彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

地域通貨『彦』

2023年04月20日 | その他

今年も受け取りました、彦根市の地域通貨「彦」


エコバッグは眠っているひこにゃんです💤

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『大河への道』

2022年05月26日 | その他
『大河への道』を観ました。

舞台は千葉県香取市役所。
観光誘致のために、大河ドラマを誘致しようという公務員が考えそうなノリで始まります。
その主人公が、初めて詳細な日本地図『大日本沿海輿地全図』を作成した伊能忠敬。
千葉県知事がこれに乗り、自らの任期中(残り3年)に指名した脚本家加藤に書いてもらうという条件で活動が始まったのでした。

最初は渋っていた加藤がやる気になり、調べたところ、忠敬は地図が完成する三年前に亡くなっていたことを指摘するのです。

そして、忠敬の死から三年間にどんな物語があったのか天文方高橋景保を軸とした物語が加藤から語られたのでした。


と、そんなストーリー
立川志の輔さんの落語が原作で、現代の役所と忠敬の弟子たちの物語があります。落語ですからテンポ良く笑と涙も含んだ話になっていました。

伊能忠敬を大河ドラマにしたい話なのに、生きている忠敬は出てこないというのも面白いですね。

ちなみに、忠敬が亡くなっているので大河ドラマは無理との話なのですが『炎立つ』や『いだてん』みたいに途中で主人公を変えたり、それこそこの作品の脚本をされた森下佳子さんが『おんな城主直虎』で直虎没後の井伊直政を描いたような方法ならばできるとは思いました。
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等身大ユニコーンガンダム

2022年04月22日 | その他

以前、東静岡駅で等身大ガンダムが公開された時に見に行ったことがありました。

今回は東京近辺で一泊した時に、お台場で等身大ユニコーンガンダムをみました。


静岡のガンダムは、周りに高いビルは一棟しかなかったのでガンダムが大きく見えましたが、お台場では高い建物の脇にガンダムが立っているので小さく見えてしまいました。


訪問したときは、不具合でユニコーンモードにはならず、ずっとガンダムモードだったことですが、それでも夜にライトで照らされたユニコーンガンダムはカッコよかったです。












フジテレビなどの風景も、お台場ならではですね。





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ガンダムマンホール

2022年04月21日 | その他

訪問したのは3月31日ですが…


まだ小田原城の桜が綺麗な頃に少しだけ小田原市に寄りました。




目的は、ガンダムのマンホールを見る事とマンホールカードをもらう事です。


小田原駅と小田原城の間くらいにあるマンホールを見てから、


小田原市観光交流センターでマンホールカードを入手。




メダルも販売されていたので購入しました。

どうやら、ズゴックのマンホールは海沿いにあるようなので、今回は見れませんでしたが、機会があれば訪れたいと思います。

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2021年12月の豪雪

2021年12月30日 | その他

12月26日から降り出した雪は、彦根市を一気に銀世界にしました。


それでもまだ26日は、少し多い雪程度に考えていました。

除雪が間に合っていない彦根市役所前




雪の彦根駅前、直政公







彦根城




日が変わると雪はますます積もって…

自宅前も大変なことに。




岐阜県までの出勤のために雪掻きしても間に合わず、職場の先輩が8号線で拾ってくれたのですが、6時半頃に合流し岐阜県との県境に到着が15時でした。

彦根市内の雪は酷く、国道でも除雪は出来ていない状態。




テレビの取材も来ていました。

途中の信号は雪の重みで曲がっていました。

雪の佐和山城跡はキレイでしたが…

30日になっても雪は大量に残っています。


この後も雪は酷いのか心配です。
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新型コロナウイルスワクチン接種2回目

2021年07月01日 | その他

1回目の接種から三週間、2回目の接種を受けました。


前回、目眩などの副反応があったことを問診で伝えるとお医者さんから「2回目のほうが辛いよ」とのコメント。

前回2時間半後に目眩が出始めたのでアナフィラキーショックではないとのことでした。



接種自体は前回同様に痛みなく一瞬で終わりました。

15分の休憩時間の間に接種部分に痺れがありますが、それは前回と同じでした。

接種後、1時間ほどして胸焼けが軽く出てきて、目眩もあり。ふわふわした感覚が続きます。

注意しながら帰宅して、家に到着。

接種5時間後くらいに重めの頭痛と倦怠感がありました。

何もする気が起こらず、布団に入り横になりました。


接種後12時間。

腹痛でトイレに行き、下痢に襲われます。

目眩のためにトイレに座るのも辛い状況でした。


朝になり接種17時間後

目眩続き、接種部分に激しい痛み。

1回目の比ではないです。


この日もほとんど動かず布団とお友達していました。

昼過ぎにやっと熱を計ってみると37.6

そのまま、眠り続けました。


接種後二日目の朝、39時間後

目眩は少し残っていますが、他の体調は落ち着きました。



本当に2回目は辛かった。

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新型コロナウイルスワクチン接種 1回目

2021年06月09日 | その他

仕事の都合でコロナワクチンの1回目を接種しました。


事前に渡される予診票を記入し、薬を飲んでいる場合は「お薬手帳」も持参します。

職場で接種する場合は、ある程度の情報を社内で共有している可能性がありますが会場での集団接種の場合、薬の確認は大切なのでお薬手帳を持参しないのは問題であると認識しておいた方が良いと思います。

また、予診票も氏名のふりがなや電話番号、接種前の体温、そして同意欄など記入する箇所は幾つもあるのでわかる場所だけでも事前に記入するべきです。その辺りの時間が無駄になるほど接種が延びることになります。

また、予診票は1回目と2回目の2枚あるので、それぞれの接種までどちらも保管しておかないといけません。



まずは、予診票を見て医師の問診ですが、記入がちゃんとできていればすぐ終わります。

注射は、利き腕ではない方の腕に行われます、二の腕がすぐに出せる袖の短い服を着て行きましょう。

とても細い針で筋肉注射ですので、痛みはありません、個人的な経験で言えば糖尿病治療のインスリン注射よりも痛みはありませんでした。ですので注射を医師以外の方がされる会場もありますがまったく問題ありません。


個々がちゃんと準備できていれば問診から接種までは流れ作業のように終わります。

その後15分は静かに座っていましたが、この時に接種腕に軽い痺れや違和感はありました。


問題は副反応、接種から時間が過ぎてから腕の痛み、体の倦怠感がだんだん出てきました。

個人的には5時間に目眩が強くなりだんだん頭痛になってきました。


一晩寝た後、腕の痛みは当日よりジンジンとした鈍痛になり1日経過してマシにはなりましたが残っています。

目眩や頭痛は午前中だけ軽く残っていました。



もしかしたら年齢や性別、生活基準などによっても変わるかもしれませんが、接種済の方に話を聞くと翌日の腕の痛みや怠さは出ることが多いようです。


三週間後、2回目の時にどうなるかも要観察ですね。


(追記)

接種翌日より、翌々日に体調不良でました。

休みでも5時起きの習慣(目が覚める)のですが、夕方まで布団から起きられず。

腕の痛みは触らなければ気にならなくなっています。

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地域通貨「彦」

2021年04月15日 | その他

今年も地域通貨「彦」の交付が始まりましたので、活動報告と共に受取に行ってきました。


昨年度はコロナ禍の影響で地域活動が無く、毎週あまり変わり映えのしない報告になりました。

1300彦を受け取り、500彦をエコバッグ、300彦をゴミ袋に交換して500彦を残すのが例年のパターンですが、今年も同じにしました。



今年度は、今のところ毎週長くウォーキングしていることがメインの報告になるかもしれないです。

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刀と虎徹

2020年11月16日 | その他
虎徹の井戸がある長曽根町の歴史を調べられている方々の前で、虎徹さんの話をする。という恐れ多いイベントをしてきました。



まずは、僕の14年近い彦根での活動を話してから刀の話を始めます。
中国の『三国志』などの豪傑が使う刀と日本の刀との違い。
銅剣は祭事用であった可能性が強く、隕鉄から採れる鉄が剣となったことで戦いに使われ弥生時代からは剣で斬られたとみられる骨もあること。

前九年の役までは上古刀と言われる直刀の刀
その後南北朝時代までに古刀と言われる刀が、相模、山城、大和、備前、美濃で打たれたこと、これは鉄が採れる場所の近くの森の木を使って鋼を作りそのまま作刀したため。その上で水に恵まれていたと思われます。
彦根藩には備前由来の刀も多く残り、たぶん備前刀が一番有能だったと思うのですが戦国時代にこの地域が何度も水害に見舞われ作刀集団が離散します。
そんな中、一番後進の美濃が発展して越前や伊勢などに広がりそのなかの一派が長曾根派だと思いますが、彼らは甲冑を作る一族でした。

南北朝時代の後辺りから腰から鎖でぶら下げて佩刀する太刀(語源は経つ)より、下級武士が帯に指して帯刀する打刀(打ち合いに使う刀)が抜きやすく主流になります。
虎徹は、そんな打刀を打つ人物でした。
甲冑職人として高名でありながらも、
江戸幕府開幕で平和になり甲冑の需要が減ったこと、
自分の兜を斬れる刀が作りたかったこと、
刀は作者の名が残ること、
官位や物語が付く可能性があること、
などの理由があったとも考えられます。そして古鉄を利用して作刀したことから古鉄、そして虎徹を名乗るようになりますが、入道しての名乗りなので人を殺す刀ではなく、守るための刀を打ち続けたと思います。

虎徹の刀に付く伝承は、新撰組の近藤勇が愛したことで、近藤は三振りの虎徹を所有したと言われていますが、一番有名な池田屋事件で使われたのは虎徹ではなく源清麿だったとも言われているのです。

ちなみに、虎徹のように近江や江戸など各地で刀鍛冶が活躍できたのは物流の発展が後押ししています。
昔は、鉄から作る鋼も薪も運ぶだけで大変だったのでその場の近くの水が合う場所で作刀しましたが、物流の発展で鋼と薪さえ来るならば、水合う場所を探して刀が打てたのです。


と、このような話などを中心に、長曽根を含む三ツ根のことなどの意見交換も行いました。
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恐竜王国福井

2020年09月25日 | その他
福井市に行く目的にしていた藤島神社と新田塚に寄れたので、福井市を離れることにしました。

駅前まで戻ると、何かの鳴き声が聞こえましたのでその地を探す…
駅前に三匹の恐竜のモニュメントがあり首が動いたり鳴いたりしていました。
この恐竜は、福井県で生息していたフクイラプトル・フクイサウルス・フクイティタンの実物大だそうです。






福井県の壁も恐竜が描かれています。


福井県内では化石が多く発掘される場所で、まさしく恐竜県の県庁所在地に相応しい物でした。

夜にはライトアップもしていました(帰りに途中下車して観ました)






また、何箇所かのベンチには恐竜博士なる者が座っていたりもします。



そんな福井市を離れ、そのまま金沢市に向かいました。
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