彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

佐和山城下町発掘現場見学会

2019年10月06日 | 史跡
初秋に鳥居本宿で行われる『とりいもと宿場まつり』では、佐和山城跡の発掘調査の最新情報が紹介されることが多いです。

今年は一週間前に行われた城下町で発掘された橋台遺構がメインでした。



佐和山城下町の内堀と外堀の間に南北を通る道として本町筋(内堀と外堀の中間辺り)と内堀沿の百々町筋の二筋のメインロードがあったとされています。
その二筋を結ぶ東西の道に架かる橋の遺構が発見されたのです。
その橋は、本町筋と内堀の間に南北の水路がありそれに架かっていたと考えられるのです。

しかも、この橋が架かっていた東西の道から内堀を越える場所の土塁は削られてい


たので佐和山城の城郭にも入れる道にもなるのでした。

ただし、この水路は埋め立てられた跡があり、石田三成が城下町の整備を行った文禄5年(1596)か、井伊直政が入った直後かに埋められたと考えられるとのことでした。


発掘された遺物は、城下町としては少ないそうですが、色んな地域の焼き物も出てきています。

この遺物は、割れた物を漆でくっつけた跡が黒い点として残ります。

これは中国南部産の当時では高級な物だったそうです。

硯も見つかりました。

包丁や、刀のはばき(鯉口あたり)も。

また、製鉄の跡も見つかったみたいです。

2010年に近くの発掘でも製鉄の証拠がありましたが、双方は少し離れていたみたいです。
佐和山城遺跡現地説明会 - 彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ) https://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/dba457824adff752762a2ffa0229290c/?cid=719900739cb98ad818c530f3e28a279f&st=0

つまり、城下町の中に鍛冶屋が複数存在したということですね。


関連地 彦根市 佐和山城址