彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

金亀酒蔵祭り

2012年03月31日 | イベント
『けいおん』で有名になった豊郷町には、安政元年創業の酒蔵岡村本家さんがあります。

ここのお酒である“金亀”は井伊直弼に好まれて、彦根城の別称である“金亀(こんき)”を名乗ることを許されたのですが、岡村本家の初代がそのまま名乗ることを恐れ多いとして“金亀”の字はそのままに“きんかめ”と呼ばせた銘酒です。
そんな歴史も伝統もある岡村本家さんがこの時期に行っているのが酒蔵祭りです。
昨年は、東日本大震災の直後だったこともあり、春のイベントは中止になったのですが、今年は雨という天気にも負けずに多くのお客さんがお越しでした。

岡村本家さんの経っている場所は、佐々木源氏の末裔である吉田氏が居を構えた吉田城跡でもあります。
織田信長が近江に攻め入った元亀争乱のため元亀2年に落城しますが、吉田氏は残り、やがて京に出て商売を始めて角倉了以を排出します。了以は高瀬川掘削でも有名な人物ですね。

そんな歴史ある場所に建つ、歴史ある酒蔵は趣があります。
 

 

ドラマや映画のロケ地にもなっている所なんです。

そしてイベントでは、お酒の試飲もあり

酒蔵の見学もありました。

  
これは、夫婦で週6日お酒を飲んでも150年近く貯蔵できるほどの大きさがあるそうです。


また、酒粕ラーメンをいただいたり。

500円で酒粕の掴み取りに参加。

5キロ以上を取られる兵もおられましたが、管理人は2キロちょっとでした。それでもこれだけの酒粕をどう使おうか思案中(笑)


管理人は日本酒が飲めませんし、雨だったために車で行ったので試飲などはできませんでしたが、甘酒や粕汁をいただき、帰りに甘酒を買ってきました。

この甘酒も、近所で売っている物とは全く別物です。飲むのが惜しくなるくらい美味いです。

このイベントは4月1日もあるそうなので、行ってみて下さいね。

『戦国大河ふるさと博』

2012年03月25日 | イベント
3月24日から長浜で『戦国大河ふるさと博』が始まりました。期間は12月2日までで、長浜市の中心地エリア、木之本エリア・小谷エリアを使って長浜市全体がイベント会場になります。
OPを観に行こうと思ったのですが、管理人は朝寝坊してしまいました…

慌ててお昼前に長浜エリア戦国の町ながはま会場を観に行きました。
そこでゆるキャラの三成君に遭遇しましたよ。

雨だったので、足元は防水対策もされてました。


ここでは、戦国を舞台にした大河ドラマの映像を観たり、小道具を観たりできます。
大河ドラマの昔の映像を観れるコーナーでは、『花の生涯』の桜田門外の変のシーンを観ることができました。

映像が残っているとは聞いていたのですが、『花の生涯』で出てくるのは、いつも第一話ばかりですので、これが見れたのは感激でした。
他にも、曳山博物館や竹生島も長浜エリアに入るようなので、じっくり時間をかけて見学してみたいと思っています。

150年前:坂本龍馬脱藩(3月24日)

2012年03月24日 | 何の日?
文久2年(1862)3月24日、坂本龍馬が沢村惣之丞と共に土佐藩を脱藩しました。

龍馬が脱藩した理由は、既に加盟していた土佐勤皇党の中で意見が合わなくなってきたからだとも、この年の1月に訪問した長州藩の久坂玄瑞の影響を受けたからだともいわれていますが、 どちらかといえばはっきりとした明確な意思があったというよりは、先に脱藩していた吉村虎太郎の影響を受けて脱藩を決意していた沢村惣之丞に誘われてそのまま流れで脱藩したようにも感じられます。若者が一時の感情で行う社会に対する反発意識の最たるものだったのかもしれません。

土佐勤皇党の同志たちは、この若者の熱病にも近い脱藩行動をどんどんやらせたようなイメージがありますが、党首である武市半平太は、土佐藩に対しての忠誠心が強い人物で、藩という組織を裏切って野に下り、不忠の罪で藩から罪人として追われることとなる脱藩を認める人物ではありませんでした。ですので龍馬は脱藩と同時に土佐勤皇党との縁も切れたか薄くなったと考えられるのです。


さて、そんな龍馬の脱藩については、悲しい物語が語られるようになっています。

龍馬の様子がおかしいことに気が付いた兄の権平は、家族や親類に龍馬を監視するように命じるとともに、龍馬の刀を隠してしまったのです。
刀が無いままでも脱藩しようとした龍馬に対して、柴田家から離縁されて戻ってきていた二姉の栄が、龍馬に刀を渡しました。これは離縁の際に柴田の夫から与えられた物だったのです。こうして龍馬は栄から刀を受け取って脱藩し、栄はその後に全ての責任を負って自害したのです。
坂本家では、栄の遺体を墓地に深い墓を掘って密葬したのでした。その遺骨が昭和43年の墓地の改修で発見されたのです。

栄の話は、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』で書かれて有名になった話で、その後に武田鉄矢さんが原作になっている『お~い!竜馬』でも描かれた話なのですが、『竜馬がゆく』の前は、三姉の乙女が龍馬に刀を渡したことになっていました。
また、昭和63年に坂本家の墓地の近くで柴田作衛門の妻の墓が見つかっていて、ここには坂本八平(龍馬の父)の娘であることと、弘化年間の9月12日に亡くなったことが刻まれていたのです。そうなると、柴田家に嫁いだ栄の死は黒船来航よりも前のことになり、黒船来航から9年後の龍馬の脱藩時にはすでに故人だったことになるのです。

刀を渡したのは栄か乙女か、はたまた刀を受けるエピソードがあったのかどうか?
栄はこの時にまだ生きていたのか?
龍馬脱藩時の坂本家にはそんな謎も残されています。

『映画のあるまちづくり「三成×戦国×CINEMA」』二日目

2012年03月18日 | イベント
昨日に引き続き『映画のあるまちづくり「三成×戦国×CINEMA」 』のイベントが行われました。
今回は、彦根商工会議所に舞台を変えて、殺陣がメインになります。

まずは、神桜舞の演舞からはじまります。


そして、殺陣ワークショップ&トークショーの始まり。
ゲスト:
映画プロデューサー 鍋島壽夫氏
東映剣会 清家三彦氏 木下通博氏
殺陣をやられる役者さんは、必ず指導を受けるという清家さんと、この世界でずっと活躍しておられる木下さんの、動きを交えた殺陣のお話。

・怪我をしないこと、させないこと。
・ルールを守ること。
を絶対に守らなければならないそうです。
人を斬る演技ではありますが、どこまでも人に優しいのが殺陣なんですね。

刀なども実際に当てるのではなく、お互いのルールの中で当てたように演技をし、そこに効果音が入って映像ができるのだとか。
そして、毎日練習をしている役者さんでも、3年くらいではまだ実際の殺陣には参加できないくらいの世界なんだそうです。
舞台の上で説明されながら行われた実技は、まさしく時代劇の世界でした。




いよいよ体験です。



管理人は、ほぼ撮影係りになっていましたが、参加者さんは熱心に取り組まれていました。
安土の殿

小姓殿も

忍びの者も

教えて下さる両氏も真剣そのものです。

本来なら3年はかかるという殺陣の基本を、3時間に凝縮して教えてくださいました。

最後には舞台の上で個々の演舞もありました。

死体続出です(笑)

とても有意義な時間でした。

『映画のあるまちづくり「三成×戦国×CINEMA」』一日目

2012年03月17日 | イベント
『映画のあるまちづくり「三成×戦国×CINEMA」』というイベントの1日目が花しょうぶ通り商店街の戦国丸で行われました。

まずは、
映画プロデューサー 鍋島壽夫氏
歴史家 埜本修氏  
滋賀ロケーションオフィス 片山昇氏
コーディネーター 戦国魂主催 鈴木智博氏
によるトークショー

映画を生かしたまちづくりの戦略、石田三成を描く映画ができるのか?などのお話と共に、映画そのものや、歴史コンテンツを生かす話なども話されました。

映画を作るのは、製作者の意思によって完成しますが、それを観てもらう物にするのは、関係者や地域の力が大きいそうです。
もし、石田三成を主人公に映画が作られるようになったとき、エキストラで参加してみたり地元で盛り上げる。それこそが大切なんですね。


そして、鍋島プロデューサーが34年前に関わられた作品である『戦国自衛隊』の上映会となりました。

この戦国自衛隊の台本もお披露目です。



よくよく考えると、この映画はCGが無いわけですので、現在の映画では考えられないくらいの迫力がありますよね。

そして自衛隊が戦国へ行くという設定も、よく考えれば凄いです。撮影秘話なども語られました。