通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

明治天皇の御用井戸跡

2024年07月03日 | 見て歩き
「今年、2024年は、1894(明治27)年に起こった日清戦争から130年にあたる。そこで、広島市内に残る、日清戦争に関するものを紹介していこう」

「日清戦争は、近代日本が初めて経験する、本格的な外国との戦争じゃったね」

「今日は、広島市中央図書館北側の歩道にある、明治天皇の御用井戸跡じゃ」



北西方向から見る



南東方向から見る





「今日は、明治天皇の御用井戸跡についての話でがんす」







「説明文を読むと、明治天皇だけじゃのうて、歴代の広島藩主も、この井戸の水を飲んどってんじゃね」

「ほうじゃの」

「で、この井戸は広島城の三の丸屋敷内にあったって書いてあるけど、ここは今、広島城の外よね」

「ほうなんよ。ここから南にある、そごう広島店・旧広島市民球場跡の南側までが、江戸時代の広島城じゃった」

「ほぉ、広島城はそんなに広かったん?」

「今の広島城の周りにある堀が内堀で、広島電鉄の市内電車の線路が走っているあたりが外堀。で、明治天皇の御用井戸があったすぐ南側に、内堀と外堀の間にある中堀があったんじゃの」



(「今昔マップ on the web」より)

「えーと、この今昔マップは、どうやって見りゃええんかいね?」

「向かって左側が1894(明治27)年ころの広島で、右側が現在の広島」

「お城の周りが真っ白じゃけど?」

「このころ、広島城周辺には旧陸軍の第五師団と、その関連施設があったんじゃの」

「確かに、御用井戸は中堀の内側にあるように見えるね」







「次は、この碑について見ていこう」


正面:
聖蹟
明治天皇日清戦役ノ際
広島御駐輦中ノ御用井

正面左:
勅喩拝受五十年記念ノ為メ之ヲ建ツ

正面右:
聖蹟此處ニ在リ朝夕之ヲ仰グ
聖徳敬慕ノ懐愈々深ク
聖諭奉禮ノ念益々切也

裏:
昭和七年 野砲兵第五聨隊
将校同相當官
準士官下士官兵
一同



「「広島御駐輦ノ御用井…」の「駐輦」は、なんて読むん?」

「「駐輦」は「ちゅうれん」と読んで、天皇が行幸先に滞在することをいう。ちなみに、「輦(れん)」は天皇の乗る車をいうそうじゃ」

「「勅喩拝受五十年記念…」の「勅喩」って、なに?」

「「勅喩」は「軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)」のことで、1882(明治15)年、明治天皇が陸海軍軍人に下賜されたものじゃ」

「勅喩の拝受から50年を記念して、昭和7年にこの碑を建てた、って刻んであったね」

「昭和7年は、西暦でいうと1932年。軍人勅諭が下された1882年から、ちょうど50年にあたる年なんじゃの」





「以下、余談」




「おおっ、碑の奥(北西方向)に見えるのは、エディオンピースウイング広島じゃん!」

「ほうじゃの。エディオンピースウイング広島は、サッカーJリーグ・サンフレッチェ広島の新しい本拠地となるサッカースタジアムじゃ」

「開業が今年2月で、グランドオープンは8月1日じゃったね」

「8月1日にグランドオープンするのは、ひろしまスタジアムパーク。ひろしまスタジアムパークは、エディオンピースウイング広島とその周辺にある広場から構成されとるんじゃの」



↓ひろしまスタジアムパークについては、こちら↓

ひろしまスタジアムパーク|HIROSHIMA STADIUM PARK

HIROSHIMAスタジアムパークPROJECT|サンフレッチェ広島





訪問日:2024年6月29日






「今日は、明治天皇の御用井戸跡について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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