彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

黒田氏発祥の地

2013年10月31日 | 史跡
黒田官兵衛に関わる場所として滋賀県には黒田氏発祥地があります。

官兵衛は黒田氏の八代目になります。近江源氏佐々木氏は信綱の子ども四人で大原氏・高島氏・六角氏・京極氏に分かれます。その中で六角氏が南近江を支配し、京極氏が北近江を支配する大名に成長するのですが、そんな京極氏の初代氏信の孫である宗清(宗満)が近江国伊香郡黒田邑(長浜市木之本町黒田)に屋敷を構え黒田姓を名乗ったことが黒田氏の始まりとされています。

屋敷が構えられた地は今の黒田集会所になっていますが、昔から石垣造りの区画があり、公共のこと以外には使ってはならないとの言い伝えがあった場所だったそうです。

このために集会所が建てられたのですが、その建築時(昭和48年)にこの地から「源宗清」と刻まれた石塔が発見され、この地が黒田氏発祥の地であることが確定されました。
 

油日神社

2013年10月17日 | 史跡
伊勢、垂水斎王頓宮址に寄ったついでに、近くにあるであろう油日神社にも行きました。

男女逆転の『大奥』などのロケ地にもなった場所です。
そして建物はとても古い歴史があります。


 







 
建物自体に歴史があり、趣がある場所でした。しかし誰も管理人さんが居なくて大丈夫なのだろうか?

垂水斎王頓宮址

2013年10月15日 | 史跡
12日のお伊勢さんの帰り道、滋賀県に入ってからナビを見ると「垂水斎王頓宮址」という表示があり興味深く寄ってみました。

斎王は京都から伊勢に向かう時に勢多・甲賀・垂水・鈴鹿・一志に宿泊する5泊6日の行程だったそうです。それぞれに泊った場所を頓宮というのですが、正確な場所がわかってるのはこの垂水頓宮だけなのだそうです。
 


天皇の娘ならば、様々なことが思い通りになるようなイメージがありますが、身分が高すぎる為に結婚相手も限定されそれに合わなければ一生独身である可能性もあります。
また、神に一生を捧げることも考えられたのです。
そうなると、天皇の娘であることが女性としてどれほどの意味があるのか?
また斎王という女性が向かう行列は、斎王にとってどれほどの意味があり、この地で流した涙もあるのではないか?

と思うと、歴史を感じる寄り道でした。

お伊勢さん参拝

2013年10月12日 | 史跡
お伊勢さんに参拝に行きました。
前回訪れたのは2月10日ですので、珍しく1年に2回も訪問したことになります。

今回お伊勢さんへお参りに行った理由は、伊勢神宮から遷宮奉祝祭の奉祝神楽の案内が届いたからです。
これは観に行くだけの価値はあると思い一路伊勢神宮内宮へ

8時頃に到着しましたがすでにたくさんの人でした。
本来なら二見浦で朝日観て、外宮→内宮のコースなのですが、今回は混雑を避けるために内宮のみを目的にしたのです。
以前に書いたかもしれませんが、宇治橋を渡るときに擬宝珠を観るのがおすすめです。
宇治橋だけではなく、古い橋はチェックしていいかもしれません。

宇治橋のほとんどは、嘉永6年6月です。つまり黒船が来たときですね。
しかし一つだけ…

分かりますか?

元和5年つまり二代将軍秀忠の時の物があるんです。
同じ橋の中に江戸時代初めと終わりごろの擬宝珠があるという面白さ、その古さに歴史感じますよね。

五十鈴川でお浄めをします。


さて神楽見学の受付から実際に行われるまで時間があったので、本殿への参拝に向かいました。
 
平成30年まで3級有功会員ですから御垣内参拝ができ中重鳥居まで入ることができます。
10月5日の遷宮で、新しくなった御垣内に入りました。周りのがやがやした場所から離れると、空気が清々しく静かに感じます。騒がしい音はどこか遠くのものになり、一歩一歩白石を踏む感覚に癒されます。
そして、中重鳥居で参拝を済ませ、神楽殿へ
神楽殿では多くの招待客と一緒に「斎庭舞」を見学しました。

帰り道、厩に白馬が繋がれていたのですが、たぶんここで馬を見たのは初めてだと思います。
 


このあと、おかげ横丁でいつも買うおかげ犬のおみくじを買って伊勢を離れました。