彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

揺れる近江(1)

2023年10月22日 | ふることふみ(DADAjournal)
 日本列島は世界有数の災害大国である。特に地震に関しては顕著である。そもそも日本列島は地殻変動によって形成された土地であり、例えば多賀町山間部で海洋生物の化石が発見されるのもその場所が昔は海であった証拠でもある。

 日本列島近郊には四つのプレートがあり、日本はユーラシアプレート・北米プレートにのっているが、すぐ東の太平洋には太平洋プレート・フィリピンプレートがあり、ユーラシア・北米プレートの下に潜り込んで行く。この境界部分に深い溝ができ「海溝」となっているが、ここではユーラシア・北米プレートの端も巻き込まれるように沈んで行き、やがて沈んだ境界部分が元に戻ろうとする反動が大地震の原因となる。これが南海トラフ地震の要因である。日本史における地震災害で規模と発生頻度が高いものは南海トラフ関連であることは間違いなく、現在でも大規模地震発生で一番警戒されているものが南海トラフであることは、確実に大地震が起こると周知されているからなのだ。

 しかし、日本には地震を起こす原因となる「断層」が縦横無尽に並んでいる。しかもまだ未発見の断層もあると言われているため、日本で地震が起らない安全な場所はないとされているが、せめて歴史からどの地域に地震が起こったことがあるのか? を知ることは防災や減災にも繋がるのかもしれない。今稿からは近江やその近郊の地震を見て行くことにする。
 まず滋賀県の象徴でもある琵琶湖の成り立ちから考えてゆく。定説では400万年前に琵琶湖の始まりとなる湖が今の三重県伊賀市で誕生した。古琵琶湖群と呼ばれる幾つかの湖や沼地のひとつである「大山田湖」と呼ばれる古湖の跡地にはゾウやワニの足跡が残る化石も発見されている。ここから甲賀市辺りを通り現在の場所まで移動したと考えられていて滋賀県の地図を見ると、鈴鹿山脈と信楽高原に挟まれた地域で国道307号線に似た経路で移動の痕跡を残している。この移動によって滋賀県内には細かい断層が作られたとの説もある。

 さて、日本史上最初の地震の記録は『日本書紀』に記載されている。允恭天皇5年7月14日(416年8月23日)遠飛鳥宮(奈良県高市郡明日香村)で地震が発生した。このとき先帝・反正天皇の遺体を仮安置する「殯(もがり)」の最中であったため允恭天皇が使者に殯宮の様子を見に行かせると玉田宿禰という人物が殯の任を軽視し酒宴を開いていたことがわかり、宿禰を討ち取ったとされていて地震の原因が先帝の怒りであると思われていたことがうかがえる。この地震の規模はわからないが人々にとって大地の揺れは恐怖の対象であったようだ。近江での記録は残っていないが、先帝の怒りと解釈されたならば大きな地震であったはずであり、近江でも揺れを感じたのではないのだろうか?


大山田湖の足跡化石(伊賀市平田 せせらぎ運動公園内)
コメント
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