彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:蝦夷共和国建国(12月15日)

2018年12月15日 | 何の日?
明治元年(1868)12月15日、蝦夷共和国での新しい政府が誕生しました。

江戸時代が終わろうとするその瞬間。将軍である徳川慶喜は大きな抵抗もせずに新政府に恭順しましたが、それではなっとくできない人々が関東から東北までを転戦し、最後にたどりついたのが蝦夷(北海道)だったのです。

ここで、旧幕府軍の残党は、榎本武揚を中心に結束して、箱館五稜郭を政庁として新しい独立政府を樹立したようなイメージが持たれています。
そして、列強に独立国家として認めてもらうために、日本最初の入札(選挙)を行ったという話もよく聞かれます。


しかし、実際には旧幕府軍は榎本の元で結束していたわけではなく、榎本の行動力に周囲が引っ張られていただけで、実際には藩や幕府内での所属、そして彰義隊の生き残りなどのグループに分かれていたのです。
入札は、列強に対するパフォーマンスではなく、本当に誰をリーダーに立てるのかを切羽詰まった状態で真剣に選んだのでした。
それまでの日本では、そこまでをしてトップを選ぶ必要がなかったので、入札がなかっただけで、逆説的に考えれば入札にしか頼れないくらいまで分裂していたのが旧幕府軍の実状だったのです。

そして、この時にできた蝦夷の政府を、一時的にでも独立国として諸外国が認めていたという話もよく語られますが、榎本たちが、日本から独立した新国家を樹立しようとした形跡はなく、あくまでも徳川政権の権利を主張しただけの内紛に近いものでした。
ですので、正式に蝦夷共和国と名乗ったこともなかったのです。

さまざまな誤報に満ちた蝦夷共和国ですが、明治元年12月15日の入札と同時に政府機能が樹立し、入札の結果で榎本が総裁に選ばれて組閣され、5ヶ月の短さながらも中央に影響されない地方行政が運営されたのです。