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神田神社 広島市南区宇品御幸

2011年09月05日 | 広島の話題
「1948年(昭和23)に行われた第3回広島市一周駅伝の第5中継点(第5区から第6区へたすきを渡す場所)となった、宇品御幸(うじなみゆき)にある神田神社を見に行ってきたんじゃ」

「広電の電停でいうたら、どのあたりかいね?」

「宇品4丁目じゃの。この電停の西側に公園と宇品公民館があって、その西側に神田神社があるんじゃ」



神田神社は、文亀三年(一五〇三)当時祇園町の武田山にあった銀山城の城主として安芸の地を治めていた武田元繁が、祖国甲斐の国、今の山梨県から城の守護神として安芸郡牛田村、今の東区スポーツセンターあたりに奉遷したのが始まりだと言われている。

その後武田氏は毛利元就に滅ぼされ社殿は荒廃したが、元就の孫の毛利輝元が広島城を築城して入城すると輝元は神田神社の荒廃を憂いて天正十九年(一五九一)武田氏の遺臣池田宮内を神主として社殿を再建し、広島城の守護神として祭った。
今の神田橋というのは神田神社に参拝するために架けられたもので、神田山という地名も神田神社に由来していると言われている。

毛利氏に替わって福島正則が城主となると、福島正則は各地の社寺の領地を悉く没収し神社は再び荒廃し始めた。
その荒廃ぶりを嘆いた地元の村民等の篤い願いを福島正則はやっと聞き入れ、神社の護持を村民等にまかせるようになり、神田神社は牛田村の氏神様として牛田地区の村民等によって祭られるようになった。

明治二十二年(一八八九)神領地は旧陸軍省の用地となり、神田神社は当時千田貞暁が埋立てた新開地である宇品へ移転した。
宇品の住民は神田神社の奉遷を心から祝って最初に出来た道路に神田通りと名付け、以後春日通り、住吉通り、八幡通りと神社にちなんだ名を付けた。

明治三十三年(一九〇〇)台風による津波で神社は大破し、昭和六年(一九三一)現在地に新築移転した。
昭和六十年(一九八五)四月二十一日不慮の火災により焼失したが、翌六十一年九月に約二億三千万円の浄財で復興造営した。

   平成十五年十月

 神田神社鎮座五〇〇年記念

主祭神 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇

(案内板より)



案内板




「えーと、順番に見ていこうかね。まず、武田元繁(たけだ もとしげ)って誰?」

「安芸武田氏の第7代当主にあたる方で、安佐南区祇園町(ぎおんちょう)の武田山にあった佐東銀山城(さとうかなやまじょう)を拠点に活躍された武将じゃ」

「武田山って、広島経済大学がある山かいね?」

「ほうじゃの。この辺りは、毛利氏が本拠地を広島に移すまで、安芸国の政治や経済の中心地として栄えとったんよ」

「どういう理由で?」

「瀬戸内海を物資などを運んできた船がこの辺りまで来て、そこから川船に移し変えよったそうじゃ」

「交通の要所というわけじゃね」

「比治山(ひじやま)は比治島、黄金山(おうごんんざん)は仁保島(にほじま)、江波山は江波島、元宇品(もとうじな)は宇品島と、それぞれ瀬戸内海に浮かぶ島じゃった時代じゃけぇの」

「その武田氏が安芸郡牛田村、今の東区スポーツセンターあたりに神田神社を持って来られたんじゃね」

「東区スポーツセンターいうたら、牛田浄水場のすぐ隣じゃけぇ、牛田浄水場の中に神田神社の分社もあるそうじゃ」

「その後、武田氏は毛利元就(もうり もとなり)に滅ぼされるんじゃね」

「これは元就が陶晴賢(すえ はるかた)破った厳島の戦いに関係してくるんじゃが、話すと長うなるけぇ、今回は省略させてもらいます」

「元就の孫にあたる毛利輝元(もうり てるもと)が社殿を再建して、広島城の守護神として祭ったんじゃね」

「神田橋も神田神社に参拝するために架けられたもので、神田山も神田神社に由来しとるそうじゃ」

「「神田」という地名がつけられて、それが今も残っとるんじゃね」

「その神田橋は京橋川(きょうばしがわ)に架かっとるんじゃが、神田神社の辺りの京橋川は、神田川と呼ばれとったそうじゃ」

「うーん、広島に神田川があるとは知らんかったね…」


♪貴方は もう忘れたかしら
  赤い手拭い マフラーにして~

(「神田川」作詞:喜多条忠)



「毛利氏の後、広島藩主となった福島正則(ふくしま まさのり)のころから、神田神社は牛田村の氏神様として祭られるようになったんじゃね」

「明治になった1889年(明治22)、この辺りが旧陸軍省の用地になったけぇ、神田神社は宇品神田へ移転させられたんよ。ちなみにこの年、宇品港とそれに伴う宇品新開ができたばっかりなんじゃ」

「ここでも「神田」という地名がつけられとるんじゃね」

「1900年(明治33)、台風による津波で神社が壊れたけぇ、1931年(昭和6)に今の宇品御幸に移転してきたというわけじゃ」

「宇品神田と宇品御幸って、どのあたりになるんかね?」

「大ざっぱにいうと、広電・宇品線の県病院前から海岸通の間の、西側が宇品御幸、東側が宇品神田じゃの」

「1503年にできたけぇ、2003年(平成15)で鎮座500年じゃったんじゃね」

「今年(2011年)は、鎮座508年になるんじゃのう」

「主祭神が仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おうじんてんのう)って書いてあるけど、どんな方なんかね?」

「仲哀天皇と神功皇后は夫婦で、その子どもが応神天皇という関係になるんじゃの。典型的な八幡社の祭神で、神田神社も神田八幡宮と呼ばれとったそうじゃ」




神田神社
住所/広島市南区宇品御幸4丁目1




社殿




二の狛犬 阿像


「あごとしっぽの一部が壊れとるんじゃ。台座と前足は補修されとるのう」




二の狛犬 吽像




改築記念碑
昭和十年五月建之





鳥居
昭和十年十月吉日 竹本多一(向かって左側裏)
日浦甚之丞(向かって右側裏)






↓東区スポーツセンターについては、こちら↓

「東区スポーツセンター」公益財団法人広島市スポーツ協会





↓牛田浄水場については、こちら↓

「主要浄水場」広島市水道局





↓第3回広島市一周駅伝大会についての関連記事は、こちら↓

第3回広島市一周駅伝大会 1948年





↓牛田浄水場についての関連記事は、こちら↓

被爆直後も給水 広島市水道局

広島市水道資料館 広島市東区牛田新町






「今日は、広島市南区宇品御幸にある神田神社について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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