彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

2021年12月の豪雪

2021年12月30日 | その他

12月26日から降り出した雪は、彦根市を一気に銀世界にしました。


それでもまだ26日は、少し多い雪程度に考えていました。

除雪が間に合っていない彦根市役所前




雪の彦根駅前、直政公







彦根城




日が変わると雪はますます積もって…

自宅前も大変なことに。




岐阜県までの出勤のために雪掻きしても間に合わず、職場の先輩が8号線で拾ってくれたのですが、6時半頃に合流し岐阜県との県境に到着が15時でした。

彦根市内の雪は酷く、国道でも除雪は出来ていない状態。




テレビの取材も来ていました。

途中の信号は雪の重みで曲がっていました。

雪の佐和山城跡はキレイでしたが…

30日になっても雪は大量に残っています。


この後も雪は酷いのか心配です。
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井伊家千年の歴史 追補1

2021年12月26日 | ふることふみ(DADAjournal)
 令和4年の大河ドラマは鎌倉時代初期に武家政権を確立した北条義時を主人公とする『鎌倉殿の13人』である。物語としては義時の姉・北条政子とその夫である源頼朝らが台頭する治承・寿永の乱(源平合戦)から始まり承久の乱が最大の見せ場になるのではないかと推測する。

 この時代の井伊家では、保元の乱に参加した井八郎、近江佐々木庄で起こった日吉社宮仕法師刃傷事件で罰せられた井伊直綱、源頼朝の東大寺供養の上洛に加わった伊井介らが名前を残しているが、実は承久の乱にも参戦しているのだ。

 承久の乱は、鎌倉幕府三代将軍源実朝が暗殺されたのちに、後鳥羽上皇が北条義時追討を命じたことから始まった公家と武家の戦いである(異説等省略)。鎌倉幕府ではなく義時が個人的に朝敵とされてしまったこともあり武士たちは忠誠心よりも利益を優先とした参戦を考えるようになっていた。このため、近江の有力な御家人である佐々木氏が兄弟で対立、源頼朝を支えた官僚である大江広元ですら京都守護だった嫡男・親広が上皇方について親子で戦うことになる。京に近い武士たちが上皇方に加わるため、義時は軍を編成し京に向かって素早く行軍することで行軍地域の武士たちを鎌倉方に付けるしかなかった。こうして義時自身は鎌倉に腰を据えて、長男・北条泰時と弟・時房を東海道、武田信光を東山道、次男・朝時を北陸道の大将として軍を進めて行く。井伊家は新野家らと共に東海道を行軍する泰時に従ったとされているのだ。

 しかし、佐々木家や大江家の例に漏れず井伊家の分家である貫名重忠が上皇方に内通した(三日平氏の乱のときという説もある)ために安房に配流となっているため井伊家も一枚岩ではなかったのかもしれないが、泰時の軍に加わって承久の乱を戦ったのならば、美濃国摩免戸(各務原市)で戦い、近江国野路(南草津駅付近)から宇治橋で激戦を経験し伏見から京に進軍したと考えることができる。

 このときの井伊家当主の名は伝わっていないが、井伊家系図の中に九代井伊泰直という人物を見つけることができる。もしかすると戦いの中で手柄があり泰時から「泰」の字を与えられたのかもしれない。

 日本史で中世に区分される時代の始まりは公家から武家への政権交代である。治承・寿永の乱において源頼朝が他の源氏や平家・奥州藤原氏を討ち武家の頭領として公家に並ぶ地位を得た。そして承久の乱で北条義時が後鳥羽上皇に勝利し罰を与えたことによって、武家が公家から主権を奪ったのである。

 井伊家は藤原氏の血を受け継ぐ公家としての希少性で遠江西部を中心に勢力を広げながら承久の乱で鎌倉方として参戦することにより武家の名家とに転身する。これより先に様々な困難を経験しながらも、井伊家が持つ不思議な先見の明により千年の歴史を刻み続けているのだ。


承久の乱合戦供養塔(各務原市前渡東町 仏眼院・前渡不動尊)
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山塚古墳

2021年12月09日 | 史跡
随分前から探し回っていた史跡が山塚古墳です。

平将門を討ち、都へ凱旋途中の藤原秀郷が東山道の下枝辺り、宇曽川に架かる橋で将門の首に追いつかれたとの伝説があり、秀郷は将門の首に歌合戦を挑み、歌が出てこなかった将門の首が落ちたとされています。

その地には「歌詰橋」との名が付くのですが、秀郷は近くに将門の首(骸全てとも…)を祀る塚を作ったと言われているのです。

後年、宇曽川の氾濫に乗じて塚から抜け出した将門の首は下流の荒神山辺りで力付き、ここに塚(前方後円墳)が作られて「平流山」と呼ばれた伝承もあり、平流山は以前に確認したことがあり、毎月連載を書いている『DADAジャーナル』でも紹介しています。

ただ、秀郷が作った塚というのが、個人ではなかなか特定できずにモヤモヤしていたのですが、久しぶりに歌詰橋に寄ったので周りをウロウロして見つけました。







時代的には合わないようですが、伝承地に巡り合うことができて良かったです。

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映画『すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』

2021年12月04日 | テーマ日記
何気におすすめ映画

すみっコぐらしの2作目の映画『すみっコぐらし青い月夜のまほうのコ』を観てきました。



ここ三年ですみっコに詳しくなってしまいましたが、前回の映画はまだ観ていません。ただ「良かったよ」との話も聞きましたので、時間があったので行ってみました。


平日の昼間だったこともあり、のんびり鑑賞。


公式サイトに様々な物語の動画もありますから動くすみっコたちは見慣れていたはずでしたが、アニメとして動くコたちに妙に感心しちゃったりもしました。

「かわうそとすみっコキャンプ」「とかげの夢」を盛り込んでまほうの話が展開する物語になっています。


夢を持つことの大切さも教えてくれました。


そして、主人公はとかげで間違いないでしょうね。とかげが優しくて健気です。

またとかげファンが増えるのではないでしょうか?

来場者特典第一弾のミニ絵本もとかげメインでした。



ちなみに、映画公式サイトではデジタルスタンプラリーが行われています。

スタンプラリーでキャラをゲットして

手のひらにARすみっコ登場



期間限定ですが、楽しいですね。


さて、映画を観てから同じ建物内にあるゲームセンターに寄ると映画コラボ企画のクレーンゲームがありました。

そこで、とかげまほうつかいバージョンのぬいぐるみをゲット


凄く大きいぬいぐるみです。

以前に1番くじで引いたとかげと比べると大きさがわかるかもしれません…


劇場で売っていた新聞


付録のステッカーも映画のあとに観ると胸が熱くなります。



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太閤井戸

2021年12月03日 | 史跡

琵琶湖の渇水で坂本城本丸東部の湖中石垣が出てきていますが、それならば長浜城の太閤井戸も出ているのではないか?と思い寄ってみました。


普段は琵琶湖に沈んでいて石碑のみが湖上にでていますが…


思った以上に水が引いていて、近くまで行けました。



歩いて石碑の裏側も見学できました。

太閤井戸は、羽柴秀吉が長浜城主時代に掘らせた井戸と言われていますが、こんな湖中に井戸があると言うことは安土桃山時代の琵琶湖は渇水と言われている現状くらいではなかったのか?とも思えてしまいます。

秀吉はどんな意図がありわざわざ琵琶湖畔に井戸を掘らせたのでしょうね?

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