文久3年(1863)12月23日、二条斉敬が関白に就任しました。
4か月前に起った八月十八日の政変以来、朝廷は一会桑中心の政権を受け入れてきました。
そんな中で、母親が水戸家から輿入れしている二条斉敬は、一橋慶喜の従兄弟という関係になることが幕府の有利に働き関白に就任するのです。
二条斉敬は、徳川家茂が14代将軍に宣下されるときに朝廷の使者を務めた人物でしたが、水戸家に近かったために井伊直弼との面会を断られ、安政の大獄では慎を命じられました。
直弼の死後に復権し、朝廷での地位を固め、関白就任。
孝明天皇の崩御後は明治天皇の摂政となり江戸幕府崩壊時もその役を続けます。やがて王政復古の大号令で摂関制度が廃止されるとその役を解かれ、そのまま公から引退するのです。
4か月前に起った八月十八日の政変以来、朝廷は一会桑中心の政権を受け入れてきました。
そんな中で、母親が水戸家から輿入れしている二条斉敬は、一橋慶喜の従兄弟という関係になることが幕府の有利に働き関白に就任するのです。
二条斉敬は、徳川家茂が14代将軍に宣下されるときに朝廷の使者を務めた人物でしたが、水戸家に近かったために井伊直弼との面会を断られ、安政の大獄では慎を命じられました。
直弼の死後に復権し、朝廷での地位を固め、関白就任。
孝明天皇の崩御後は明治天皇の摂政となり江戸幕府崩壊時もその役を続けます。やがて王政復古の大号令で摂関制度が廃止されるとその役を解かれ、そのまま公から引退するのです。