彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

井伊直政公命日法要

2017年01月29日 | イベント
昨年に続き、今年も井伊直政公の命日法要を行いました。

この一週間の大雪のため、清凉寺にもまだまだ雪が残っていました。
そんな中でも、市長や商工会会頭、県議さん、市議さんなどの方々もお越しになられました。

予定の午前9時を少し超えてから本堂で始まった法要。





本堂と位牌堂でご焼香をさせていただきました。

そののち、雪が残る墓所にお参り



雪に埋もれる井伊家歴代のお墓、寒そうです。

でも、雪景色も綺麗ですね。

直政公のお墓でもご住職にお経をあげていただき、無事に法要は終わりました。

今年の大河ドラマと410年祭が無事に行われますように、井伊直政公にお祈りしました。


関連地 彦根市 清凉寺

勝鳥神社 訪問

2017年01月02日 | 史跡
毎年、元日に干支に関わる神社にお参りに行くことを習慣にしていますが、今年は彦根市内の勝鳥神社に行きました。

事代主命らと美濃に向かって出陣した天稚彦命が美濃で討死し、その亡骸を天稚彦命の妻である下照姫命が引き取って葬った地とされていて、下照姫命はそこに勝鳥石を建てたそうです。
関係としては、事代主命と下照姫命が大国主命の子どもと言われていますので、事代主命と天稚彦命は義理の兄弟ですね。
近くの高野瀬には天稚彦神社もありどちらも同じ氏子さんに寄って守られていた時期があり、戦国期にはどちらも高野瀬氏の領国であったことも興味をそそります。

また、近く亀山小学校の裏にある茂賀山には、天照大神に派遣された天若日子が大国主命と会うために天上から金の鶏に乗って地上に降り、鶏を置いて行った地とされています。
ちなみに、天若日子は大国主命の娘シタテルヒメと結婚してしまい、仕事を果たさなかったので天照大神が命じた矢を受けて死んだとされているなですが…

天稚彦はアメワカヒコつまり天若日子
下照姫はシタテルヒメ

と考えると、全く違う話が同じ人物によって結ばれ、下照姫命がなぜ勝鳥石なんて物を建てたのかもわかります。

そんな勝鳥神社参拝
人が多い…
12年前にある旅行会社がミステリーツアーとして干支に関わる神社として参拝を企画したことから酉年に注目されて参拝もあるみたいです。

由緒書

境内には鳥の狛犬?や絵馬額など…









また、近くには肥田城水攻めに関わった高野瀬氏の重臣久木氏の住居だった越川城跡の碑もあります。



関連地 彦根市三津町 勝鳥神社