彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:安政の大獄大赦(11月29日)

2012年11月28日 | 何の日?
文久2年(1862)11月28日、江戸幕府は安政の大獄の大赦令を出しました。

この時、処刑された吉田松陰・橋本佐内や水戸藩の安島帯刀ら4人の罪も赦免されたのです。
死者の罪が赦免されることに意味があるのか? と疑問に思われるかもしれませんが、当時は処刑された者は遺体の埋葬を許されないのが普通でした、これが罪がなくなれば堂々と遺体を改葬し墓を建てることも許されるのです。

安政の大獄は、幕府が行った政治的な刑罰であり、これに大赦を出すことは、幕府自体が以前の裁きを改めたということにもなってしまいます。そのこと自体が異例ともいえる処置なのです。

『地域と語る 大河ドラマ・時代劇』

2012年11月24日 | 書籍紹介
‎12月1日に発売になりますが、すでに先行で出た場所もあるとおもいます。
地域と語る大河ドラマ・時代劇: 歴史都市彦根からの発信


6月2日に行われた『時代考証学会第二回フォーラムin彦根』の記録です。
『どんつき瓦版』編集部は、第一部のフォーラムのテープ起こしを担当しました。

また第二部では「ミニコミ紙で歩む地域発掘‐『どんつき瓦版』を通じて‐」というタイトルで10ページほど瓦版の紹介を書かさせていただきました。
『どんつき瓦版』について流れや活動内容を、できるだけ簡単に書いたつもりですので機会があればご一読下さい。

11月20日、治承三年の政変

2012年11月20日 | 何の日?
治承3年(1179)11月20日、平清盛が治承三年の政変を起こしました。

鹿ヶ谷の陰謀以来、関係が表だってぎくしゃくし始めた平清盛と後白河法皇でしたが、それでも清盛の嫡男である平重盛が両者の仲介を行って何とか関係が保たれていました。
しかし、治承3年閏7月29日に重盛が病没し、同じ月に亡くなっていた清盛の娘の盛子の嫁ぎ先である近衛摂関家の領国と共に重盛の領国も法皇が没収したことから、清盛と法皇の関係がますます悪化したのです。


こうして、清盛のクーデターが勃発します。
11月14日、福原に居た清盛は軍を率いて京に入ります。
15日清盛が強硬に人事に介入し、驚いた後白河法皇は、今後自分が政治に関わらないことを申し出ます。
しかし、清盛の人事介入は続いたのです。
20日辰の刻(午前8時頃)、清盛の軍勢が法皇の住む法住寺殿を包囲。御所内は驚き大騒ぎになったのです。女性たちが逃げ出している混乱のなかで脱出を図ろうとした後白河法皇の前に、重盛に代わって平家の後継ぎになった平宗盛が現れ、「世が落ち着くまでの間、鳥羽殿に御移りいただきたいと父の入道清盛が申しております」と伝えて車に押し込み、そのまま鳥羽殿で幽閉したのです。


こうして清盛のクーデターは成功し、清盛は高倉天皇の権威を背景に政権を運営します。これは同時に後白河院政の終焉を意味したのです。

青い彦根城と玄宮園ライトアップ

2012年11月15日 | イベント
「11月14日は世界糖尿病デーで天守が青くライトアップされる」
との情報を得て、それならば観に行くことにしました。

確かに青い

でも、お城にこの色は怖くないか?

さて、そんな彦根城を夜に観るには、やはり玄宮園のライトアップですね。
旧暦では10月1日なので新月です、月明かりはありませんのでいつもより暗く感じました。よく考えれば管理人がライトアップに行く時はほとんど満月を狙って行っていたので、新月は初めてです。

何度か来ていますが、季節が変わると趣も変わりますね。
そして天守は青ですし…
 

 

 

 

 

 


お抹茶をいただいている時に雨が激しく降り、少しゆっくりさせてもらってから帰りました。
夜の雨は随分冷たくなりましたね。

会津若松と平泉訪問記 番外編~東京駅~

2012年11月12日 | 史跡
東北旅行の最後の目的は、10月1日に開業される新東京駅の姿を観ることでした。

この次にいつ東京に来れるか解りませんので、観れる時に復原された東京駅を観たいと思ったのです。
東北新幹線が東京に到着し、一旦駅からでます。
この時はまだドームの中も建設中。

駅の外に出て、姿を確認

確かにドーム型だ、そして3階建て

遠くから全景を確認

ぐるっと回りました。



前回着た時にはシートに覆われていた原敬元首相襲撃現場も確認

旅の終わりが纏まった気分でした。


これで、2ヶ月以上かかった旅報告は終わりです。

会津若松と平泉訪問記 その11~毛越寺~

2012年11月11日 | 史跡
前に書いてから既に1ヶ月、いい加減この旅行記を終わらせなければなりません。
しばらくバタバタしていたのもあるのですが、この最期を書くことで報告が終わってしまうのも少し寂しい気持ちもありました。

でも、終わらせないと…

平泉に僕が滞在できたタイムリミットは正午まで、10時頃までは中尊寺に居ましたので、のんびり移動する訳にもいかずタクシーを拾いました。
ここからの目的地は毛越寺。
奥州藤原氏の中では、あまり表に出てこいない基衡が建立した大伽藍です。
その道中でタクシーの運転手さんから今朝1ヶ月ぶりに雨が降った。との話を聞きました。確かに朝の雨は僕も降られましたが、そんな稀な雨となると、やっぱりあれですね、もしかして管理人歓迎されていませんでした? その割にはその後すぐに止んだし、義経堂や中尊寺では天気が良かったので、どう言うことだったんだろう?
でも、「この雨で今日は過ごしやすくなった」とのことだったので、それなのかな?
とにかく、2008年の夏以来、管理人の歴史巡りには時々こういう現象が起こります(謎)



さて、毛越寺
中尊寺で、期待よりは少し衝撃が少なかったために、ここもそれほどに期待をしていた訳ではありませんでした。

入り口から入り、すぐに朱印所を見つけて、御朱印をお願いします。素敵な朱印帳だったので、新たに購入しました。



本堂を参拝し

南大門の跡から庭園へ

ここからは、言葉は要りません、ただただ観賞するのみです。
 

 

 

 
息を飲むという言葉を久々に思い出したような場所でした。
目の前に広がってるのは、まさしく様々な顔を見せる極楽浄土の風景だったのです。
東日本大震災の影響でそのまま学術調査が入った場所もありますが、それすらも奇跡のように思えました。

建物は申し訳程度に建っているだけで、大伽藍だったという跡を残すのみなのですが、それだからこそこの地に自由な発想ができます。







庭に流れ込む水すら聖なる物のように思える場所でした。
  
「帰りたくない」って本気で思ったのは初めてかも知れません。
彦根にネコを残していなければ、仕事や用事を残していなければ、もしかしたらこのまま住みつこうとしたかもしれない、そんな場所でした。
管理人にとっての平泉は中尊寺の金色堂ではなくここだったのです。

この庭園は、昔は田んぼに変わった時があったのですが、農民たちは庭の形を壊さないまま池を田にしていたのです、本来ならカーブを壊して真っ直ぐ直せばいいのにそれをしなかった、そんな形で受け継がれた場所でした。

庭園を一周し、いよいよ出口に近付いた時、晴れていた空から30秒ほど雨が降りました。
「また来いよ」
なんだか、そんな合図のような雨でした。


こうして、後ろ髪引かれながら平泉を離れたのです。

逓信舎オープン

2012年11月03日 | イベント
ひこね街の駅 逓信舎がオープンしました。

今まで、ラジオの放送は行われていたのですが、これで中でのカフェと二階の展示も始まります。
しまさこにゃんの登場で始まったOPイベント



もともと郵便局の建物だったということで、しまさこにゃんに手紙を受け取ってもらうという企画から始まりました。

逓信舎のポストカードもありますよ。


そしてカフェもスタート

素朴で甘すぎない、いい味に雰囲気がいい場所。

休憩できる空間になります。

ラジオの配信は二階から…

そして第一段の展示として映画のポスター展





夏目雅子さんのサイン入り『時代屋の女房』のポスターは貴重ですよね。