彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

だんだら羽織

2021年09月26日 | イベント

大丸京都店で新撰組のだんだら羽織を復元し展示しているとのことで観てきました。


新撰組のだんだら羽織は、『忠臣蔵』の赤穂浪士の衣装を浅葱色(切腹時に着る裃の色)にしたものだと言われていますが、まだ芹沢鴨存命中に大丸呉服店に発注した物と言われていますので、オリジナルを作った大丸の企画というところに惹かれて観に行きました。










ちなみにこの隊服は汚れが目立つ色なので洗濯と縫い直しが必須だったためにすぐに使用されなくなり現存する物はないとされています。


しかし、渋沢栄一の記録や志士の回顧談などから新撰組には黒い隊服があったのではないか?と言われています。



この展示は、映画『燃えよ剣』のイベントに絡んでいたようで映画衣装も観ることができます。

・沖田総司



・土方歳三



・藤堂平助





摩免渡市杵島弁財天 訪問

2021年09月16日 | 史跡
前渡不動尊から下山すると道向かいの麓に摩免渡市杵島弁財天がありました。









岩の上にあるお社で気になって寄ってみて由来を読むと浦島太郎伝説のひとつなのですが、その内容を要約すると…

信濃に住む太郎の前に急に美女が現れて、「結婚しましょう」と言われ、太郎は身分違いから断っていたのに押し切られます。
その時に、「結婚式は安芸の宮島でするから、この箱を持って宮島まできて欲しいけど、決して箱の蓋は開けないで下さい」と言われました。
太郎は宮島に着きますが、どれだけ待っても(734年間)美女は現れず失意のうちに戻り、遂に箱の蓋を開けると七晩目に美女が現れ「蓋を開けちゃいましたね、これが閉まっている時はあなたは不老長寿だったのですが…」と言って消えてしまいました。
太郎は感じ入ってその箱(玉手箱)の持ち主であるこの弁財天に感謝を申し上げた。

みたいな内容。
太郎は、結婚も畏れ多いと断ってた上にいざ指定された式場に行っても相手が現れず、待ちに待ったあとで預かった箱の蓋を開けたら待ち人が来て「あーぁ、やっちゃった」と言われたということですよね。

理不尽だ(笑)

承久の乱供養塔訪問

2021年09月15日 | 史跡
各務原市前渡東町の矢熊山中腹にある承久の乱供養塔に行ってきました。

承久3年(1221)に起こった承久の乱は鎌倉幕府軍が東海道、東山道、北陸道のそれぞれから京都を目指しました。

各地で戦いが行われましたが、あまり遺構は残っていません。
その中で、東海道軍と東山道軍が合流した美濃と尾張の戦いが広範囲での激戦になりました。
6月5日尾張一宮まで進んだ北条時房、泰時らは木曽川沿いに軍を展開する朝廷軍と対峙します。



翌日にかけて、犬山から墨俣まで戦線が拡大しました。
前渡(摩免戸)では6日明け方に幕府軍の北条時氏が木曽川を渡河、朝廷軍の藤原秀康は戦うことなく敗走。
朝廷軍の鏡久綱のみが戦ったのですが「臆病な秀康に従ったために、思う様な戦ができなかった」と嘆き自害したのです。

昭和に入ってからの河川工事で大量の五輪塔が発掘され、承久の乱の犠牲者の墓だろうと推測されて供養塔としてまとめられ前渡不動尊の麓に置かれました。













ただし、墓の形をみると承久の乱よりも後の時代の物だと考えられます。
でも、どんな形でも戦いの犠牲者を供養する気持ちは大切ですね。

供養塔からまだ山を登ると前渡不動尊様にもお参りできます。



上から見る景色も良かったですし、この地で800年も前に戦があったことが信じられないくらいの長閑さでした。