彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『戦国怪談話』その6 安土城 信長の財宝を狙え

2011年08月29日 | 『戦国怪談話』
天正10年6月2日、織田信長は本能寺の変で亡くなりました。

この時安土城を守っていたのは日野城主蒲生賢秀。息子の賦秀(後の氏郷)は信長の次女冬姫の婿という立場の武将だったのです。信長の女婿とは言いながらも近江南部の国人でしかない蒲生氏では安土城を守りきれないため、信長の家族を連れて守り易い日野城へと避難しました。安土城に残された信長の財宝は、小さい物は日野に運び、一部は家臣たちに分け与え、城の中にも残しましたが、その多くは織田家再興のために安土山中に埋められたとされているのです。

6月5日、明智光秀が安土城に入りますが思ったよりも財宝が少ないことを訝ります。そして甥で娘婿の明智秀満(遠山景行の子との説あり)に安土城の守備と財宝の捜索を命じて坂本城に帰るのですが、そのまま山崎の戦いで戦死してしまうのです。秀満は坂本城へ戻ることとなり、秀満が安土城から出たあとすぐに天主は火に包まれて焼け落ちたのです。安土城は信長の孫の秀信が所有しますが、居城を岐阜に置いたために廃城となり、城下町も八幡山城築城にともなって近江八幡へと移され、安土の城と町は一時の栄華を失ってしまったのです。しかしその山中に埋蔵金が残るという噂だけが残りました。


財宝の噂を聞いた浪人の一団が、二の丸跡に小屋を作って探すと、小さな黄金などが見つかったそうです。この日から何日も財宝を探すつもりで二の丸跡に居座った浪人たちは、一日目の夜に遠くでざわざわとした音を聞きました。二日目の夜となるとその音が近付いたように感じられたのです。
三日目の夜。近くの森林まで音が近付いてきました。不審に思った一人の浪人が小屋から出ると、森の間から一本の矢が飛んできて浪人を貫いたのです。浪人には激痛が走りましたが傷はありませんでした。この気配に気が付いた浪人の仲間たちが外に出ると、森の中から槍や弓矢を持った兵たちが飛び出して浪人たちを襲ったのです。先ほどと同じように痛みは感じても怪我をしない攻撃に浪人たちは大混乱に陥り、やがて同志討ちが始まり、一人またひとりと倒れて行きました。

この中を命からがら逃げ伸びて、麓の村人の家に逃げ込んだ浪人の一人が、息を切らせながら城跡での出来事を語り、その中に立派な夜具を着た男がいたとの証言を残して息絶えたのです。人々はこれを信長の霊だと恐れましたが、同時に財宝に目がくらむ者の多く現れ、豊臣秀吉が二の丸跡に信長廟を建立して入山禁止にすることで霊がでなくなったといわれています。


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2 コメント

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質問 (tatara)
2016-01-04 21:05:21
教えて下さい
初めて安土城跡 見学したとき 現在の様な
大手門 石段現在の様に広くなく 狭い山道では

山道で下山する人と道譲り合い 城跡見学しました

当時は無料で見学でき 発掘もしていませんでした
何年頃 現在の大手門整備されたんですか? 
 
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Unknown (管理人)
2016-04-19 19:31:48
返事遅れて申し訳ありません。
30年くらい前は、ご指摘の状況であったと記憶しています。

平成に入り調査が行われた後で今の状況になりました。
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