慶長11年(1606)5月22日、彦根城の天守が完成した。
・・・という説があります。
実は彦根城の天守がいつ完成したかについては諸説がありはっきりとした日時は未だに確定されていません。
天守の解体修理が行われた時に発見された隅木墨書の銘から考えると完成は慶長11年の6月以降だったのではないか?
という話もあるくらいなのです。
「でもでも、2007年に築城400年祭を行っているんだから、日付は分からなくても1607年に完成したんじゃないの?」
と言うご意見もあるように思いますが、彦根城天守の完成はどれほど遅くても慶長11年中だったと考えられているんです。
彦根城は、天下普請という幕府が行わせた工事でした。その責任者に任命されていたのは公儀普請奉行の佐久間政實だったのですが、佐久間は慶長11年に今度は江戸城築城の公儀普請奉行に任命されているのです。
彦根城を完成させないままに次のもっと重要な城への普請責任者を将軍家が任せるとは考え難いですので、慶長12年まで彦根に築城普請の音が聞こえていた可能性は皆無と言っても間違いないかもしれませんね。
では何故2007年に400年祭が行われたのかは、関係者の方に訊いてみないと分かりませんが、市政80年や琵琶湖周航の歌完成90年などが関係していたのでしょうか?
・・・という説があります。
実は彦根城の天守がいつ完成したかについては諸説がありはっきりとした日時は未だに確定されていません。
天守の解体修理が行われた時に発見された隅木墨書の銘から考えると完成は慶長11年の6月以降だったのではないか?
という話もあるくらいなのです。
「でもでも、2007年に築城400年祭を行っているんだから、日付は分からなくても1607年に完成したんじゃないの?」
と言うご意見もあるように思いますが、彦根城天守の完成はどれほど遅くても慶長11年中だったと考えられているんです。
彦根城は、天下普請という幕府が行わせた工事でした。その責任者に任命されていたのは公儀普請奉行の佐久間政實だったのですが、佐久間は慶長11年に今度は江戸城築城の公儀普請奉行に任命されているのです。
彦根城を完成させないままに次のもっと重要な城への普請責任者を将軍家が任せるとは考え難いですので、慶長12年まで彦根に築城普請の音が聞こえていた可能性は皆無と言っても間違いないかもしれませんね。
では何故2007年に400年祭が行われたのかは、関係者の方に訊いてみないと分かりませんが、市政80年や琵琶湖周航の歌完成90年などが関係していたのでしょうか?