彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『佐和山城伝西の丸下段曲輪範囲確認調査』現地説明会

2015年10月04日 | 史跡
佐和山城の山中の曲輪における発掘調査が初めて行われ、その結果、彦根藩の古地図で西の丸とされている所(塩硝曲輪とされている場所)で新たな発見があり説明会が行われました。


今回の調査で大きな成果は
・曲輪形成のために土を切り、外側に盛り土をして曲輪を形成したこと
・その外郭部分に土塁のような盛り土をしているが、石垣の形跡は無いこと
・曲輪の北西端に大きな窪み(人工的に作った地下室遺構)があること
とのことです。

集石遺構


盛り土の土塁(左側が曲輪内)


特に地下遺構に関してはしっかりとした礎石跡がある遺構で、底辺部分にも加工が施されていたとのことです。そして瓦建物だったとのことでした。
 
どんな用途で、いつの時代に作られたのかはまだわからないとのことでした。
織豊期の山城城郭に例がなく、地下に行く階段のようなものも発見されていないそうですので真相解明にはまだまだ時間がかかりそうです。


さて、今回の説明会ではマナーに大きな問題がある人がいました。
立ち入り禁止のロープを越えて注意されても出ることもなく「見えへんから」と主張した人です。
写真撮って「ネットに流す」と当人には伝えましたので、そのまま公開します。
ちなみに帽子をかぶっている方は見やすくするために勝手に木の枝を折ったりもしていました。
 

 
こういう危険なマナー違反がなくなり、みんなが気持ちよく見学できる日を願います。
 
あと、現地では寒さで元気がない蜂も一緒に説明聴いていましたので、ご愛嬌で…
暑い季節でなくて良かったです。