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彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:長崎丸砲撃事件(12月24日)

2013年12月24日 | 何の日?
文久3年(1863)12月24日、薩摩藩の蒸気船「長崎丸」が関門海峡で砲撃され沈没しました。

長崎丸は兵庫港から綿を載せて長崎に向かっている最中で、ここには薩摩藩の技術者宇宿彦右衛門とその弟子たちも乗船していたのです。
宇宿は、島津斉彬存命中に薩摩藩で蒸気船や反射炉を建造し、写真技術の研究も行っていた正真正銘の薩摩藩近代化の頭脳でした。そんな宇宿を含む乗員28名が死亡しています。

この事件は、薩英戦争で外国と戦い攘夷の二大巨頭の一藩という顔をしていた薩摩藩が、実は綿を長崎に運んで海外との貿易をやっていると世間に報せるため、長州が薩摩藩の船と知っていて行った砲撃だとされています。
しかし、長州藩はあくまで海外の船と間違えて砲撃したという態度をとり続け、薩摩藩国父の島津久光がこの件で怒りをあらわにしているのを聞いて謝罪使を送ったのです。

薩摩藩でも密貿易をしていた弱みがあるので、この謝罪を受け入れることになるのです。
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