文化プラザではひこね市民大学講座の第4講として、環境ジャーナリストの枝廣淳子さんの講演「江戸の『幸福力』にまなぶ」がありました。
地球温暖化に取り組んでおられる枝廣淳子さんは、最初にこのままの状態で温暖化がどうなるのか?というシュミレーションを1950年から2100年の温度の変化を流されました。
この結果では、2100年には地球は全ての地域で温暖化という言葉だけでは片付けられないような危険な状況になる事が示されました。
(ここからお話を纏めてみました)
今までは科学者だけが気にしていた温暖化を政治や民間レベルでも知られてきましたが、今でも温暖化は進んでいるそうです。
しかし地球の危機は温暖化だけではなく、
・生物の絶滅のスピードは通常の1000倍
・エネルギー問題
・食料問題
などなど…
エネルギーで一番重要なのは石油ですが、今は需要が伸びるのに対し供給が減っている形になっているそうです。ピークは2006年から減っている。
そうなると石油の価格が増えて行きます、そうすると食糧問題も起こします、1kcalの食料を作るのに10kcalを使っているのが現状です。
石油の値段が上がると食料のコストもあがるのです。
こういった問題がいっぺんにやって来ているのが今なのです。
これらの問題が一度にやって来た理由は、地球の大きさが決まっていて地球は全てが助け合って出来ているというと言う事です。
花からミツバチが蜜を集めるのと一緒に花粉の運び屋をしていますが、ミツバチが大量に死んでいる現状から、受粉ができなくなり人の手で受粉をしなければならない現状となっています。
そこで地球の一生の中で最近登場した人間が、最初はほとんど地球に影響が無かったのに、科学技術が発達した辺りから地球の許容範囲以上の影響を人間が及ぼし始めました。
「今の人間の生活を支えるのに地球は何個必要か?」というデータでは1.4個という計算結果がでました。この0.4個オーバーが可能なのは、「過去の遺産を食いつぶし未来の前借りをしているから」なのがそうですが、これは長続きしませんよね。
温暖化を防ぐためには、地球の許容範囲に戻してやることが大切なのだそうですが、その為にはCO2を60~70%削減する必要があります。
今の金融危機の理由も、資源・エネルギー・環境などの限界を市場が下っ為に、次をどう正すか?と施策し始めた結果で、以前のように戻る事は無いそうです。
ここから江戸の話。
○食料自給率
・現在40%
・江戸時代100%
○エネルギー自給率
・現在4%
・江戸時代100%
○経済成長率
・現在3~5%
・江戸時代0.3~0.4%
江戸時代の方は、自分の生きてる間に経済成長をしている実感は無かったと思います。
江戸時代は、人口がほとんど変わらず大体3000万人で変更はありませんでした。一人当たりのGDPはあまり変わりませんが、エネルギー排出量は多かったと思います、しかしこれは自然燃料でCO2はあまり排出されない理想的な社会でした。
江戸時代は、前の年に生えた草や食物などでエネルギーを賄え、これを植物国家という人も居ます。そしてこの植物は太陽エネルギーという自然エネルギーだったのです。
米を作っている農家は藁も大きな収穫で、20%は生活用品、50%は畑の堆肥、30%は燃やして使いその灰はまた対比にしました。また藁は納豆に使ったり家畜の肥糧にもなりました。そして建物にも使われたのです。稲作だけで「衣・食・住」が賄えてリサイクルもされていました。
森は人間が手入れをする事で里山となり、薪や木材を手に入れていました。これらは太陽エネルギーを利用しています。
江戸時代はリサイクルが発達していたことでも知られています、世界の人々は「自分たちが探す世界が既にあったのではないか」と言っています。
江戸時代は物が少ないので何度もリサイクルして使うしかなくモチベージョンが違います、そしてその為の商売もたくさんありました。古着屋さんは江戸だけでも4000建あそうです。傘も破れて後に張り替えて使われ、その破れた紙もまた使われました。下肥を集めて利用する仕事もありますし、蝋燭の滴を集めてもう一度溶かして蝋燭にする仕事もあったのです。
寺子屋の教科書は、学校の所有物で子どもは借りているだけでした、ある教科書は100年以上使われてういたそうです。今の日本では個人の物なので1年で使わなくなってしまいます、ただこうすると紙屋も印刷屋も書店も儲かりません、そうすると経済成長率が低くなってしまうのです、ですから江戸時代はこれが0.4%などになるのです。
しかし、確かに江戸時代はGDPがあまり成長しませんでしたが、物を大事にしない今の経済の方がおかしいのではないでしょうか?
太陽エネルギーの中で上手に暮らして行った江戸時代というのは、持続可能な素晴らしい見本だと思います。
CO2排出は自然エネルギーの方が少ないのですが、そのような現状ではありません。また原子力発電も有効といわれていますが安全性が重視され、日本では柏崎原発が止まったまま10年以上使われていない現状を考ると、原子力に頼るには地震大国の日本では難しい所もあるのです。
スェーデンの例を挙げますと、昔は殆ど石油に頼っていました。しかしこれを大きく変えたのです首相が「2020年までに石油を一滴も使わない国になる」と宣言し、そうする為にはどうしたらいいか?を決めて大きく変化し、石油からバイオ燃料(森の木)をエネルギー源にしたのです。
スェーデンでなぜこれができたのか?と言えば意識が高いわけでもなく、国民の思いは日本とあまり変わりません、国は人々の誘導が上手で様々な税金を石油に上乗せしバイオ燃料には課税しませんでした。これで国民は値段が安くなったバイオ燃料を買うようになったのです。
「バイオ燃料にしないと地球が危ないですよ」のような「~ねばならない」で国民を説得したのではなく、こうした方が得だ、と悪い方に下駄を履かせたのです。これは日本も真似ができますね。
また、私たちの意識を変えないといけないのは私たちはどれくらいのGDP必要なの?という事です。
これまでは倖わせになる為にはお給料が増えないと、その為にはGDPが増えないといけない。という事でした。それによってGDPを増やすには生産を増やし、その為にCO2をたくさん排出してきました。
広告代理店の電通が作った“戦略十訓”には
・もっと使わせろ
・捨てさせろ
・無駄使いさせろ
・季節を忘れさせろ
・贈り物をさせろ
・組み合わせて買わせろ
・きっかけを投じろ
・流行遅れにさせろ
・気安く買わせろ
・混乱を作れ
どうやって人が物を買うか?そうすればGDPも増えて皆さんも幸せでしょう?という前提で、いかに物を買わせるか?という戦略でした。
それが今は行き詰まってきたのです。
これを切る為にば「ダブル・デカップル」が必要だと思います。
カップルは結びつく事で、これにデが付くと反対の意味になります。つまり2つ別れさせるのがダブル・デカップルです。
幸せ=GDP=CO2
の図式をまずGDPとCO2を離します、これは企業によるCO2削減の取り組みが始まっています。でももう一つのデカップルも必要です。例えばエコカーに乗ってCO2が削減されてもそれでどんどんドライブに行けば、また増えるかもしれない。相対的に削減されるのと絶対的削減では異なります。企業は相対的に減らす事は出来ています。
もう一つのデカップルを考える時に、本当にGDPが増えたら幸せなのか?という事です。アメリカに面白いデータがあります。GDPはお金が動けば増えます、ですから交通事故が増えてお医者さんの治療費が増えたり、犯罪で警官の残業代が増えてもGDPに加算されます。
ですから新しい指標GPIという物が作られています、これはGDPから幸せに繋がらない物を引いて、家事育児ボランティアなどの倖わせに繋がる物を足します。
すると1960年代くらいまではGDPとGPIは同じように増えますが、このあとはGDPは増えてもGPIはほぼ横ばいか減っている傾向があるのです。またGDPは増えているのに今の生活に満足している人の割合はどんどん減っています。GDPが増えたのに幸せになっていない人が増加しています。
日本は「足るを知る」などの自分の身の丈で生きる事を教えてくれる知恵があります。江戸時代はこういった効率よりも足るを知るを大事にしていたのでしょう。
また日本では「生かされている」という言葉があります。これを英語にすると必ずBy○○と後ろに付きます、聖書でもby God が付きます。でも私たちは神様に生かされているというよりも、あらゆるものの中で支えられているという意味の生かされているですね。この発想は欧米にはありません。
環境関係の国際会議で通訳をすると「もったいない」という言葉の通訳に困ります。これは英語にありません。
調べてみると、日本には“もったいない”の方言がたくさんあります、そして魚津市では「あったらもんな」と言うそうです。これは古語で惜しむという意味の“可惜物(あたらもの)”が富山県風の方言となったようです。
そしてアジアには、もったいないという言葉がたくさんあります。「もったいない」は「もったい」が無いという意味ですが、これは“その物の値打ちや命や本質が最後まで生かされないこと”です。
まだ使える物が最後まで生かされないままに使われなくなってしまわれる時に私たちは「もったいない」と思うのです。これはただリサイクルというだけではないもっと深い物なのです。
私たちにもそれぞれ「もったい」がある、なぜこの時代に生まれたのか?仏教の経典には「山川草木悉有佛性」という言葉で示されています。
これまでGDPの効率の為に、ちょっと変わってる人や物や効率の悪い人や物はすべて外されました、でもそん中にも「もったい」がある。それを生かしていくのが持続可能な社会ではないか?と思います。
持続可能の社会、もったいないと言うとすぐ物の話になりますが、それは一面ではなく人間の「もったい」を大切にする世界が、江戸時代にヒントがあるのではないか?と思います。物は活かしきる所まで活かした訳ですから、人も活かしきる社会だったのでしょう。
英語にはあって日本語にはできない言葉があります。例えば英語にはプロとつく言葉が多いです。プロは「前へ前へ前へ」という発想です。常に前へという発想の方に、日本での因果往行・輪廻転生・「風が吹けば桶屋が儲かる」のような循環思想はネガティブと受け止められます。
今、世界にとって大切なのは私たちの感じている循環の発想を知っていただくことだと思います。
同じようなことでは「永遠」の発想も違います。
海外で永遠の建物を造ろうとすれば岩やレンガなどの固い物で造られます、しかし日本の永遠な建物の代表である伊勢神宮は20年ごとに建て直されます。
前へ前へというのが永遠の発想だと思いがちですがそうではなさそうです。その発想になったのがブータンです。
ブータンはGNPを伸ばすのではなく、GNH宣言しましたこのHは“happiness”国民が倖わせでなければ国の政策として失敗という考え方です。ブータンは憲法にもGNHを唱っています。9/14にフランスのサルコジ大統領が「フランスはこれからGDPだけではなくGNHも計算して考えて行く」と言いました。
何か大きな動きが起こりつつあるようです。
このGNHに刺激を受けた日本の企業があります、向山塗料株式会社という甲府市の中小企業は売り上げを伸ばすために社員にノルマを課して社員が走り回って倒れて止めて行きました。
社長も倒れ色々悩んでいた時にブータンの事を知り、これを考えるようになり実践しました。
身の丈以上に大きくなった会社を、社員の倖わせを考えて身の丈に合うまで小さくしようと考え1995年からこの会社の売上目標は前年度のマイナス成長になりました。
“来年度の売り上げ計画、今年度の-8%”と書かれていました。数年後に社長に訊ねました「マイナス成長上手くいっていますか?」と、すると社長は難しいんですと答えられました。「売り上げを小さくするためにノルマを小さくしました。すると社員は笑顔でゆっくりお客さんと接するので売り上げが上がるんです」とのお話でした。
私たちは何の為に働いているのか?それは日本のGDPを上げるためですか?それとも自分が倖わせになる為でしょうか?
このままじゃダメだと言う事はみんな解っています、ですからこれからどうするのか?大事な事を探し地球の許容範囲内で変化していければ今はチャンスなのだと思います。
日本の中だけで食料もエネルギーも自給自足し、戦争も無く文化発展させた江戸時代の人々に学ぶ事はたくさんあると思っています。
(最後に「思い込みをほぐす」という面白いお話がありました)
思い込みをほぐすのが大切な事です、例えば電気は電力会社が作る物という思い込み…
これは今、太陽光発電でほぐれてきてます。
「これまではそうだったけど、必ずしもその必要はないかもね」というのが思い込みを外す事です。
高松市ではMy箸を持ってきたお客さんに色んなサービスを行っていて、そんなマップがあります。
割引だったり、ドリンクをサービスしてくれたり…
面白いのは「普段ほとんど具の入っていない味噌汁にワカメをたっぷり入れる」や「店員が想いを込めて“愛”を叫びます」だそうです。
こんな風に「何をしなければならない」ではなく楽しく「こんなやり方でもいいよね」をやってみるのです。
お弁当でも、使い捨ての器に入っているのが多く「この器がもったいない」と言う話会社のスタッフが言ったので「お皿を持って行ったら?」と言うと、スタッフは器を持って買いに行くようになり、お弁当屋さんも入れてくれました。牛丼屋さんもOKでした。
マクドナルドににコーヒーを買いに行って、マグカップを持っていったら入れてくれました。後で訊いたらマックに持って行ったのがスタバのマグカップだったようです(笑)
そんな形で、これまでの思い込みをほぐす事が大きく変えられるチャンスなので、みんなで楽しく緩めて行けたらいいのではないかと思います。
地球温暖化に取り組んでおられる枝廣淳子さんは、最初にこのままの状態で温暖化がどうなるのか?というシュミレーションを1950年から2100年の温度の変化を流されました。
この結果では、2100年には地球は全ての地域で温暖化という言葉だけでは片付けられないような危険な状況になる事が示されました。
(ここからお話を纏めてみました)
今までは科学者だけが気にしていた温暖化を政治や民間レベルでも知られてきましたが、今でも温暖化は進んでいるそうです。
しかし地球の危機は温暖化だけではなく、
・生物の絶滅のスピードは通常の1000倍
・エネルギー問題
・食料問題
などなど…
エネルギーで一番重要なのは石油ですが、今は需要が伸びるのに対し供給が減っている形になっているそうです。ピークは2006年から減っている。
そうなると石油の価格が増えて行きます、そうすると食糧問題も起こします、1kcalの食料を作るのに10kcalを使っているのが現状です。
石油の値段が上がると食料のコストもあがるのです。
こういった問題がいっぺんにやって来ているのが今なのです。
これらの問題が一度にやって来た理由は、地球の大きさが決まっていて地球は全てが助け合って出来ているというと言う事です。
花からミツバチが蜜を集めるのと一緒に花粉の運び屋をしていますが、ミツバチが大量に死んでいる現状から、受粉ができなくなり人の手で受粉をしなければならない現状となっています。
そこで地球の一生の中で最近登場した人間が、最初はほとんど地球に影響が無かったのに、科学技術が発達した辺りから地球の許容範囲以上の影響を人間が及ぼし始めました。
「今の人間の生活を支えるのに地球は何個必要か?」というデータでは1.4個という計算結果がでました。この0.4個オーバーが可能なのは、「過去の遺産を食いつぶし未来の前借りをしているから」なのがそうですが、これは長続きしませんよね。
温暖化を防ぐためには、地球の許容範囲に戻してやることが大切なのだそうですが、その為にはCO2を60~70%削減する必要があります。
今の金融危機の理由も、資源・エネルギー・環境などの限界を市場が下っ為に、次をどう正すか?と施策し始めた結果で、以前のように戻る事は無いそうです。
ここから江戸の話。
○食料自給率
・現在40%
・江戸時代100%
○エネルギー自給率
・現在4%
・江戸時代100%
○経済成長率
・現在3~5%
・江戸時代0.3~0.4%
江戸時代の方は、自分の生きてる間に経済成長をしている実感は無かったと思います。
江戸時代は、人口がほとんど変わらず大体3000万人で変更はありませんでした。一人当たりのGDPはあまり変わりませんが、エネルギー排出量は多かったと思います、しかしこれは自然燃料でCO2はあまり排出されない理想的な社会でした。
江戸時代は、前の年に生えた草や食物などでエネルギーを賄え、これを植物国家という人も居ます。そしてこの植物は太陽エネルギーという自然エネルギーだったのです。
米を作っている農家は藁も大きな収穫で、20%は生活用品、50%は畑の堆肥、30%は燃やして使いその灰はまた対比にしました。また藁は納豆に使ったり家畜の肥糧にもなりました。そして建物にも使われたのです。稲作だけで「衣・食・住」が賄えてリサイクルもされていました。
森は人間が手入れをする事で里山となり、薪や木材を手に入れていました。これらは太陽エネルギーを利用しています。
江戸時代はリサイクルが発達していたことでも知られています、世界の人々は「自分たちが探す世界が既にあったのではないか」と言っています。
江戸時代は物が少ないので何度もリサイクルして使うしかなくモチベージョンが違います、そしてその為の商売もたくさんありました。古着屋さんは江戸だけでも4000建あそうです。傘も破れて後に張り替えて使われ、その破れた紙もまた使われました。下肥を集めて利用する仕事もありますし、蝋燭の滴を集めてもう一度溶かして蝋燭にする仕事もあったのです。
寺子屋の教科書は、学校の所有物で子どもは借りているだけでした、ある教科書は100年以上使われてういたそうです。今の日本では個人の物なので1年で使わなくなってしまいます、ただこうすると紙屋も印刷屋も書店も儲かりません、そうすると経済成長率が低くなってしまうのです、ですから江戸時代はこれが0.4%などになるのです。
しかし、確かに江戸時代はGDPがあまり成長しませんでしたが、物を大事にしない今の経済の方がおかしいのではないでしょうか?
太陽エネルギーの中で上手に暮らして行った江戸時代というのは、持続可能な素晴らしい見本だと思います。
CO2排出は自然エネルギーの方が少ないのですが、そのような現状ではありません。また原子力発電も有効といわれていますが安全性が重視され、日本では柏崎原発が止まったまま10年以上使われていない現状を考ると、原子力に頼るには地震大国の日本では難しい所もあるのです。
スェーデンの例を挙げますと、昔は殆ど石油に頼っていました。しかしこれを大きく変えたのです首相が「2020年までに石油を一滴も使わない国になる」と宣言し、そうする為にはどうしたらいいか?を決めて大きく変化し、石油からバイオ燃料(森の木)をエネルギー源にしたのです。
スェーデンでなぜこれができたのか?と言えば意識が高いわけでもなく、国民の思いは日本とあまり変わりません、国は人々の誘導が上手で様々な税金を石油に上乗せしバイオ燃料には課税しませんでした。これで国民は値段が安くなったバイオ燃料を買うようになったのです。
「バイオ燃料にしないと地球が危ないですよ」のような「~ねばならない」で国民を説得したのではなく、こうした方が得だ、と悪い方に下駄を履かせたのです。これは日本も真似ができますね。
また、私たちの意識を変えないといけないのは私たちはどれくらいのGDP必要なの?という事です。
これまでは倖わせになる為にはお給料が増えないと、その為にはGDPが増えないといけない。という事でした。それによってGDPを増やすには生産を増やし、その為にCO2をたくさん排出してきました。
広告代理店の電通が作った“戦略十訓”には
・もっと使わせろ
・捨てさせろ
・無駄使いさせろ
・季節を忘れさせろ
・贈り物をさせろ
・組み合わせて買わせろ
・きっかけを投じろ
・流行遅れにさせろ
・気安く買わせろ
・混乱を作れ
どうやって人が物を買うか?そうすればGDPも増えて皆さんも幸せでしょう?という前提で、いかに物を買わせるか?という戦略でした。
それが今は行き詰まってきたのです。
これを切る為にば「ダブル・デカップル」が必要だと思います。
カップルは結びつく事で、これにデが付くと反対の意味になります。つまり2つ別れさせるのがダブル・デカップルです。
幸せ=GDP=CO2
の図式をまずGDPとCO2を離します、これは企業によるCO2削減の取り組みが始まっています。でももう一つのデカップルも必要です。例えばエコカーに乗ってCO2が削減されてもそれでどんどんドライブに行けば、また増えるかもしれない。相対的に削減されるのと絶対的削減では異なります。企業は相対的に減らす事は出来ています。
もう一つのデカップルを考える時に、本当にGDPが増えたら幸せなのか?という事です。アメリカに面白いデータがあります。GDPはお金が動けば増えます、ですから交通事故が増えてお医者さんの治療費が増えたり、犯罪で警官の残業代が増えてもGDPに加算されます。
ですから新しい指標GPIという物が作られています、これはGDPから幸せに繋がらない物を引いて、家事育児ボランティアなどの倖わせに繋がる物を足します。
すると1960年代くらいまではGDPとGPIは同じように増えますが、このあとはGDPは増えてもGPIはほぼ横ばいか減っている傾向があるのです。またGDPは増えているのに今の生活に満足している人の割合はどんどん減っています。GDPが増えたのに幸せになっていない人が増加しています。
日本は「足るを知る」などの自分の身の丈で生きる事を教えてくれる知恵があります。江戸時代はこういった効率よりも足るを知るを大事にしていたのでしょう。
また日本では「生かされている」という言葉があります。これを英語にすると必ずBy○○と後ろに付きます、聖書でもby God が付きます。でも私たちは神様に生かされているというよりも、あらゆるものの中で支えられているという意味の生かされているですね。この発想は欧米にはありません。
環境関係の国際会議で通訳をすると「もったいない」という言葉の通訳に困ります。これは英語にありません。
調べてみると、日本には“もったいない”の方言がたくさんあります、そして魚津市では「あったらもんな」と言うそうです。これは古語で惜しむという意味の“可惜物(あたらもの)”が富山県風の方言となったようです。
そしてアジアには、もったいないという言葉がたくさんあります。「もったいない」は「もったい」が無いという意味ですが、これは“その物の値打ちや命や本質が最後まで生かされないこと”です。
まだ使える物が最後まで生かされないままに使われなくなってしまわれる時に私たちは「もったいない」と思うのです。これはただリサイクルというだけではないもっと深い物なのです。
私たちにもそれぞれ「もったい」がある、なぜこの時代に生まれたのか?仏教の経典には「山川草木悉有佛性」という言葉で示されています。
これまでGDPの効率の為に、ちょっと変わってる人や物や効率の悪い人や物はすべて外されました、でもそん中にも「もったい」がある。それを生かしていくのが持続可能な社会ではないか?と思います。
持続可能の社会、もったいないと言うとすぐ物の話になりますが、それは一面ではなく人間の「もったい」を大切にする世界が、江戸時代にヒントがあるのではないか?と思います。物は活かしきる所まで活かした訳ですから、人も活かしきる社会だったのでしょう。
英語にはあって日本語にはできない言葉があります。例えば英語にはプロとつく言葉が多いです。プロは「前へ前へ前へ」という発想です。常に前へという発想の方に、日本での因果往行・輪廻転生・「風が吹けば桶屋が儲かる」のような循環思想はネガティブと受け止められます。
今、世界にとって大切なのは私たちの感じている循環の発想を知っていただくことだと思います。
同じようなことでは「永遠」の発想も違います。
海外で永遠の建物を造ろうとすれば岩やレンガなどの固い物で造られます、しかし日本の永遠な建物の代表である伊勢神宮は20年ごとに建て直されます。
前へ前へというのが永遠の発想だと思いがちですがそうではなさそうです。その発想になったのがブータンです。
ブータンはGNPを伸ばすのではなく、GNH宣言しましたこのHは“happiness”国民が倖わせでなければ国の政策として失敗という考え方です。ブータンは憲法にもGNHを唱っています。9/14にフランスのサルコジ大統領が「フランスはこれからGDPだけではなくGNHも計算して考えて行く」と言いました。
何か大きな動きが起こりつつあるようです。
このGNHに刺激を受けた日本の企業があります、向山塗料株式会社という甲府市の中小企業は売り上げを伸ばすために社員にノルマを課して社員が走り回って倒れて止めて行きました。
社長も倒れ色々悩んでいた時にブータンの事を知り、これを考えるようになり実践しました。
身の丈以上に大きくなった会社を、社員の倖わせを考えて身の丈に合うまで小さくしようと考え1995年からこの会社の売上目標は前年度のマイナス成長になりました。
“来年度の売り上げ計画、今年度の-8%”と書かれていました。数年後に社長に訊ねました「マイナス成長上手くいっていますか?」と、すると社長は難しいんですと答えられました。「売り上げを小さくするためにノルマを小さくしました。すると社員は笑顔でゆっくりお客さんと接するので売り上げが上がるんです」とのお話でした。
私たちは何の為に働いているのか?それは日本のGDPを上げるためですか?それとも自分が倖わせになる為でしょうか?
このままじゃダメだと言う事はみんな解っています、ですからこれからどうするのか?大事な事を探し地球の許容範囲内で変化していければ今はチャンスなのだと思います。
日本の中だけで食料もエネルギーも自給自足し、戦争も無く文化発展させた江戸時代の人々に学ぶ事はたくさんあると思っています。
(最後に「思い込みをほぐす」という面白いお話がありました)
思い込みをほぐすのが大切な事です、例えば電気は電力会社が作る物という思い込み…
これは今、太陽光発電でほぐれてきてます。
「これまではそうだったけど、必ずしもその必要はないかもね」というのが思い込みを外す事です。
高松市ではMy箸を持ってきたお客さんに色んなサービスを行っていて、そんなマップがあります。
割引だったり、ドリンクをサービスしてくれたり…
面白いのは「普段ほとんど具の入っていない味噌汁にワカメをたっぷり入れる」や「店員が想いを込めて“愛”を叫びます」だそうです。
こんな風に「何をしなければならない」ではなく楽しく「こんなやり方でもいいよね」をやってみるのです。
お弁当でも、使い捨ての器に入っているのが多く「この器がもったいない」と言う話会社のスタッフが言ったので「お皿を持って行ったら?」と言うと、スタッフは器を持って買いに行くようになり、お弁当屋さんも入れてくれました。牛丼屋さんもOKでした。
マクドナルドににコーヒーを買いに行って、マグカップを持っていったら入れてくれました。後で訊いたらマックに持って行ったのがスタバのマグカップだったようです(笑)
そんな形で、これまでの思い込みをほぐす事が大きく変えられるチャンスなので、みんなで楽しく緩めて行けたらいいのではないかと思います。