倉橋島は重要な寄港地じゃったが、平安時代後期に音戸の瀬戸が開かれてからは、倉橋島を廻らずに海岸沿いを進むことができるようになったそうじゃ。
今年は、平城京へ遷都が行われて1300年。
「せんとくん」をマスコットキャラクターとする、平城遷都1300年記念事業が、奈良県で行われとります。
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平城遷都1300年祭ホームページ
今日は、遣唐使船と倉橋町について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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