通でがんす

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島の若者たちが宮島を目指して櫂伝馬を漕ぐのは、どこ?

2010年06月02日 | 広島の話題

これは、町おこしの一環として行われるそうじゃ。



【問題】
「旅する櫂伝馬(かいでんま)」と銘打って、島の若者たちが宮島を目指して櫂伝馬を漕(こ)ぐのは、次のうちどこでしょうか?

1.江田島市(えたじまし)
2.大崎上島町(おおさきかみじまちょう)
3.倉橋町(くらはしちょう)
4.瀬戸田町(せとだちょう)









【正解】
2.大崎上島町




【解説】
櫂伝馬競漕(きょうそう)が盛んな広島県大崎上島町の若者たち有志が6月5、6の両日、伝馬船をこいで世界遺産の島、宮島(廿日市市)を目指す。

こぎ手が減って祭りの継続が難しくなる中、島の「宝」を幅広くアピールして次世代へつなぐ一歩とする。

宮島行きは「旅する櫂伝馬」と題し、船頭、太鼓各1人とこぎ手の男性14人が一度に乗船。
こぎ手は順次交代し、片道だけの約75キロを各日6時間半かけて瀬戸内の島々を縫って進む。

昨年秋に試行で大崎上島一周(約35キロ)を済ませた。

日本三大船神事の宮島管絃祭がある旧暦6月17日、大崎上島でも十七夜祭を開いていた縁で目的地に決めた。
中世の室町時代、小早川水軍で先祖が活躍した故事にちなみ「大崎衆」を名乗って臨む。

(「大崎上島から宮島へ櫂伝馬」中国新聞 2010年5月18日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201005180038.html




今日は、「櫂伝馬」「大崎上島」「小早川水軍」について調べてみようかの。



まず、櫂伝馬について。

櫂伝馬は小型の和船で、スピードが出て、小回りがきく船として、人や物資の輸送などに使われていたそうじゃ。

櫂伝馬競漕は大崎上島の伝統行事で、記録が残っているだけで200年以上の続いとるそうじゃ。
また、国土交通省が選ぶ「島の宝100景」にも選ばれとります。

櫂伝馬競漕は毎年8月、住吉祭で行われる。
”報恩栄弥栄弥栄 宝来栄弥歳の歳歳(ほうおんえんやえいやえい ほうらいえいやさのさいさい)”の掛け声とともに櫂伝馬船を漕ぎ競う姿は、勇猛な水軍が敵陣に向かって先陣を競っていた姿を思わせるそうじゃ。

記事の中に「こぎ手が減って…」とあるが、これと同じくらい問題なのが、地元で櫂伝馬を造れなくなったということ。
最近では、倉橋や四国の今治(いまばり)に注文しとるそうじゃ。



↓くわしくは、こちら↓

旅する櫂伝馬 ~参上!!大崎衆!! 厳島編~
http://kaidenma.okoshi-yasu.com/



次に、大崎上島について。

大崎上島は昔から天然の良港に恵まれ、海上交通の要衝として栄えとった。
全国の櫂伝馬の約3割が、この島に残っていると言われとります。

住吉祭が行われる住吉神社は、江戸時代中ごろ、大阪の住吉社から御神霊を迎えて創建されたということじゃ。

船の資料館があって、ここでは船具の展示のほか、瀬戸内海の模擬航海が楽しめるそうじゃ。



↓大崎上島について、くわしくはこちら↓

「大崎上島」広島県観光ホームページ
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/seeplayexp/see/setouchi/island/oosakikamijima/index.html



最後に、小早川水軍について。

小早川水軍は小早川家が率いた水軍で、小早川隆景(たかかげ。毛利元就の三男)の代には毛利水軍の中核を担った。
1555(弘治元)年の厳島の戦いで、毛利元就は陶晴賢(すえ はるかた)を破ったが、この時、村上水軍を味方に引き入れるなどの働きをしたそうじゃ。



今日は、「櫂伝馬」「大崎上島」「小早川水軍」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。


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