松本清張といえば、日本を代表する作家の1人。
昨年は生誕100年ということで、いろんな作品がドラマ化されましたのう。
清張の出身地は現在の北九州市小倉北区なんじゃが、実は広島生まれじゃないかといわれとるそうじゃ…。
【問題】
松本清張が生まれたとされる広島の町は、次のうちどこでしょうか?
1.水主町(かこまち)
2.京橋町(きょうばしちょう)
3.中島本町(なかじまほんまち)
4.橋本町(はしもとちょう)
【正解】
2.京橋町
【解説】
戦後日本を代表する作家、松本清張氏(1909~92年)と広島のつながりを探る特別展「松本清張展~清張文学との新たな邂逅(かいこう)」が、広島市南区の市郷土資料館で開かれている。
清張は北九州市生まれとされているが、特別展では広島出身の可能性を多くの資料を展示して検証している。
幼児期の写真を張った台紙には「広島京橋」との地名や広島の写真館の主とみられる人名が印字されていた。
「広島は私に因縁の深い土地だ。父と母はここで一緒になった」と記した自伝「半生の記(はんせいのき)」や、「本当は広島生まれ」と語った新聞のインタビュー記事も展示している。
計250点の資料を展示している特別展は7月11日まで。
(「清張と広島のつながり探る」中国新聞 2010年4月25日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201004250025.html
今日は、「清張が広島に生まれたという根拠」「広島の地名が出ている清張の作品」「関連イベント」について調べてみようかの。
まず、清張が広島に生まれたという根拠について。
松本清張は1909(明治42)年12月21日、松本峯太郎・岡田タニの長男として、福岡県企救(きく)郡板櫃(いたびつ)村(現在の北九州市小倉北区)に生まれた、ことになっとります。
ところが、没後に発見された赤ん坊時代の写真には、父・峯太郎の字で「明治42年2月12日 同年4月15日写」と書かれてあったそうじゃ。
当たり前の話じゃが、わざわざ写真館で撮った記念写真の裏面に、ウソの誕生日を書く親はおらん。
しかも、この赤ん坊が生後2ヶ月ぐらいなので、清張の本当の誕生日は1909年2月12日と考えられる。
また、記念写真の裏や台紙には、広島市にある地名と撮影した写真館の名前が書かれてあるそうじゃ。
父・峯太郎は鳥取県日南町の出身じゃが、青年時代には広島市で働いていた。
母・タニは広島県賀茂郡志和村(現在の東広島市志和町)出身で、広島市内の紡績工場で働いていた。
2人が広島で結婚し、清張が生まれても何の不思議もないよのう。
12月21日という日付については、小倉に移った両親が清張の出生届を出していなかったことに気づいて、届けを出した。清張の出生届が受理された日が、戸籍上の誕生日となった可能性が高い、ということじゃ。
ウィキペディアでは、誕生日が「1909年12月21日」、誕生地が「広島県広島市」となっとります。
↓松本清張については、こちら↓
「松本清張」ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5
↓松本清張展について、くわしくはこちら↓
「特別展 松本清張展~清張文学との新たな邂逅~」広島市郷土資料館
http://www.hiroins-net.ne.jp/kyodo/top/topfrm.htm
次に、広島の地名が出ている清張の作品について。
先ほど、清張が生まれた町は、現在の広島市京橋町としたが、それに言及した作品がある。
私は広島のK町で生まれたと聞かされた。
その町がどういう所か知らない。
(『父系の指』初出「新潮」 1955年)
「K町=京橋町」ということじゃ。
広島は、東京と違い、戦時下といっても、どこかのんびりしています。
やはり地方のせいだと思います。
この前、子どもたちをつれて饒津(にぎつ)公園というのに行ってきました。
浅野の泉庭にも行きました。昔の殿様の庭園だそうです。
(『遠い接近』初出「週刊朝日」 1971~72年)
文中に出てくる「泉庭(せんてい)」とあるのは、現在の縮景園(しゅっけいえん。広島市中区)のことじゃ。
汽車は一時間くらいかかった。
可部(かべ)は、古い狭い町だった。
町の真ん中を川が流れている。
太田川(おおたがわ)という川で、この下流は広島湾に注いでいる。
山と水の町だが、そこはかとない退廃が旧い街並に沈んでいた。
(『駅路(えきろ)』初出「サンデー毎日」 1960年)
母親・タニの故郷である志和町から三篠川(みささがわ)を下っていくと、可部の近くまで行くことができる。
つまり、可部という地名は、母親から聞かされていた地名だった可能性もあるということじゃ。
作品ではないが、インタビューに次のように答えとられます。
生まれのは小倉市(現北九州市)ということになっているが、本当は広島なの。
それは旅先だったので、その後、すぐ小倉に行ったものだから、そこで生まれたことになっている。
(読売新聞夕刊 1990(平成2)年11月12日)
これは、清張自身が広島で生まれたことを意識しての発言と思われる。
1970(昭和51)年3月、講演のために広島を訪れた清張は、わざわざ母親・タニの故郷である志和町を訪ねとられます。結局、生家は分からずじまいじゃったそうじゃが…。
最後に、関連イベントについて。
広島市中央図書館では7月11日(日)まで、企画展「松本清張作品展」を、2階展示ホールで行っとられます。
また6月12日(土)に、講演会「『点と線』誕生 ~清張はなぜ推理小説を書いたか~」が行われます。
講師は北九州市立松本清張記念館学芸員の中川里志氏。
くわしくは、広島市立中央図書館へ。
電話 082-222-5542。
↓くわしくは、こちら↓
「企画展 「松本清張作品展」」広島市立図書館
http://www.library.city.hiroshima.jp/news/2010/05/15000347.html
この松本清張展に合わせて、広島市映像文化ライブラリーでは、6月を「特集・ミステリー映画探訪」として、松本清張の推理小説を映画化した作品を中心に上映されるそうじゃ。
以下、この企画で上映される松本清張原作の映画をあげる。
●6月4日(金)『張込み』(1958年)
監督/野村芳太郎 出演/大木 実、宮口精二、高峰秀子、田村高広
●6月5日(土)『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(1960年)
監督/堀川弘通 出演/小林桂樹、原知佐子、平田昭彦、中北千枝子
●6月12日(土)『影の車』(1970年)
監督/野村芳太郎 出演/岩下志麻、加藤 剛、小川真由美、芦田伸介
●6月18日(金)『鬼畜』(1978年)
監督/野村芳太郎 出演/岩下志麻、緒形 拳、小川真由美、鈴木瑞穂
●6月19日(土)、20日(日)『砂の器』(1974年)
監督/野村芳太郎 出演/丹波哲郎、加藤 剛、森田健作、島田陽子
●6月26日(土)『疑惑』(1982年)
監督/野村芳太郎 出演/桃井かおり、岩下志麻、鹿賀丈史、柄本 明
●6月27日(日)『天城越え』(1983年)
監督/三村晴彦 出演/田中裕子、渡瀬恒彦、平幹二朗、伊藤洋一
↓くわしくは、こちら↓
広島市映像文化ライブラリー
http://www.cf.city.hiroshima.jp/eizou/
↓松本清張について、くわしくはこちら↓
松本清張記念館公式ウェブサイト
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/
選択肢1の水主町(かこまち)は、現在の加古町(かこまち)。
かつて、広島県庁舎や公立広島病院(県立広島病院の前身)などがあった。
選択肢3の中島本町(なかじまほんまち)は、原爆供養塔、原爆の子の像、平和の灯などがあるところにあった、かつての繁華街。
今日は、「広島で生まれたという根拠」「広島の地名が出ている作品」「関連イベント」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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