彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

名古屋城金鯱特別展示

2021年03月31日 | 日本100名城と続100名城

名古屋城の金鯱が16年ぶりに地上へ降ろされ、特別公開をしているとのことで早速観に行ってきました。


桜の季節で春休み中でもあるので、名古屋城にたくさんのお客さんが来ていました。








そんな中お目当ての鯱へ


見学コースは3パターンあり、鯱が触れる特別コースのみ有料でしたが残り2コースは名古屋城への入城料のみで見学できます。


で、時間が許せば2コースは何度でもウロウロできました。


金鯱は雌雄があり、やはり雄の方が少し大きいそうです。

案内の方の話では、雌の方が少し寄り目なのだとか…わからなかったけど(笑)


特別コースで触れるのは雌の方でした。






オスは360度どの角度からでも見学できました。









特別御城印も販売されていたそうなのですが、午前中で完売。

これが欲しい方は、朝一で行くといいかもしれません。


余談ですが金鯱が降りてるので、天守の上は淋しいです。

一年半前の写真と比較すると、違いがよくわかりました。









御城印は入手できませんでしたが、特別展示に合わせた限定菓子三月分「弥生」を金箔入り抹茶で味わってきました。





福知山城訪問

2020年12月12日 | 日本100名城と続100名城
福知山訪問記です。

京都駅から特急に乗っても1時間半近く掛かるため京都府内である感覚から外れてしまう場所でしたし道中の殆どが霧に囲まれている感覚も不思議でした。
福知山駅に到着する前からお城が見え、城山と町との高低差があることもわかりました。









最初の目的地である福知山城を目指すのは難しいことでもなく、10分ほど歩くと到着です。
明智光秀が築き、娘婿の左馬助が城主を務め、




何人かの城主が変わった後に江戸時代に朽木氏が転封されてからは廃藩置県まで朽木氏の治世が続きました。
ですので天守の近くには藩祖朽木稙綱を祀る神社もあります。



明治になり城は壊されましたので、今のお城は再建となります。
ただし、城郭建築の雰囲気も残していて安土城をモデルにしたとも言われている天守は他の城と異なった個性がありました。



福知山城の最大の見所は、石垣に使われている転用石の多さです。
石垣を築くために近隣から墓石や石仏などを集めて使用した物で、各地の石垣で見る事ができますが、その使用頻度の多さは群を抜いています。
転用石については私独自の考え方があるのですがそれは別としても事前にわかっていながらもやはりその多さには驚きました。








御城印は、大河ドラマ効果で多くの方が購入されるそうです。




金沢城訪問⑤

2020年10月01日 | 日本100名城と続100名城
金沢城三ノ丸に入る門は、河北門の他にも石川門があります。









河北門が正門ならば、石川門は搦手門です。どうじか兼六園に向かう通用門のようなイメージでしょうか。
すでに紹介しました橋爪門、河北門と並んで「三御門」と呼ばれる門でしたが、河北門同様に宝暦の大火で焼失し、河北門が再建された後に石川門も再建されました。

その後、河北門は明治時代に取り壊されますが、石川門は残り続け、三十間長屋と共に江戸時代から現存する金沢城建物になったのです。

ちなみに、名前の由来は石川郡の方向に建てられた門だったからだそうですが、兼六園に一番近い門として一番知られた門でもあります。

ここも、金沢城特有の海鼠壁が見れますが、最大の面白いところは枡口に詰まれた石垣の積み方が違うことかもしれません。
江戸期に修繕があり、同じ積みかたをする計画もあったそうなのですが、敢えて時代に合わせた積みかたに変えたようです。






江戸時代から残る門も、再建された平成、令和の建物と遜色がない壮大な場所でした。

このまま兼六園に行ければ良かったのですが、この日は時間オーバー、また後日来ようと思います。

金沢城訪問④

2020年09月30日 | 日本100名城と続100名城
二ノ丸を橋爪門から出ると三ノ丸が広がっています。
この三ノ丸に入る門のひとつが河北門になります。

河北門も火災(金沢城は宝暦の大火で多くが焼けました)で失われたのちに再建されましたが、明治時代に壊されたようです。
平成22年に完成した今の建物は、宝暦の大火で焼ける前の姿とのことで、発掘調査で出た礎石をそのまま使っています。

河北門は、大手門から本丸に向かう時に通るので金沢城の正門との位置付けになっています。
まず、河北坂を登り一の門を潜りますが、門の右側には太鼓塀とニラミ櫓があり、その奥に前回紹介しました菱櫓の三層の建物が見え圧迫感を感じさせるようになっています。



ニラミ櫓とは、「睨みを利かせる」と言う意味ではないか?とのことですが、宝暦の大火後に再建された時はニラミ櫓を作らなかったそうです。
軍事施設のひとつを簡略化するのですから、幕府の許可も降りやすかったかもしれないですね。

そこから広めの枡口に入り高いニノ門を潜ってやっと三ノ丸に入ることができるのです。






三ノ丸から見た河北門






金沢城訪問③

2020年09月29日 | 日本100名城と続100名城
金沢城の本丸は木々が茂る自然公園のようになっています。


本丸の北西角にある戌亥櫓跡(ここも火事で焼けた場所).から見える二ノ丸に建つ大きな建物群が菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓です。




明治以降に再建された木造城郭建築としては最大の建物となり再建に3年半近くがかかったそうです。
金沢城の建物の特徴ともいえる鉛瓦と海鼠壁が大きな建物に合っていました。
以前は後日書きます石川門が金沢城の象徴でしたが、今は三層の菱櫓などここに関わる一連の建物の写真などをよく見る気がします。

菱櫓




五十間長屋






橋爪門続櫓




また、建物全体が二ノ丸を守る威圧的な壁になっていて、ここを攻めるのは難しいと実感できます。

金沢城訪問②

2020年09月28日 | 日本100名城と続100名城
本丸には三十間長屋があります。

玉泉院丸庭園から二ノ丸に向かい、極楽橋を渡ると本丸に入り、



すぐにある建物です。


金沢城では多聞櫓に連なる続き櫓を「長さ+長屋」で名付けていたようで三十間長屋も今は26.5間(48.2m).の建物となっています。
江戸初期には建っていたのですが、火事で焼け、長年石垣のみだった場所を幕末になりまた建造された建物が今に残っています。

海鼠壁や、城郭の外側から見て映える建物の外装に興味をそそります。










金沢城は平城のイメージがありましたが、実際に訪問すると平山城だったことがわかりましたが、それは周囲より高い建物があると言うことであり、落雷被害もあるのです。
桃山時代に、本丸には大坂城、駿府城に次ぐ立派な天守が建っていたのですが慶長7年(1602)に雷による失火で天守は焼けました。
関ケ原の戦いの後で、徳川家康が江戸に幕府を開く前年の事ですから原因は本当に雷だったのか?雷を好機と考えて、家康に疑いを掛けさせずに藩を守るために、自作自演で火を付けた可能性も否めないかもしれません。

何にしても、天守焼失以来、金沢城は火事に何度も見舞われる城となるのです。

金沢城訪問①

2020年09月27日 | 日本100名城と続100名城
金沢城を一度の紹介で終わるのは勿体ないので何度かに分けて書きます。

尾山神社から金沢城に入るは、鼠多門が一番近い入口です。
金沢城は再建計画が進行中で、調査と再建を繰り返してしますが、鼠多門と隣接する鼠多門橋は令和2年7月18日に完成式典が行われたばかりで、訪れたときは完成して1か月半も過ぎていない新しい姿を観ました。

江戸初期には建っていた記録があり、明治時代に焼失した物でした。
白漆喰塗、海鼠壁は城内でも見かけますが、海鼠壁の目地が黒漆喰なのはここだけですので、その色から「鼠」なんて呼ばれたのかもしれないですね。
屋根は鉛瓦、鼠多門橋は城内最大規模だったそうです。




ここから城内に入り、最初に広がるのが玉泉院丸庭園です。
平成27年3月7日に完成した庭園で、本来の遺構は土の中に残してその上に再現された庭園ですが、建物や石垣を借景にした壮大なお庭です。
金沢城といえば兼六園(今回は行けませんでした)が有名ですが、城郭を利用した庭園としては玉泉院丸庭園も充分雰囲気を楽しめました。









玉泉院丸は藩主の私邸とされていますので、彦根市民として彦根城で重ねて考えると玄宮園のような位置付けなのかもしれません。

福井城訪問

2020年09月18日 | 日本100名城と続100名城
青春18切符を使って、彦根から日帰りでどこまで行けるか?
ただし、ただ行くだけではなく最低3時間は滞在して史跡をひとつ以上観て、食事ができることを条件とする。

と、勝手に定めて18切符が余るとJRに乗り込みます。
西は香川県高松市なら余裕
東は浜松や掛川辺り
そして、今回は北を目指しました。

ただし、福井市で新田義貞討死の地(9/3に書きました)に行きたかったので純粋に日帰りできる北限を目指すわけではありませんでしたがその分史跡を色々廻りました。

まずは、福井駅を降りて福井城を目指します。
今は県庁になっていますので、庁舎が堀に囲まれた不思議な光景を目にします。



結城秀康像に出迎えられて奥に進むと天守台です。


まずは「福井」の地名の由来となった井戸を見学します。



井戸の隣には昭和23年(1948)の福井地震で崩れた石垣を見ることができます。




他の石垣にもズレがみられますが、この辺りの石垣は切り込みハギという隙間がほとんどないように加工された石を積んでいるため、いわゆる遊びがなく、地震などの大きな力でズレてしまうのは仕方ないことなのかもしれません。






天守台から西に向かうと、山里口御門が再建されています。
以前訪れたときは堀に架かる御廊下橋のみが再建されていたのですが、門や櫓も建っていて立派になった気がしました。






その近くには、福井神社があります。



松平春嶽が椅子に腰掛けた像に出会いました。

ここの御朱印は毎月デザインが変わるそうです。
九月のデザインの内で、名月と彼岸花の御朱印を受けてきました。



福井藩は様々な場面で彦根藩と因縁がある藩のひとつですが、幕末維新のとても大切な地域のひとつでもあるのです。

掛川城訪問

2020年09月09日 | 日本100名城と続100名城
少し前に書きましたが、掛川には青木権之丞という藩士を調べるために寄りましたが、史跡も幾つか周りました。

掛川駅からも見える掛川城は、平成最初の木造で再建された天守が建つ城としても城郭ファンの注目を集めた場所です。









戦後の築城ブームとは異なり平成期からの再建では資料を基とした歴史的価値を求める城が再建されるようになっていて、掛川城はそのモデルケールでもあり、その後の城の再建計画には必ず「裏付けができる資料の存在」が重要視されるようになります。
これは逆説的に言えば城の再建には足枷ができた状態でもあるので、例えば戦時中まで残っていた名古屋城天守は明細な調査資料があるために木造再建は可能ですが、明治前期の西南戦争で焼けた熊本城の資料は現段階で発見されていないため現状のコンクリート天守を修繕しながら維持することが求められるのです。

…話が大きく反れてしまいましたので元に戻します。

掛川は、浜松と同じように東海道の要所になる宿場町を城下町に組み込んだお城で、譜代大名が何度も入れ替わって掛川藩主を務めました。
また戦国時代には徳川家康の遠江侵攻に対して最後まで抵抗した場所でもあり、今川氏真(義元の息子)が家康に降伏するまで籠った城でもあります。ですので戦国大名今川家終焉の地でもあるのです。
また、今川家全盛期には氏真に召喚された井伊直親(直虎の許嫁で直政の実父)は掛川城下に入る手前で掛川城主・朝比奈泰朝に暗殺されています。
江戸時代に入り、彦根藩から分かれた直勝系井伊家が掛川藩主を務めた時期がありましたが、井伊直武という人物が病による疾患のために参勤交代をボイコットして藩が取り潰しになります。
今川家にも井伊家にも因縁の地になるのが掛川城ということになります。

豊臣秀吉が天下統一を果たしたのち、掛川城には山内一豊が入ります。







今の天守の原型を作ったのは一豊なのですが、関ケ原の戦いののちに高知城に入った一豊は、高知城天守を掛川城天守に模して造らせました。
この二城はその後もお互いを模し続けたため、平成の再建の際にも掛川城の外観のモデルは江戸時代から残る高知城天守を参考に作られているのです。

余談ですが、掛川城は朝比奈泰朝の祖父泰煕が近くの丘から拠点を移した城ですが、本丸の辺りは築城前に墓地だったことが再建前の発掘調査でわかっています。
日本人は、様々な地域で遺体を神聖化する事があり、その極端な例は人柱などにもなるのですが、死を神に捧げながら、地鎮祭をして地の神を鎮める儀式も行うこともあります。
と、するならば、墓地であった場所に城を築くことも、人柱を捧げることも、石垣に墓石や石仏を使うことも宗教的観点からは同じ思想に基づくのではないか?
と、考えています。

二条城ライトアップ2013

2013年03月31日 | 日本100名城と続100名城
『二条城ライトアップ2013』の招待券が届きました。一口城主には届けてくださるみたいですが、これだけでも結構な出費ではないかと気になってしまうのは僕だけでしょうか?
逆に言えば、そこまでして招待してくださったなら、行って状況を伝えて、みなさんの興味を二条城に向けてもらうのも僕の仕事の一つと考えて、時間を探すと3月29日に仕事が終わってすぐに向かえば行けることに気が付いて、二条城を訪問したのです。

京都で働いていたころから何度か見た隅櫓のライトアップ

大手門もライトで照らされています。

大手門を入ると、足元が桜模様で照らされていました。

通る人の足で影ができるのも幻想医的になります。

まずは光のオブジェが迎えてくれました。

隅櫓を城内から眺める光景も美しい。

ここから、竹をモチーフ?にした光の展示

ネコの足跡♪

風神

雷神

そしていよいよ桜へ…
 

 
途中でお抹茶をいただくため少し休憩。
 


ここから、優しい光の道が順路にいざないます。

池に映ることでますます異世界を示す桜たち


 
木に近付いてみると…
 

 

 
遠くの桜もいい

特にお客さんの足を止めたのは壮大なしだれ桜


 

 

 
そして、桜のトンネル(すこし高め)

桜はまだまだ続きます
 
意外に少ないのは建物と桜のコラボ

それを差し引いてもあまりある桜の演出
 

 

 

 


まだ、五分咲きくらいでしたが、それでも目を楽しませてくれました。
またこんな感じのものもあり、演奏も行われていたのです。